Autumnal

愛しのレイラ


 

 

 

――――

 

 

――

 

 

その夜、十時半を少し回ったところで俺はある決意をした。

 

 

武器になるだろうと思って持ってきた松葉杖を左手に右手には守り神と言う白へびを持って、頭にはハチマキ替わりのタオル。

 

 

「いざ!!出陣」

 

 

傍から見たらかなり滑稽な恰好だろうが、俺はこう見えても本気なんです!!

 

 

逃げたエリーとレイラ、二人の愛しい女を探し出すために!

 

 

一人意気込んでいると、

 

 

コンコン…

 

 

部屋をノックする音が聞こえた。それだけで俺は

 

 

ビクぅ!!

 

 

考えたら蛇がノックなんてするもんか。

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

と促したが、シーンと静まり返ったまま。誰かが入ってくる気配はなかった。

 

 

「?」

 

 

訝しく思って自ら扉をそっと開けると、誰も居なかった。

 

 

「何だぁ?」

 

 

首をかしげていると、足元に白い紙切れが落ちているのを発見。

 

 

その折りたたまれた紙きれを拾い上げ、開いて俺は目を開いた。

 

 

 

“Prince Autumnal is definitely in danger, make no mistake about that.”

 

 

意味は―――

 

 

 

 

 

 

 

「オータムナル皇子に危険が迫っている――――……!」

 

 

 

 

 

 

 

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俺は松葉杖と白蛇を手に部屋を飛び出した。

 

 

迷わずオータムナルさまの寝室に向かうと、彼の部屋の前で衛兵の二人が火縄銃のようなものを持って控えていた。

 

 

「オータムナルさまは!?」

 

 

俺が衛兵の一人に聞くと

 

 

「お休み中でございます。いかがされました」

 

 

と淡々と聞かれた。

 

 

「オータムナルさまに危険が迫ってるんだ!!!早くっ!!彼を呼んでください」

 

 

手振り身振りで説明すると二人の衛兵は顔を見合わせ、それでも遠慮がちに一応、ノックをした。

 

 

コンコン……

 

 

だが返事はない。

 

 

「どいて!」

 

 

俺は衛兵を押しのけると、扉を叩いた。

 

 

「オータムナルさま!!いらっしゃるのですか!」

 

 

さすがに俺の暴挙に衛兵二人が火縄銃二丁で十字を作るように俺の前で交差させた。

 

 

「いくらミスター来栖と言え、無礼ですよ。皇子はお休み中でございます」

 

 

「んなこと言ってる場合じゃねぇって!!オータムナルさまに危険が迫ってるんだよ!!」

 

 

「何を訳が分からないことを。お引き取りください」

 

 

と頭でっかちの衛兵たちは一向に退こうとしない。焦れた俺は松葉杖を掲げると、衛兵二人は目の色をサッと変えて俺に銃口を向けてくる。

 

 

それより早く松葉杖の先で拳銃を薙ぎ払うとその素早さに驚いたのか衛兵たちは一歩下がった。その隙に扉を開けようとしたが、鍵が掛かっているのかびくりともしない。

 

 

「くそっ!!」

 

 

舌打ちをして、一歩下がった。

 

 

体当たりして扉をぶち破ろう。

 

 

そう決め込んで助走を付けたときだった。

 

 

 

「外が騒がしいようだが、何事だ―――」

 

 

 

内側から扉が開き、勢いを止められなかった俺は

 

 

え――――………

 

 

そのままオータムナルさまの胸へとなだれ込んだ。

 

 

 

 

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「What!?

 

 

紅!!?」

 

 

いきなり現れた俺にオータムナルさまもびっくりされたに違いない。勢い余った俺を受け止め

 

 

ドサっ!!

 

 

二人して床に倒れ込んだ。

 

 

「「皇子!!」」

 

 

衛兵二人が顔色を変えて俺たちを見下ろし、慌ててオータムナルさまを起こそうとする。

 

 

オータムナルさまは俺の下敷きになってしっかりと俺を受け止め、腰を打ったのだろうか顔をしかめながら目だけを上げた。

 

 

「案ずるな。私は大丈夫だ。それより紅―――…お前は何故…」

 

 

俺を抱き止めたままオータムナルさまは不思議そうに聞いてきて

 

 

俺は……

 

 

オータムナルさまがご無事だと知って、ほっとしたのか気が抜けてすぐに何かを答えられる余裕なんて微塵もなかった。

 

 

