Autumnal

黒い瞳


 

 

長い髪は黒く、大きなガラス玉の目は一方が黒で一方が灰色をしている。赤い帽子をかぶって黒いワンピースに白いエプロン。

 

 

これは―――

 

 

ソフィアさんのテントで見た人形だ。

 

 

恐る恐るその人形を手に取ると、人形の背中から紐のようなものが出ていることに気づいた。

 

 

またも俺は震える手で何とか紐を引っ張ると

 

 

どうゆうカラクリになっているのか人形の口がカタカタ動き出し、ぎこちない動きで何かを口ずさんだ。

 

 

無邪気な少女の声が口から漏れる。

 

 

~♬Dark eyes, ardent eyes

Flaming and beautiful eyes

I love you so, I fear you so

For sure I've seen you at a sinister hour

 

(黒い瞳 情熱的な瞳よ

燃えるような 美しき瞳よ

貴方を愛している 怖いくらいに

貴方を一目見てから 私の人生は狂い始めた)

 

 

~♬Without meeting you, I wouldn't be suffering so

I would have lived my life smiling

You have ruined me, dark eyes

You have taken my happiness forever away

 

 

(貴方に会わなければ こんなに苦しむこともなかった

笑顔で人生を送っていただろう

僕の人生を狂わせた その黒い瞳

僕の幸せを永遠に奪い去っていった)

 

 

 

一通り聞いて、そのどこか物悲し気な曲にうすら寒い何かを感じた。

 

 

一言で片づけるなら「気味が悪い」

 

 

これはソフィアさんのテントに吊るされていた人形だ。何故俺のところに送られてきたのか。

 

 

人形の白い頬にも僅かに血がついた指で撫でた痕がうっすらと残っていて、俺は無意識にその人形を手放そうとした。

 

 

 

そのときだった。

 

 

人形の白いエプロンの下から、ふわり

 

 

一匹の蝶が舞い上がった。

 

 

 

 

P.333


 

 

黒地に黄色の文様のある揚羽蝶だ。

 

 

俺は人形をベッドの下に隠すと、慌ててその蝶の行方を追った。

 

 

ひらり

 

 

蝶は俺をまるで誘導するようにゆっくりと舞い進んでいく。

 

 

俺はその後をひたすらに追った。

 

 

~♪

 

 

どこからかいつか耳にしたメロディが聞こえてきて、うっすら開いた扉の隙間へ蝶はその場にすぅっと入って行った。

 

 

「待って……」

 

 

その蝶の後を追いかけるようにその部屋に入ると、

 

 

~♪……

 

 

いつか見た大きなグランドピアノの前に

 

 

秋矢さんが座っていて――――

 

 

蝶は秋矢さんの手にふわりと舞い降り、止まった。

 

 

秋矢さんは俺の存在に気づいていないのか、蝶に気づくとピアノを弾く手を休めゆっくりと手を挙げた。

 

 

蝶は秋矢さんの手の甲に大人しく止まっていて、ゆっくりとした動作で羽をばたつかせている。

 

 

秋矢さんは物憂げな表情でその蝶を眺めていて、その横顔がどこか寂しさを滲ませていた。

 

 

何て言うか―――黙ってれば(いや、黙ってなくても)超絶イケメンなわけで…どこか影を宿したその横顔が美しく、不覚にも見惚れてしまった。

 

 

ぼんやりと秋矢さんの横顔を眺めていると、蝶は俺の存在を報せるように羽をばたつかせ、俺の方へと向かってきて、やがて通り過ぎて行った。

 

 

そこでようやく秋矢さんは俺の存在に気づいたのか―――

 

 

「ミスター来栖」

 

 

目を開いて、固まった。

 

 

 

 

 

 

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「す、すみません……お邪魔しちゃったみたいで…

 

 

あの…蝶を追いかけてきたんです」

 

 

言い訳みたいな言葉を必死に並べると

 

 

「蝶?あなたは猫みたいですね」

 

 

秋矢さんは何がおかしいのかふっと涼しい笑み。

 

 

「すみません、お邪魔しました。帰ります」

 

 

蝶もいなくなったし、ここで長居するのもまた秋矢さんのおもちゃにされそうだったから…

 

 

くるりと踵を返そうとしてちょっと躊躇った。

 

 

「あの…秋矢さん……この歌ご存じですか?」

 

 

俺はさっき人形が口ずさんでいた歌を鼻歌で聞かせた。

 

 

「ああ、『黒い瞳』ですね。ロシア民謡の」

 

 

