七回目の満席
『空席のアリーナ席』
毎年、秋のはじめ…まだ夏の名残を残したこの微妙な季節に、それは届く。
白い封筒に入った、日本でもトップレベルの人気を誇る某アイドルのライブチケット。
アリーナ席の最前列。
そしてホテルの名前とナンバーが書かれたメモ。
それはもう七通目になります。
P.1
10cmヒールを鳴らし、毎日一房のほつれもなく髪をまとめあげ、窮屈な細身のスーツに身を包みながらも
私の仕事は、某主婦向けの雑誌の「今日の一番」と言う街の風景を載せたたった半ページにも満たない雑誌のコーナーを飾ると言うもの。
二十代前半はそれなりにバリバリ働いていたつもり。
人気のファッションコーナーから、芸能コーナー、いっときはやりがいのある社会記事を扱ってもいた。
けれど私の築き上げてきたキャリアなんてクソみたいなものだ。
と思い知らされた。
三十歳を目前に飛ばされたのが今の部署。
誰も目に留めるようなことが無いような小さなコーナーを受け持って一年。
前は大手出版社の名前が入った名刺を出すのが誇りでもあったし、その名前には威力があり、自信もあった。
でも今は―――
かつて抱いていたあの感情はどこにもない。
P.2
会社が「自主退職」を促しているのは分かりきっていた。
それでも、いくら部署を変え異動させられようと降格扱いされようと、その度に「なにくそ」としがみついていたのは私の意地。
この九年彼氏なし。
毎年会社の「社内イチ冷たい女」または「結婚したくない女」ナンバー1を目下更新中のこの私。
あとに残るのは仕事だけでしょう?
なんてかっこつけて言うけど、そんないいものじゃない。
てかこの歳で転職とかできるほど世間は甘くない。
大手出版社の経歴を見れば、経験優遇されるどころか「何故退職したのか」と言う理由を問われるに違いない。
用はこの会社で、まるで隠されるようにひっそりと奥まった狭い部屋の、これまた小さなデスクが私の居場所―――
その席を必死で守ろうとしている私は、もっとアホ。
いえ…
本当は期待していた。
このままがんばればまた「彼」に会えると、どこかで期待していた。
転職もできないような女が見る夢は
もっと馬鹿げている。
大好きな人のお嫁さん。
P.3
「会えるかも」なんて思い上がりで、また「彼」と一緒に仕事をしたい、まだ彼の好きだったバリバリ働く女でありたい―――
プライドが邪魔して、変な夢見て
でもそれは思い上がりでしかない。
実際はひと月に何千と投稿のある写真から「これ」と言う一枚を選別して、もっともらしい原稿を書き、読まれもしないコーナーに記事を載せる。
それを全部一人でこなさなければならない。
プライドと引き換えに私は自分の時間と生活を犠牲にして、疲れ果てていた。
どうせがんばったって読まれなもしない一ページなのに。
##FC.#999999##逃げ出したい。##FE##
はじめて「あの時」の「彼」の言葉の意味が分かった。
逃げ出して、結婚相談所で紹介された自分に見合う無難な人と出会い、結婚する。
それもいいかも…婚活しよっかなぁ
…半ば諦めかけていたとき。
一人のマンション…誰も居ない暗いマンション、
「おかえり」と出迎えてくれる人のいない寂しい玄関先でヒールの靴を投げ出し、
ポストに投函されていたダイレクトメールの山をダイニングテーブルに投げ出し、
もうどうでもいいや、って気分になってるとき。
それを見つけるまでは。
白い封筒。
一年に一度だけ送られてくるそれ。
私はその封筒の端を目に入れダイレクトメールの山を掻き分け、その手紙を手にとった。
住所はこのマンションが記されていて、
“安藤 環 様”
と「彼」直筆の文字を目に入れたとき、何かがこときれた。
私は封筒の封を切り、中身を取り出すとやはり毎年送られてくるライブチケットとメモが一枚。
“いつもの部屋にチェックインして”
と書かれていて、
「いつも…って一度も私たちあの部屋で会ったことないじゃない…」
思わず独り言を漏らした。
でも『いつも』で通じるのは、指定されるホテルと部屋番号がいつも一緒だからだ。
チケットの日付は
―――9月18日。
私は目を細めてカレンダーを目配せ。
「彼」に会うのは
実に簡単なことだったのだ。
必要なのは一歩だった。
P.4
アリーナ席の最前列。
一つだけ空いた席が指定席のようにぽっかりと開いていて、私は何度もチケットの席ナンバーを確認した。
「やっぱりここ…」
目の前には本当にすぐステージ。
立派な装飾が施されたステージを見上げ、そして辺りを見渡すと六階まで吹き抜けの大きなホールに席が続いている。
収容客数は45,000人の大きなホール。