転がった白へびのぬいぐるみだけが、黒い丸い目で俺を呆れたように眺めていた―――

 

 

―――

 

 

どうやらオータムナルさまは入浴中だったみたいで、風呂上りの裸身はミルク色のバスローブ一枚で包まれていた。

 

 

お風呂上りのそのお姿――――ローブの合わせ目から覗くくっきりとした鎖骨や、鍛えた厚い胸板がちらりと見えて

 

 

俺は慌てて目を逸らした。

 

 

直視できないほど、オータムナルさまは色っぽい。

 

 

その後、オータムナルさまは衛兵たちを下がらせて、俺にミネラルウオーターが入ったグラスを勧めてくれ、水を飲むと落ち着……くことなんてできない。

 

 

だって目の前には、こっちが目を反らしたくなるほど色っぽいお風呂あがりのオータムナルさまのお姿。

 

 

心臓が壊れたラジオのように変な音を立てる。それと連動するかのように俺の下半身がまたもじんと熱を持って熱くなっていくのが分かった。

 

 

たかがお風呂あがりのお姿に欲情してる―――なんて知られたくなくて

 

 

それを隠すために、俺は口早にかくかくしかじか手紙の内容を聞かせた。

 

 

もちろん手紙も見せた。

 

 

オータムナルさまはさっきの衛兵と違ってちゃんと俺の話を聞いてくれて、さらに手紙を読むと目を開く。

 

 

「この字に見覚えは?」

 

 

「いや、ない」

 

 

「秋矢さんの字でもないですか?」

 

 

「トオルのはもっと癖がある。あいつじゃない」

 

 

 

 

 

 

じゃぁ一体誰が―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「どうせたちの悪い悪戯だろう。この通り私はピンピンしているし、部屋は外から衛兵に守られている。

 

 

安全だ」

 

 

と、オータムナルさまは締めくくった。

 

 

「けれど……」

 

 

俺がなおも渋っていると、オータムナルさまは小さく吐息。

 

 

「お前は何をそこまで心配しておるのだ」

 

 

何を―――って……

 

 

俺の部屋のクローゼットと地図に書かれた文字……たぶんあのメッセージとこの紙のメッセージを書いた人物は同一人物だ。

 

 

彼女(もしくは彼)に一体何の策略があるのか分からないが……分からないからこそ不安なんだ―――

 

 

「ついこないだイギリス領事館に居た衛兵たちに襲われたばかりです。

 

 

俺…オータムナルさまが心配で」

 

 

「お前が心配してくれるのは分かるし、ありがたいことだが

 

 

その件はもう解決済だ」

 

 

「解決―――……」

 

 

「ああ、お前を襲った衛兵は次の日に行方をくらましている。すぐさま国境付近に緊急配備を取った。

 

 

この国から生きて帰ることはできまい」

 

 

オータムナルさまの淡々とした物言いに俺は目を開いた―――

 

 

「皇子の側室に手を出したのは重罪だ。ただでは帰さない」

 

 

「それはそうですが…狙われたのは最初から俺じゃなく…!」

 

 

言いかけたときだった。

 

 

オータムナルさまの背後……ベッドの天蓋枠から細い柱を伝って何かがするりと降りてくる気配を視界の端で捉え、

 

 

ゆらり、と不気味に鎌首をもたげる様が目に映った。

 

 

黒地に赤の斑模様――――

 

 

 

 

レイラ―――

 

 

 

 

蛇のレイラは小さく威嚇の声を鳴らし、その不気味な口を開いた。

 

 

大きく開いた口の両端に鋭い牙が光って―――その爛々と輝く鋭い両眼はオータムナルさまを狙っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「オータムナルさま!!危ない!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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俺は力いっぱいオータムナルさまを引き寄せ、代わりに俺が前に躍り出た。

 

 

蛇の敵意が俺に逸れた。瞬時にして邪悪な顔がこちらを向く。

 

 

「紅!」

 

 

オータムナルさまの怒鳴り声とほぼ同時だった。

 

 

「オータムナルさま!!逃げて!」

 

 

彼を庇い後ろを振り向いた瞬間だった。俺の左腕に激痛が走った。

 

 

捲っていたワイシャツの下むき出しの腕に、蛇のレイラが俺の腕に噛みついている。

 

 

「くっそ!!」

 

 

俺は松葉杖を振りあげ、その蛇を払うと床に叩き付けた。

 

 