秋矢さんはあっさり言って、鍵盤の上に再び手を乗せると、メロディーを紡ぎ出した。

 

 

~♬

 

 

「そう…それ……」

 

 

確かに同じメロディだったけれど秋矢さんが作り出す音はどこか物悲しく、さっき人形の口から聞いたメロディより何倍も暗く感じた。

 

 

曲が終わっても、俺はしばらくの間ぼんやりと秋矢さんの姿を眺めていた。

 

 

「……す……ミスター来栖」

 

 

秋矢さんの問いかけでようやく我に返ってはっとなった次第だ。

 

 

「どうされました?私のピアノお気に召されませんでしたか?」

 

 

怪訝そうに聞かれて俺は慌てて手を振った。

 

 

「いいえ!何でもありません!ただ、ちょっとびっくりしただけで。

 

 

その…思った以上に上手で…」

 

 

慌てて言い訳を並べると、

 

 

「人にお聞かせする程でもありませんが」

 

 

「いいえ!そんなこと」

 

 

お世辞じゃなく秋矢さんのピアノは素人目から見てもうまいものだった。

 

 

ピアノのことは詳しく分からないけれど、プロでも通用しそうな。

 

 

そんなことを考えていると、秋矢さんは椅子から腰を上げ俺の元に歩いてきた。

 

 

一歩、また一歩と近づかれるたびに、距離が縮んでいく。

 

 

その縮めた距離に、逃げ出したいのに何故か逃げ出せない。

 

 

何て言うか……

 

 

今、俺が逃げ出したら―――

 

 

 

 

 

 

この人を―――秋矢さんを本当の意味で見失いそうになりそうだったから―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋矢さんがすぐ傍まで来て俺の目の前に立ち、やがてその高い影が俺を覆い尽くすことになっても俺は秋矢さんをまっすぐに見据え返していた。

 

 

「逃げないのですか」

 

 

そう聞かれて俺は目だけを上げた。

 

 

「俺がいつも逃げてる―――と?」

 

 

「違うのですか。あなたは私を毛嫌いしている節がありますので」

 

 

はっきりきっぱり言われて戸惑った。

 

 

秋矢さんに向き合おうとしても、やっぱりこの人は俺の一歩も二歩も先を行く人で―――

 

 

ううん、違う。

 

 

向き合おうとして、ちゃんと向き合わなかったのは

 

 

俺の方だ―――

 

 

「ミスター来栖……」

 

 

秋矢さんの手が俺の前髪にそっと伸びてきて、無意識のうちにぎゅっと目を閉じると、

 

 

「前髪、伸びましたね―――」

 

 

と、小さく囁いた。

 

 

「え――――……ああ……切りに行く暇とかなくて……」

 

 

 

 

 

言いかけた言葉を

 

 

 

 

 

秋矢さんの唇で――――吸い取られた。

 

 

 

 

予想もつかなかった時間差攻撃に、避けるどころかまともに…真正面から受ける形になった俺の唇。

 

 

「っ……!……ちょっ…!」

 

 

抗議しようにも、一々その言葉を吸い取られる。

 

 

やがて無遠慮な舌が俺の歯列をなぞり強引に口腔内に侵入してきて―――

 

 

「………ん!やめっ……!」

 

 

俺は本気になって秋矢さんを突き飛ばそうとしたが、その手をやんわりと阻まれた。

 

 

唇が一瞬だけ離れる。

 

 

目の前に―――いつになく真剣な顔の

 

 

 

秋矢さん

 

 

 

その顔が再び近づいてきて

 

 

「だ……ダメ!」

 

 

叫んだときだった。

 

 

 

 

 

 

「紅――――……?ここに居たのか。珍しいところに…」

 

 

 

 

 

なんて間の悪い―――

 

 

オータムナルさまが現れて、俺はその場で固まった。

 

 

 

 

 

 

P.336


 

 

オータムナルさまは俺たちを視界に入れると、こちらも呆けたように口を僅かに開いて俺たちを凝視。

 

 

「トオル……?お前……紅に何をしておるのだ」

 

 

「何って見てお分かりになりませんか、皇子。

 

 

ミスター来栖にキスをしていたのですよ」

 

 

ぁあ!!

 

 

何てこと言っちゃうんだよ、秋矢さん!!

 

 

俺は一人でパニック状態。

 

 

つい先日、秋矢さんと“仲良く”してた場面を見られてオータムナルさまに嫌われそうになったって言うのに。

 

 

今度の今度でもう―――だめだ。

 

 

俺の顔から血の気が失せて行くのが分かった。

 

 

顔面蒼白

 

 

って言うんだよな、こんなことを―――

 

 

もう終わりだ、とぎゅっと目を閉じようとすると

 

 

ぐいっ!