この付近では一番の広さを誇るホールだ。その席はほとんど余すことなく若い女の子たちで埋まっていた。
以前仕事の取材でこのホールを訪れたときは何とも思わなかったのに、
今はこの大きなホールに私の方がドキドキ…緊張してきた。
コンサートが始まるのを今か今かと目を輝かせ「彼ら」の登場を待ち望んでいるファンの子たち。
彼女たちの若い輝きの中、私は「彼」の目に留まることができるのだろうか。
会社帰りのスーツの上に、目印で彼がくれたストールを掛けてきたけど。
こんな暗い中それを見分けられるのかどうかも不安だ。
大体どのコンサートでもステージは光の波でほとんど席が見えないって…常識だ。
それでも…たとえ彼が私を見つけてくれても、周りの輝きの中、私は彼の目にどう映るだろう。
望めばダイヤモンドみたいな女の子を手に入れることができるだろう彼にとって、私は今や道端に転がった石ころのように存在価値のない女だ。
だって彼は言ってくれた。
『がんばってるあんたが好き。
がむしゃらで向こう見ずで、プロ意識が強くて―――
俺にはない強さを持ってる環が』
私は今、彼が好きだと言ってくれたものを何も持っていない。
ただプライドに縋り付くだけの惨めな女だ。
『俺の夢はね~
こんな小さなホールじゃなくて、でっかい都市ツアーで思い切り歌うの。
テレビ局の歌番組のときみたに口パクじゃなくて、全部リアルな俺の声で
何千万と居るファンを魅了できたらいいな』
まるで少年のように、無邪気に顔を輝かせて笑った彼。
君の夢……
叶ったね。
君の活躍は雑誌やテレビで見てたから全部知ってる。
でも
ねぇ
あなたは私の“夢”を覚えている?
P.5
大きな爆発音とも呼べる音で会場が暗くなり、場内が一気に色めきたった。方々で悲鳴のような歓声が聞こえる。
ホールの中が暗くなり、ファンの子たちが振るペンライトの明かりだけがまるでホタルの光のように美しく左右している。
再び爆音。
一曲目のイントロがはじまり、ステージのあちこちで炎の柱があがった。
びっくりして目をまばたいていると、それはどうやら演出だったらしく派手な演出と共に
「彼ら」が跳び上がるように姿を現した。
「「「「「キャーッ!!!!」」」」」
まるでホールを揺るがすような女の子たちの悲鳴に似た歓声の中、堂々と登場したのは今も輝く日本のトップアイドル。
彼らの活躍をテレビや雑誌で見ない日がないほど、今や売れっ子となった男性五人組の
「Place」の姿だった。
その瞬間―――
ああ、彼らの輝きは七年前のそれよりも増し、若い彼女たちよりも彼女たちが振るペンライトの光よりも
眩しい。
P.6
センターの右隣に位置する「彼」……
リードボーカルの一人でもある彼。
ゼン
ううん…禅夜(Zenya)
「キャーッ!!ゼンッ!ゼンーーー!!」
狂ったように彼の名前を呼び続けるファンの歓声にもろともせず、彼はしなやかで…一方まるで一寸の乱れもない機械的なリズムと動きでステージを舞い
魅了する。
前はその名前すら知らない子がほとんどだったって言うのに、いつの間にか若いファンの子たちに当たり前のように名前を呼ばれるようになっている。
禅夜―――
今、この瞬間…はあなたにこんなに近いのに―――
世界一遠い。
P.7
耳に心地よいテノールのレジスターは、七年前より音域を広げ、さらに歌唱力の成長を感じた。
元々歌は上手かったのだ。
一曲目も中ほどまでいくと、メンバーは洗練された歌と五人揃っての乱れのないダンスでファンたちを魅了し前に進み出る。
女の子たちの悲鳴が一段と大きくなっていき、
ステージの端まで来た禅夜はファンサービスの為か、席を一望。
眺める視線が私のところで一瞬ぴくりと止まり、
大きな目をさらに広げてまばたきも忘れたかのようにただじっと一点を見つめる。
それは予想もしなかったことに驚いたときの彼の癖だ。
次の瞬間は片目だけを僅かに細め、キリリとした眉の端がぴくりと小さく動く。
それも変わっていない。
思いきり目があったのに、禅夜は私から視線を逸らして歌とダンスに集中する。
七年前は―――
こんな大きな都市の大きなホールでライブツアーをするようなグループではなかった。
私が彼ら…『Plase』にはじめて会ったのは、彼らがまだ駆け出しのとき。
私は当時、女性雑誌の部署で芸能コーナーを受け持っていた。
有名女性ファッション雑誌の2Pを飾るコーナーで、新人アイドルやモデル、俳優などを紹介するコーナーは割と読者年齢が若い女の子たちにウケが良かった。
その時の取材で会ったのだ。
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