蛇は尚もバタバタと身動きし、すぐに態勢を整えると今度は俺の首に向かってバネのように飛びかかってきた。

 

 

腕で払おうとするも、またも噛まれる恐れがある。

 

 

俺は近くに落ちていた白へびのぬいぐるみを振りあげると、蛇のレイラはそのぬいぐるみに噛みつき、そのしっぽを食いちぎった。

 

 

中から羽毛が飛び出てきて、その白く舞う羽にレイラは一瞬驚いたように口から白へびを離し、すごすごと天蓋を昇って消えていった。

 

 

「は………」

 

 

短く息を吐いて、次にはぁー……大きなため息が口から出た。

 

 

「紅!大丈夫か!見せてみろ!!」

 

 

オータムナルさまが血相を変えて俺の腕を取る。俺の腕は麻痺したようにもはや何の感覚もなかった。指先が震える。

 

 

のど元から急激な嘔吐感がこみ上げてきて、無礼は承知でたまらず俺はその場で胃の中のものを吐いた。

 

 

「紅!大丈夫か!」

 

 

オータムナルさまは俺の背中を優しく撫でさすってくれる。

 

 

口の中が吐瀉物で気持ち悪い。何とか吐き出したくて……でも

 

 

息が

 

 

 

 

 

息ができない――――

 

 

 

 

 

「オータム……さ……」

 

 

切れ切れに彼の名前を呼ぶと

 

 

「どうした!?噛まれたことがショックだったのか。可哀想に…」

 

 

彼は深刻そうな顔をして俺の背中をまた大きく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「違………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒――――

 

 

 

 

アコニチ………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言いかけた言葉は彼に届いただろうか―――

 

 

俺の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

「紅!

 

 

しっかりいたせ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

紅―――――っっっっつ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

ああ、

 

 

 

オータムナルさまの声が

 

 

聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――――

 

 

―――

 

 

 

 

『You have a message.

(伝言を預かっています)』

 

 

『Hey,Kou.It's me.If a message is heard, please call me.

(私よ。コウ、伝言を受け取ったら電話して)

 

 

愛してるわ、私の子猫ちゃん』

 

 

シャワーから上がってタオルで髪を拭きながら、ステイシーからの留守録を聞いて俺は思わず苦笑。

 

 

くすっ

 

 

思わず喉から笑いが漏れ

 

 

「だから子猫ちゃんってのはやめろって。まぁ変な日本語教えた俺がいけなかったのかぁ」

 

 

と半分諦めて、そっけない木のテーブルを見やると、ジップロック式のビニール袋が置かれていた。その袋の中にバゲットサンドが入っていて、俺は肩をすくめた。

 

 

そのジップロックからバゲットを取り出しぱくり、とかぶりつく。バゲットサンドはパサパサしててあまり好きじゃなかったが、ステイシーの作ってくれるサンドウィッチはうまいんだ。

 

 

レタスやハムと言った野菜や肉と、何故かピーナッツバターがぬり込んである。

 

 

一見、あまり美味しくなさそうな組み合わせだがこれが意外にうまい。

 

 

「Hey,baby.Thanks for lunch for me.

(やぁベイビー、ランチをサンキュ)

 

 

I'll buy you a coffee.Let's be on our way.

(コーヒー奢るよ。出かけよう)」

 

 

電話を耳と肩の間に挟み、バゲットサンドをぱくついていると、いつの間にかテーブルと対になっている椅子にステイシーが座っていて。

 

 

『Not feel up to going out tonight.

(今夜は出かける気にはならないわ)』

 

 

電話越しからも、すぐ近くからも同じ声と同じ台詞が聞こえて

 

 

「Hey,Staecy.Are you joking or what?

(ステイシー、何の冗談…)」

 

 

俺は思わず電話と彼女を見比べた。

 

 

『It's no joke.

(冗談なんかじゃないわ)

 

 

There is a person waiting for you.

(あなたを待っている人が居るの)』

 

 

 

ステイシーの赤い唇……そうだ、確か彼女が愛用していたDiorの№999.その唇が悲しそうに歪んだ。

 

 

 

 

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『You aren't supposed to come here yet.

(あなたはまだここに来てはダメ)』

 

 

 

 

 

 

ステイシー………

 

 

何故――――?

 

 

俺は君の元へ行きたいよ。会いたいんだよ、ステイシー。

 

 

けれど俺の願いも虚しくステイシーの姿がぼんやりと滲んで消えていく。

 

 

ステイシー……

 

 

Wait!!