 

 

いつの間に近くに来ていたのかオータムナルさまが俺の腕を力強く引っ張り、手を開いた。

 

 

その開いた手を秋矢さんに向けると勢いよく降ろされる。

 

 

「オータムナルさま!!」

 

 

俺が彼を止めるより早く手は振り下ろされ、咄嗟のことで秋矢さんは目を閉じて、顔を背けた。

 

 

けれどオータムナルさまの手のひらは秋矢さんの頬をぶつことなく、震えた手のひらをゆっくりと下におろす。

 

 

「何故―――殴らないのですか」

 

 

気配を察した秋矢さんがそろりと目を開け、俺の背後に居るオータムナルさまを見やる。

 

 

「お前こそ、何故避けられるものを避けなかった、トオル」

 

 

オータムナルさまが低く聞いて、秋矢さんは切れ長の目を少しだけ細めてオータムナルさまを見据えた。

 

 

 

 

「皇子の寵妃を恋いうることは罪に値すると―――存じ上げておりますゆえ」

 

 

 

 

秋矢さんは淡々とした口調で語る。

 

 

言葉とは反対に少しも悪びれてないようだ。

 

 

てか!!そんなストレートに!!

 

 

と、俺だけがあたふた。

 

 

 

 

 

「随分はっきりと申したな、トオル。

 

 

 

お前は―――紅をからかって楽しんでいただけだと思っていたが、

 

 

 

まさか本気だったとはな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

P.337


 

 

それは俺も同じ想いだ。

 

 

まさかはっきりと宣言するとは俺も思ってもみなかったことで―――

 

 

しかも忘れかけてたけど秋矢さんてオータムナルさまの側室の一人じゃなかったっけ??

 

 

「恋愛面でこそこそするのは性に合いませんので。欲しいものは欲しい、

 

 

それがたとえあなたのものでも、私は手に入れたい―――と。

 

 

皇子

 

 

今まで私はあなたのどんな我儘にもお付き合い申し上げてきました。

 

 

時にはこの体を差し出したこともございました。自を犠牲にしたことも数知れず。

 

 

 

 

 

もうそろそろ私はあなたの愛玩具から解放されたい。

 

 

 

あなたの側室の場から暇(いとま)を取らせていただきたく、存じ上げます」

 

 

秋矢さんは恭しく頭を下げ、床に片膝を着く。

 

 

まるで紳士がレディーに対して敬愛を示しているかのようなその仕草は妙にキマッていた。

 

 

それは主君に対する反逆の謝罪でもあり

 

 

俺に対する深い敬愛の意でもあるようだった。

 

 

「私の―――側室の座を離れる―――と言うのか」

 

 

オータムナルさまはまさかこんなこと言われると思ってなかったのだろう、震える声を出して秋矢さんを見下ろす。

 

 

「側室は一人で十分。私が退(しりぞ)けば、その席をミスター来栖に譲ることができますゆえ。

 

 

 

 

我が君

 

 

 

もう―――十分ではないですか。

 

 

私は十分あなたに尽くしました。今度は―――自分から誰かを愛したい。

 

 

 

 

 

 

どうか―――この手をお放しくださいませ」

 

 

 

 

P.338


 

 

秋矢さんの言うことはもっともで、今までオータムナルさまの寵を受けていたその座を俺に譲る―――ということが何を意味するのか

 

 

どんな覚悟があるのか

 

 

俺には痛い程分かった。

 

 

 

 

 

同時にそれほどまでに愛されていることに――――気づいた。

 

 

 

 

秋矢さんはゆっくりと手を伸ばして俺の手を取るとまるで王子様がお姫様にキスをするような動作で俺の手の甲にそっと口づけ。

 

 

緊迫した空気が冷たくピリピリと漂っているのに、それとは反対に思いのほか温かいその唇に、心臓が変な音を立てる。

 

 

けれど―――

 

 

「ならぬ」

 

 

オータムナルさまが冷たく……低くたった一言言い、秋矢さんと俺の間に入り込みその手を引きはがした。

 

 

秋矢さんの指と俺の指が離れて行って、秋矢さんは名残惜しそうに手を宙ぶらりんにさせている。

 

 

今度はオータムナルさまに強引に肩を抱かれて、

 

 

「トオル、確かにお前には色々と我儘を言ったかもしれぬ。

 

 