 

 

俺は必死に叫んだ。

 

 

けれどその声は彼女に聞こえない―――

 

 

彼女の姿が消えるとそこに残ったのは、白い蛇の形をしたぬいぐるみが落ちていた。

 

 

『アスクレピオスだ。白へびはお前を守ってくれる』

 

 

この声は――――誰の声―――……

 

 

 

 

 

紅――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺を呼ぶのは誰―――

 

 

 

 

『あなたを呼んでいる人が居る』

 

 

 

 

 

俺を呼んでいる人―――

 

 

 

一体誰………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――紅…戻っておいで。

 

 

 

 

 

私の元へ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この声は―――

 

 

 

 

 

 

オータムナルさま

 

 

 

 

 

オータムナルさまが

 

 

 

―――悲しんでいらっしゃる。

 

 

 

 

 

 

戻らなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戻って彼をすべての悲しみから守るんだ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「紅――――」

 

 

何度目かの呼び声で、俺はゆっくりと目を開けた。

 

 

視界に飛び込んできたのは真っ白の光―――

 

 

ああ、目を開けた瞬間―――暗闇じゃなくて良かった……

 

 

その光の中、オータムナルさまのうっすらとした影が揺れている。

 

 

彼の黄金色の髪が輝いている。

 

 

「紅―――…!」

 

 

オータムナルさまに呼ばれて

 

 

「はい……」

 

 

俺は返事をした。

 

 

「目覚めたのだな!医師を呼ぼう!!」

 

 

慌ただしく立ち上がろうとするオータムナルさまを引き止めた。

 

 

「……待って……ここに……居て…」

 

 

ようやく…

 

 

ようやくこの手を掴むことができた―――

 

 

彼の手首を掴んで引き止めると、オータムナルさまは俺の手にそっと手を重ねてくれた。

 

 

「紅――――……すまなかったな。私の為に

 

 

私を庇ってお前は―――

 

 

お前は―――命の恩人だ」

 

 

オータムナルさまは俺の手をそれはそれは大事そうに包みながら、今にも泣きだしそうにそのサファイヤブルーの瞳をゆらゆらと揺らした。

 

 

「オータムナルさま……泣かないで」

 

 

彼の手を強く握り返すと、いつもよりあったかい温度を感じ取ることができた。

 

 

「泣いてなど―――…おらぬわ」

 

 

オータムナルさまが強がって無理やり笑う。

 

 

ああ

 

 

戻ってきた―――

 

 

 

何故だかそう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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その後の話で、俺はどうやら三日三晩眠り続けていたらしい。

 

 

倒れたばかりのときは確かに脈も呼吸も停止していた。

 

 

その後は応急措置で一度は息を吹き返したものの、回復する見込みはなく絶望的だと言われていた。

 

 

それがどうした、いっときは命も危ぶまれたが、峠は越したどころか、目を覚ました途端簡単な検査も行われたが多少体がだるいことと熱っぽいのを除いて俺の体のどこにも障害が残ることなく、健康体だった。

 

 

医師は「奇跡の回復力だ」と目をまばたいていた。

 

 

それから秋矢さん、マリアさま、沙夜さんの順番でそれぞれ様子を見にきてくれて―――

 

 

その三人に同じ説明をするのが何より大変だった。

 

 

秋矢さんは三日三晩寝ていなかったのか少しやつれた顔で目の下にクマなんか作っちゃって、俺よりよっぽど病人ぽく見えた。俺の無事を確認すると大きなため息を吐いてその場に崩れ落ちそうになっていた。

 

 

もっと大変だったのはマリアさまだ。

 

 

彼女は自分の飼い蛇のせいで俺が死んだ―――と思って、真っ赤っかに腫れた目をさらに赤くして俺に縋りつくと、わんわん泣いた。

 

 

それを宥めるのが大変だった。

 

 

三日三晩眠り続けていたと言うことは、目覚めたら当然腹は減っているわけで…

 

 

俺がバゲットサンドが食いたい、と言ったら沙夜さんはそれを作って持ってきてくれた。

 

 

「すみません、沙夜さん……お手数をおかけして」

 

 

「そんな。わたくしはただお料理をしただけですわ。それよりコウさん、蛇に噛まれたとお聞きしましたがご無事で何よりでしたわ」

 

 

「そうだ……俺を噛んだレイラは……?」

 

 

気になったことを聞くとオータムナルさまと沙夜さんは顔を合わせた。

 

 

 

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「マリアにはすまないことだが、生きたネズミを囮にしてレイラをおびき出し捉えた。

 

 

もともとマリアが飼いはじめたときには蛇毒を抜いてあったから、今さらレイラに噛まれたとて、命に別状はあるまいが

 

 

今回の件を見逃すことはできぬ。

 

 

殺処分する予定だ」

 

 

オータムナルさまが何やら難しい顔で腕を組む。

 

 

殺処分――――……

 

 

そんな……

 

 

レイラは何も悪くないのに……

 

 

 

 

 

 

「それにお前は倒れる間際に私に言った。

 

 

 

“アコニチン”

 

 

と―――

 

 

 

調べたらレイラの牙に塗られいてたのは確かにアコニチンだった。

 

 

 

お前は何故―――それが分かったのだ」

 

 

 

 

 

至極真剣に聞かれて俺は戸惑った。

 

 

何故って―――それは―――……

 

 

「蛇の毒だったら出血した部分から血が止まらなくなることはあっても、嘔吐や呼吸困難なんて起きません。

 

 

ましてやあの速さで意識を失うことなんてない」

 

 

はっきり言い切ると、オータムナルさまはまたも沙夜さんと顔を合わせて深いため息を吐いた。

 

 

「お前は倒れる間際にそんなことを考え抜いたと言うのか―――

 

 

何と頭の良い男だ。

 

 

まぁしかし今はアコニチンの問題だ。

 

 

 

実はあの毒は―――カイルが服毒自殺した際に使われた成分と全く同じものだった」

 

 

 

 

 

 

 

え――――………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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俺は目をまばたいた。

 

 

カイルさまが亡くなった毒が何故蛇のレイラに―――

 

 

考えて、すぐにはっとなった。

 

 

オータムナルさまも、沙夜さんも悟ったように顔を伏せて難しい表情をしている。

 

 

蛇はオータムナルさまの寝室に放たれたのだ。

 

 

あのメモは――――それを教えてくれていた?

 

 

狙いは俺じゃなく最初からオータムナルさま。

 

 

じゃぁ何故そのメモを書いた人物はそのことに気づいたのか―――

 

 

それにしても周到に毒を塗ってオータムナルさまのお部屋に放ったんだからそれだけの計画性があったと言っていい。

 

 

こないだ襲ってきたのは英国領事館の人間だった。

 

 

カイルさまの不審な死も―――全てあの場所に繋がっている。

 

 

この屋敷に英国人は一体―――何人いるのだろう。

 

 

俺が難しい顔をして考え込んでいると

 

 

「今はお目覚めになられたばかりで、そう考えるのも体に悪いですわ。

 

 

さぁサンドウィッチをお召し上がりになって、あとはお薬を飲んでゆっくり休みましょう」

 

 

沙夜さんが俺の布団を少しだけめくると俺の背に手を入れて俺を起き上がらせようとしてくれた。

 

 

まるで介護をされているおじいちゃん的な扱いにちょっと恥ずかしくなって、慌てて沙夜さんの手を制すると自分で起き上がった。

 

 

「自ら起き上がれるとは…医者の言ったことは間違いないようだな」

 

 

「お医者さまの?」

 

 

「ああ、おおむね回復に向かっているということだ。お前は何と強運の持ち主だ。

 

 

それとも白へびのおかげか―――」

 

 

オータムナルさまは白いへびの…ちょっとしっぽがちぎれちゃってるがこちらもきっちり縫合してあるぬいぐるみを取り出しまじまじ。

 

 

 

白へびが―――俺を守ってくれた……

 

 

 

 

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白へびは守り神だ。けれど夢で見た―――姿を変えた蛇はステイシーの姿をしていた。

 

 

守ってくれたのは―――ステイシー………

 

 

それとも単なる強運か―――……

 

 

ソフィアさんも言ってた。彼女は俺に何が起こるのかも予期していたのだろうか―――

 

 

だとするとあのS Y なる人物はソフィアさん―――

 

 

 

一人であれこれ考えていると、にゅっとオータムナルさまが俺の視界に入り込んできた。

 

 

下から覗き込むようにして

 

 

「一人で何を考えておる」

 

 

予告もなしに至近距離で見つめられて―――俺の顔に血が集まった。

 

 

「まぁ、お顔が赤いですわ。まだお休みになられないと」

 

 

沙夜さんは至極心配そうに言って眉を寄せたが

 

 

 

 

 

 

 