私がお前を殴らなかったのは―――お前を、私の側室の一人として見ていたからだ。つまり少なからずともお前に愛情はある。

 

 

お前には―――できる限りのことをしてやりたい、と言うのが本音だ。

 

 

側室の座を退く、と言うのなら私は止めないし、今まで通り…いや、今まで以上にお前に対しての待遇を優遇すると約束しよう。

 

 

 

 

 

 

だが紅だけはだめだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.339


 

 

 

 

 

 

 

『だめだ』――――

 

 

 

オータムナルさまの言葉が心地よく胸に響く。

 

 

こんな風に―――求められたのは、随分久しぶりだ。

 

 

そこにたとえ愛情が無いにしろ、彼が俺を手放さないのは単なる所有物の一つと考えているからかもしれないけれど

 

 

それでも良いから傍に居たいと思う―――俺、相当

 

 

イカれてる。

 

 

「トオル、お前は言った通り今まで私に何かを求めてきたこともなかった。

 

 

何一つ欲しいとは言わなかった。私はそれが物足りなかったが、

 

 

はじめて願ったものが紅だったとは―――」

 

 

「ええ、はじめてですよ。はじめて心の底から欲しいと願ったものは。

 

 

皇子、あなたにこの気持ちがお分かりで?」

 

 

秋矢さんのストレートな言葉にドキンと心臓が跳ねる。

 

 

それは……俺を好きかどうか―――聞いてるようなもんじゃないか……

 

 

「私は――――……」

 

 

いやだ。

 

 

聞きたくない。

 

 

オータムナルさまが言いかけたとき、俺はその言葉を遮った。

 

 

 

 

 

「ま……待ってください!」

 

 

 

 

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俺を挟んで言い合いをしていた二人が顔を見合わせ、そして同じタイミングで俺を見下ろす。

 

 

美し過ぎる二人の男に見られて、しかも何故か俺を取り合って居る図に

 

 

わぁ!!そんないっぺんに見ないでください!!

 

 

カっと頬が熱くなった。

 

 

だが、今俺が頬を染めている場合じゃない。

 

 

「二人とも……その気持ちはありがたいのですが、俺の意見は無視ですか?

 

 

俺の意思は―――?側室になる、とかならないとか

 

 

勝手に決めないでください。

 

 

俺にだって意思はあるし、こうなりたいああしたいって希望もある」

 

 

俺が両手を挙げると、二人はまたぞろ顔を見合わせた。

 

 

「それはそうだが―――……いや……すまない、お前の気持ちを聞く前に勝手に言い合ってしまって。我ながら大人げないことをしたものよ」

 

 

最初に口を開いたのはオータムナルさまの方だった。

 

 

「大人げない……こと…ないです。

 

 

大人げないのは俺の方で……まだその……受け入れる準備ができていないだけで…」

 

 

もごもごと言うと

 

 

「それは皇子を受け入れる、とおっしゃっているのですか」

 

 

と今度は秋矢さんがツッコんでくる。

 

 

だぁかぁらぁ!!

 

 

何であなたはそう吉本並にツッコミを入れるのが早いんですか!

 

 

いや、吉本は今関係ない。

 

 

あー言えばこー言う。

 

 

秋矢さんに口で勝とう、なんて所詮無理な話で……

 

 

俺に残された最後の手段は――――

 

 

 

 

 

「俺にだって分かりません!失礼します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は脱兎のごとく走り出し、この部屋から飛び出た。

 

 

 

P.341


 

 

 

ああ、逃げ出しちゃったよ……

 

 

二人は俺を取り合ってぶつかり合ってくれたのに―――

 

 

悲劇のヒロインよろしく俺は一人暗い影を背負って、ズーンと部屋で項垂れていた。

 

 

秋矢さんは真剣にぶつかってくれた。

 

 

ホントは俺が向き合おうとしていたのに、やっぱり一歩早く秋矢さんに先を越された。

 

 

そして、みっともないけれど不意打ちを食らってどうしていいのか分からなくなった。

 

 

オータムナルさまは俺のこと――――何と言いたかったのだろう。

 

 

その答えを聞くのが怖くて――――

 

 

やっぱり俺は彼からも逃げ出したんだ。

 

 

どこまで意気地なしだよ、俺……

 

 

オータムナルさまの答えを受け入れることも、秋矢さんにしっかりお断りすることもできないなんて―――

 

 

自己嫌悪の塊を背負って俺はそれから三日間、病人でもないのにベッドで蹲っていた。

 

 

食欲なんて全くなくて、かろうじて水を飲むぐらいはできたけれど

 

 

睡眠の方はもっとひどくて、ちょっとうとうとするだけで二人の顔が夢に現れると言う始末。

 

 

おかげで完全な睡眠不足だ。

 

 

 

それともう一つ―――

 

 

俺には考えないといけないことがあった。

 

 

ベッドの下に隠したあの不気味なフランス人形を取り出し、何度も何度もその人形を眺める。

 

 

それこそスカートの中を覗いたり……

 

 

変態っぽいが……読者の皆様!断じて変な気持ちになったわけじゃないですよ!!