トリカブトの毒でさえも大丈夫な俺が

 

 

 

 

恋の病だけはどうしようもできないのだ―――

 

 

 

 

 

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大人しくサンドウィッチを頬張ると

 

 

俺は目を開いた―――

 

 

「どうした、紅」

「どうかされました?」

 

 

 

オータムナルさまと沙夜さんが心配そうに聞いてくる。

 

 

「いえ……懐かしい―――味がする」

 

 

俺の言葉にオータムナルさまと沙夜さんはまたも顔を見合わせ

 

 

俺は慌ててバゲットの切込みを開くとレタストマト、ハムに混じってピーナツバターがぬり込まれている。

 

 

「沙夜さん!これをどこで……!」

 

 

沙夜さんは目を丸くすると、すこし顎を引き

 

 

「以前コウさんがおっしゃっていましたよ?前の恋人が作ってくれたと―――」

 

 

俺―――そんなこと言ったっけ……

 

 

「さぁ、お召し上がりになられましたら、今度はお薬ですわ」

 

 

沙夜さんはせかせかと薬の準備をして

 

 

「お前は早く休むといい」

 

 

とオータムナルさまもそれに関しては気にしてない様子で、俺に布団を被せる。

 

 

結局―――サンドウィッチの件もメモ書きの件もうやむやになって―――

 

 

 

 

―――

 

――

 

 

 

半月が経とうとしていた。

 

 

約二週間の間、俺はベッドでの生活を余儀なくされ

 

 

その間、秋矢さんマリアさま、沙夜さんがかわるがわる見舞い……と言うか世話を焼いていってくれて話し相手には困らなかった――――でも……

 

 

やることなくて暇!!

 

 

そう、俺は暇を持て余していた。

 

 

もう完璧に体調は良くなったし、これといった後遺症もない。

 

 

高級な病院に入院してるんだ、と思えばいくらか気が晴れたが病人には変わりない。

 

 

 

 

 

 

そしてその二週間―――

 

 

 

 

オータムナルさまは一度もいらっしゃらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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仕方ないよ。

 

 

ご公務でお忙しいのだ。

 

 

そう思い込もうとしても、心が―――ついてこない。

 

 

公務の間、五分でもいいから時間が空いたら俺のところに来てほしい。

 

 

俺は死にそうになったのに、心配してたのは最初のうちだけかよ……

 

 

なんて我儘だよな。

 

 

嫌な考えばかりを浮かべる自分に嫌気がさした。

 

 

こんな―――こんなこと考える自分が薄汚くて、そんなんだからオータムナルさまもいらっしゃらないんだ。

 

 

と思っていたときだった。

 

 

―――――

 

――

 

 

その日の午前中、俺は珍しく朝遅くまで眠っていた。

 

 

(マリアさまの言う通りおじいちゃんのように朝早い俺が珍しいことだ)

 

 

夢の中でオータムナルさまに会えた。彼は俺に向かって微笑んでくれた。

 

 

『紅――――』

 

 

優しい声で囁いてもくれた。

 

 

幸せだった。

 

 

たとえ夢だとしても―――永遠にこの幸せが続くといいと願った。

 

 

夢から覚めたくない一心で、夢にしがみついていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「紅――――……」

 

 

 

 

 

 

何度目のかの呼びかけで、俺の頬をそっと包む感触にうっすらと目を開けると

 

 

目の前で切なそうに眉を寄せ、口元に淡い笑みを浮かべたオータムナルさまがいらっしゃって

 

 

俺は目をまばたいた。

 

 

 

 

 

 

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「オータムナルさま……?」

 

 

彼の名前を呼ぶと

 

 

「紅」

 

 

彼もまた俺の名前を呼び返し、そっと俺の頬を撫でた。

 

 

夢の続きかと思った。だってオータムナルさまが俺の目の前に居るなんて、俺の頬を撫でてくれるなんて―――

 

 

でも……リアルだな。ぬくもりも……あの芳しい香りも―――五感全部で愛しい人……オータムナルさまの存在を感じている。

 

 

「オータムナルさま……お会いしたかった…」

 

 

オータムナルさまの手を包むとそっと紅茶色の手のひらにキス。

 

 

オータムナルさまはくすぐったそうに微笑み

 

 

「体の具合はどうだ?もうだいぶ良くなったと医師から聞いたが」

 

 

オータムナルさまの言葉を聞いて、俺は目を開いた。

 

 

ずっと夢だと思ってた。でも夢じゃなかったら―――

 

 

「オータムナル……さま?」

 

 

「うん?」

 

 

「オータムナルさま……」

 

 

「何だ」

 

 

「オータムナルさま…だぁ。夢じゃなくホンモノ」

 

 

俺はオータムナルさまの手を握ったまま崩れるように笑うと、オータムナルさまも同じように笑った。

 

 

「私の名を語る偽物が現れたらひっ捕らえないといけないな。お前が目移りしてしまう」

 

 

目移りなんてそんな―――俺はオータムナルさま以外好きになれそうにないのに。

 

 

「二週間の間、寂しい思いをさせたな」

 

 

本当に―――……寂しかった……嫌われたのかとかあれこれ想像した。

 

 

言葉には出さなかったのにオータムナルさまは何もかも悟ったように、またも切なそうに眉を寄せふっと口元に淡い笑みを浮かべ

 

 

「英国に出向いていたのだ。カイルの遺体はもう埋葬済みだったが叔母上の様子も心配だったから―――」

 

 

叔母上―――……国王さまの姉上さま―――

 

 

「大層な悲しみようだったよ。カイルは一人息子だったし、

 

 

大層可愛がっておられたのに―――残念だ」

 

 

オータムナルさまは顔に翳りを滲ませ俯く。

 

 

不謹慎かな。そんな表情ですらどこか憂いを含んでいて色っぽいと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

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その後俺は二週間の間に何があったのかお話聞かせた。

 

 

と言っても劇的な何かが起こったわけでもなく、淡々と過ぎて行った時間を語るのはあまり面白味がなかったが。

 

 

代わりにオータムナルさまは訪れた地、英国での話を聞かせてくれて

 

 

「叔母上はカイルの死のショックから二十歳ぐらい老けて見えたよ」

 

 

とか

 

 

「あちらの食べ物は油っこくて、私には合わなかった」

 

 

とか

 

 

「美しい女もたくさんいたが、

 

 

 

お前に適う美女はいなかったな」

 

 

とか………?

 

 

最後のはどうかと思うけど。

 

 

「それよりも―――何よりもお前に使われた毒について、私自身独自で調査したのだが―――」

 

 

使われた毒の調査をご自身で―――

 

 

「そんな!危険です!!おやめください」

 

 

慌てて言うと

 

 

「お前はもっと危険な目に遭ったと言うのに、私一人のほほんとしているわけには行かぬ。

 

 

お前は私の―――大切な側室だからな」

 

 

大切な―――……

 

 

「だがしかし、英国に出向いたとてすぐに分かる問題でもなかった。

 

 

カイルの周りに不審な人物がいなかったか聞き込みをしたが、それらしい人物は見当たらなかった」

 

 

「聞きこみって……オータムナルさま、まるで探偵みたい」

 

 

俺がちょっと笑うと

 

 

「ああ、探偵気取りだ」

 

 

オータムナルさまも笑った。

 

 

 

 

 

 

「お前と二人で――――謎を解明したい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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謎を解明したい―――って思ったけど、そもそも素人だし探偵ドラマや推理小説のようにそう簡単に犯人像に行きつくわけでもなく

 

 

その後も何の成果も挙げられないまま淡々と日常は過ぎた。

 

 

けれど変化が全く無かったわけではない。

 

 

――――

 

――

 

 

「この字は見ようによれば女の字にも見えるが」

 

 

オータムナルさまは俺のすぐ隣で、俺の寝室に投げ込まれた謎のメッセージのメモをルーペで覗き込みしげしげ。

 

 

今は執務室を作戦会議室にして俺たち二人は意見を出し合いっこ。探偵団はたった二人しかいないけど、一人よりは断然心強い。

 

 

「女性かどうかは分からないですけど宮殿内の誰か、ってことは間違いないですよ」

 

 

俺もルーペの中を覗き込むと、オータムナルさまの肩と俺の肩先がくっついて、そこから彼の体温が伝わってくるほど間近に距離が縮まった。

 

 

ドキリ

 

 

心臓が大きく鳴って、その音がオータムナルさまの耳に届きやしないか心配だったから俺は慌てて肩を戻した。

 

 

「……すみませ……」

 

 

「いや、私の方こそすまなかった」

 

 

どちらがどう悪いのか、問われれば答えられないが、俺たちはそれぞれに謝った。

 

 

何だかぎくしゃくして、それが居心地悪かったけれど―――

 

 

謝って―――そしてまたどちらともなく肩をくっつけ合い、それ以上特に何をすると言うわけでもなく俺たちはただ一緒の時を過ごした。

 

 

 

 

 

それだけで―――

 

 

 

 

 

俺は幸せだった。

 

 

 

 

P.329


 

 

 

――――――

 

 

―――

 

 

 

「ぬるい」

 

 

バサッ!