 

 

俺は真剣にこの人形の手が掛かりを探してましてね~……

 

 

けど

 

 

見れば見る程、これが歌を歌う以外のカラクリが隠されているとは思えなかった。

 

 

 

 

P.342


 

 

~♬

 

 

もう何度目かになる歌を俺はベッドで聞いていた。

 

 

人形を枕の横に座らせて、寝そべりながら頬杖をつき俺はそのフランス人形を眺める。

 

 

不思議なことに、最初は不気味だと思っていた人形にいつのまにか愛着を感じることになった。

 

 

「名前がないのは可哀想だよな……お前何て名前がいい?」

 

 

独り言を漏らして人形に問いかける姿―――傍から見たらかなりイタイが、部屋に籠って誰とも会話せずにいると自然こうなる―――……

 

 

って……そんなことを考える自分がイヤっ!!

 

 

俺はひきこもりの中学生か!

 

 

何度目かの歌のときに気づいた。

 

 

この曲を秋矢さんは「黒い瞳」と言った。

 

 

でも―――この人形の瞳は片方がくすんだ灰色をしている。とても黒とは言い難い。

 

 

「何でかたっぽだけ違うんだろう……人形師が作り忘れたのかな……

 

 

だとしたらソフィアさんは何故、こんな出来損ないの人形を大事にしてたんだろう…」

 

 

“出来損ない”と言われてムっとしたのか、人形が歌うのを止めた。

 

 

え゛!!

 

 

思わず人形の背に触れると、接触不良だったのか人形はまた歌い出した。

 

 

不思議だ―――まるで意思を持っているような―――そんな気がした。

 

 

腹が立つことを言われて気分を害し、背中を撫でられることで気持ち良いと言われている気がした。

 

 

「お前のご主人様は一体どうしてお前を大事にしていたんだろうな……」

 

 

人形の髪を撫でると、人形の大きな二つの目が俺をじっと捉えていた。

 

 

ソフィアさん―――……

 

 

今頃どうしているのだろう。

 

 

これを俺に送ってきたのはソフィアさんなのだろうか。

 

 

この血の痕を見て―――無事なのだろうかと不安になる。

 

 

それに何の意図があってこれを送ってきたのだろう。

 

 

またも考えがスタートに戻り、俺は人形を抱き上げた。

 

 

「なぁ、教えてくれよ。お前に何の秘密がある?」

 

 

一人ごちると、カーテンを開け放った窓から午後の陽が差し込み、人形の目をキラキラと輝かせた。

 

 

まるでビー玉をはめこんだような―――

 

 

黒とライトグレー………その双眼を見つめて

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……?」

 

 

 

 

 

 

 

小さな違和感を覚えた。

 

 

 

 

 

P.343


 

 

俺は腹筋で起き上がり、人形をさらに高く宙にかざした。

 

 

どっからどう見ても、それは変わり映えのないフランス人形で―――

 

 

違和感は、この人形じゃなく―――ううん…もっとずっと前に―――感じたことだ。

 

 

でもその“何か”が分からない。

 

 

思い出せ。

 

 

必死に記憶をまさぐるも、このフランス人形が教えてくれる“何か”が思い出せない。

 

 

 

 

 

 

「黒い―――瞳」

 

 

 

 

 

俺は曲名を呟いて、はっとなった。

 

 

違和感はそう、ずっとうんと前に感じていた筈だ。なのに―――何故今まで気づかなかった。

 

 

蛇のエリーを追って間違えて入っちゃった秋矢さんの部屋で見た―――“あれ”

 

 

“あれ”があると言うことは当然、なきゃならないものがもう一つある―――

 

 

筈なのに、“それ”が見当たらなかった。

 

 

そう言えば俺は秋矢さんが“それ”をしているのを見たこともない。

 

 

俺は人形を見つめたまま硬直した―――

 

 

 

 

 

 

何故

 

 

 

 

 

 

秋矢さんは―――“あれ”をする必要があるのだろうか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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