 

 

例のごとく、秋矢さんにその光景を見られていたみたいで、秋矢さんは読んでいた新聞を乱暴に閉じた。

 

 

俺はその場(秋矢さんが新聞を読んでる場)を偶然にも通りかかっちゃったみたいで……

 

 

今日ラブ運はついてるけど、対人運はついてないなー……トホホ

 

 

「ぬる……って……ぇえー」

 

 

「ぇえーじゃないですよ、ミスター来栖。皇子が好きなのでしょう?だったらそんなことで満足しているようではいけません。さっさと押し倒される覚悟をなさい」

 

 

押し倒されっ!!!!!?

 

 

ぇえ!!

 

 

しかし、ごもっとも、な意見に何も返せなかった…

 

 

 

 

 

「秋矢さんて俺のこと好きとかほざいてませんでしたか?何故ライバルであるオータムナルさまを応援するんですか…」

 

 

やっぱりあの愛の告白は秋矢さんの冗談だったのか。

 

 

最初からおかしいと思ってたんだよ。うん、あれはまた俺をからかって楽しんでたに違いない。

 

 

悪趣味な人だなー(怒)

 

 

まったくなんて人……

 

 

 

 

 

「皇子にあなたがまた泣かされればいいのに……

 

 

そうしたら私がすかさずあなたの胸の内に入り込む。

 

 

私はあなたがたに協力するフリをして実は破滅を願っているのです」

 

 

 

 

 

真顔でさらりと言われ

 

 

破滅!!?

 

 

 

 

 

 

秋矢さんてやっぱ怖ぇえー……

 

 

 

 

 

 

P.330


 

 

秋矢さんもどこまで本気でどこまでが冗談なんか―――

 

 

俺には全く分からないよ。

 

 

いい加減振り回される立場から卒業したいんだけど……

 

 

でもそれだけは一生無理そうだ。

 

 

トホホ

 

 

と項垂れていると、ふわり……と嗅ぎ慣れない香りが秋矢さんから漂ってきた。

 

 

花のような甘くて……でもどことなく清涼感のある不思議な香り……

 

 

秋矢さんが愛用しているフレグランスなのだろうか…

 

 

それともちょっと違う匂いな気がするんだけど…

 

 

秋矢さんを見やると、「どうしました?」

 

 

と秋矢さんが不思議そうに目を細める。

 

 

「そんなに見つめられると照れますね。どうです?これから私の部屋に」

 

 

「照れっ!!?」

 

 

そんな真顔で言われましてもねー……!

 

 

「てか行きません!!」

 

 

「そうですか、残念です」

 

 

秋矢さんはさも残念そうに顔をしかめる。

 

 

はぁーーー、秋矢さんのお相手は大変だよぉ

 

 

 

P.331


 

 

ぐったりして部屋に帰りつくと、沙夜さんがお部屋の前で待ち構えていた。

 

 

「コウさんに小包が届いていましたので、お届けを」

 

 

「え?わざわざ沙夜さんが……?お手伝いさんは手すきじゃなかったんですか?」

 

 

「マリア様のお部屋にご用があったので、ついでと申しましては失礼かと存じますが」

 

 

「いえいえ!!わざわざありがとうございます」

 

 

渡された小包はそれほど大きなものではなかった。縦30センチ×横20センチ、高さ15センチと言ったところか、長方形の包み。

 

 

沙夜さんと別れて一人部屋に入ると、俺は早速その小包を解いた。

 

 

ガサガサ言わせて、薄茶の包装紙を捲ると、白い木箱が出てきた――――ところで俺は目を開いた。

 

 

古い木箱はところどころ赤黒い染みがあった。その赤黒い染みは言うまでもなく―――今度は口紅なんかじゃなく血液だ。

 

 

箱を扱った人間の手は血だらけだったのだろうか、ところどころ指紋がついているし、擦ったあともある。

 

 

慌てて宛名を確認すると、住所は書かれていたものの名前は未記入。

 

 

ドキンドキン……

 

 

と高鳴る心臓を宥めながら、その箱をそろりと開けると―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木箱には

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか出来損ないの人形が入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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