呪われた皇族
俺はオータムナルさまの手をそっと押しやった。
オータムナルさまはそれでも俺の手を振りほどこうとせず、ぎゅっと握ったまま。握られた手は乱暴なものや強引さは微塵もなく
ただ、少しだけ―――震えていた。
俺はオータムナルさまの手をそっと握り返し、無理やり笑った。
俺は―――卑怯な男だ。
オータムナルさまがどんな言葉を望んでいるのか分かっていながら、その答えを彼に返せないでいる。
「オータムナルさま、今日の授業がまだでしたね。
今日は―――あなたのお話をお聞かせください」
俺が話題を変えたことにオータムナルさまは不快そうな顔はせずに、真剣だった表情をまたも緩めた。
「そう………だったな。よかろう。今日は私の話をするとしよう」
――――
――
今日の授業は執務室ではなく、俺の部屋で…だった。
オータムナルさまがそう望まれた。
『このままお前の部屋になだれ込んで、お前のその帯をゆっくりと解いて着物を一枚一枚丁寧にはぎとってその大理石のような肌をゆっくり堪能したいが』
と言う彼のさっきの言葉を思い出し、色んな意味で危険だったが、
俺は確信していた。彼は何もしてこないだろう、と。
俺の気持ちを置き去りにして、強引な手段で手に入れようとしないと―――
この絶対的な信頼感は何だろう、と思うけれど、でも理屈じゃなく俺は彼を信用している。
俺のベッドに腰掛け、両手を後ろに着くとオータムナルさまは自分の隣をポンポンと叩いて手招き。
「こちらへ来い。紅」
招かれて俺は大人しくその横に座った。
P.143
「私の父上…王には二人の妃が居た。知っての通り私の母とマリアの母だ」
オータムナルさまが話しだし、俺はそれに頷いた。
「私の母は私が幼いころ亡くなった。マリアの母もマリアを生んですぐにお亡くなりになられた。二人とも病だった」
「へぇ……」
てことは王様は二人のお妃さまを亡くされたと言うわけか。お可哀想に……
「不思議なことに我が皇族に嫁いでくる女はみんな短命なのだ。
父上のまた母上も…父上が若い頃にこちらも病気で亡くなったとか」
呪われた皇族―――
何だかありがちなフレーズが浮かんできたが、俺は呪いなんて非現実的なものを信じていない。
オータムナルさまだってそうだろう。
「単なる偶然が重なったに過ぎない。現に内親王(女の皇族、姫さま)はみな長生きをしている。
カイルの母親…私の叔母に当たるお方も大変元気に活躍しておられる」
「じゃぁマリアさまも短命と言うわけではないのですね」
信じてない、って言ったけれどそれを聞いて少し安堵した。
でも――――
そうしたら沙夜さんは―――
「偶然とは言え―――もし……もしも‟呪い”なんてものが存在するのなら
沙夜のことが心配だ。あの娘は見るからに儚げで、病弱そうに見えるしな」
「だから―――
だから沙夜さんにあんなに冷たく?なるべく皇族に関わらないようにさせるため……」
俺が目を開くと、オータムナルさまは無理やり苦笑いを浮かべ俺の頬にそっと手を伸ばしてくる。
「理由がなく嫌っておったと思うのか?確かに物静かで何でも従順な沙夜は私の好みではないし、一生を添い遂げたいかと聞かれたらそうではない。
私はお前みたいにころころ表情が変わって、立場もわきまえず反抗してくるタイプが好きなのだ」
反抗してくるタイプが好きって…皇子さまもしかしてドM??いや、オータムナルさまの性格からしてそれを服従させたいって言うのが本音だろうな。
皇子さまはドSだ。
せっかくいい話を聞けたと思ったのに~!
「沙夜とて私のことを好いているわけではない。家のために仕方なく嫁がされた
憐れな娘だ」
オータムナルさまは俺の方を見ていたが、俺じゃないどこか遠くを見やって小さく吐息をついた。
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オータムナルさまは……俺が想像した以上にお優しい皇子さまだった。
この方がいずれこの国を支えていくのかと思うと、この国の人間じゃないけれど何だか安心できる。
「話は戻るが……私の父上は亡き母上たちに代わって私たち兄妹を大層可愛がってくれた。
まぁ王とは言ってもその前に父親だ。可愛がるだけではなく厳しい一面もあったし、しかられたことも何度もあるが。
でも父上の愛情は常に感じていた。一人の父親としての。
私は父上のことが大好きだった。いや、今でも好きに変わりないが―――
一人の男として一国を纏める王として尊敬しているし、そうなりたいと目標でもある……」
言いかけてオータムナルさまは口を噤んだ。
「どうしました…?続きのお話を」
俺がせかすと
「いや、私の話こそお前にとって退屈ではなかろうか、と」
「退屈だなんてそんな。オータムナルさまはおっしゃってくださいました。
俺を作ったのは俺の27年間すべての歴史だって。
だから俺も知りたいんです。オータムナルさまのすべてを―――」
俺はオータムナルさまの手をそっと取り、そのまま強めに引くと倒れかけ来た彼の頭を抱き寄せ、俺の膝に頭を導いた。
オータムナルさまが俺の膝に頭を乗せ、びっくりしたように目をまばたく。
「えへへ。膝枕……恥ずかしかったらやめます。
お父上の代わり―――じゃないですけれど、
俺―――あなたを包んで守りたい」
俺がオータムナルさまの肩に手を置くと、オータムナルさま起き上がる気配がなく俺の手を優しく包んできた。
「私より小さい……まるで弟みたいなお前が…私を守る―――…」
オータムナルさまがおかしそうに笑って、
「嫌ならいいですよ!どいてください!」とぷいと顔を逸らすと
「嫌ではない。むしろ安心する。お前の体温は心地よいな―――」
オータムナルさまは俺の膝に頭を乗せたままゆっくりと目を伏せた。
「お前の体温は―――ぬくもりは
父上に似ている」
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「私の話の続きはまた次回に聞かせよう。
お前と私の千夜一夜物語はまだはじまったばかり」
「ええ、楽しみにしていますよ」
交わされた約束。
それは明日と言う未来を二人で過ごす―――と言う約束。
話に終わりが来なければいいのに―――………
一年後、俺は日本に帰ると言うのに……何だか矛盾しているが
何故だか切にそう願った。
それから間もなくだった。オータムナルさまが静かになったと思ったら俺の膝で寝息をたてはじめたのは。
「オータムナルさま……?」
そっと肩を揺り動かしても起きだしてくる気配がない。
最近公務も立て続けだったし疲れてるんだろうなー……
このまま俺の膝で落ち着いて眠ってくれると、俺も嬉しい。
俺は……皇子さまの髪をそっと撫でた。
まるであどけない少年のような寝顔で眠る彼の姿が―――、一瞬だけ無防備な幼子のように見えて
愛おしかった。
俺の膝の上で眠るオータムナルさま。
ねぇオータムナルさま
俺たちは今
ちゃんと向き合えてますよね―――……
今までよりずっとずっと距離を縮められている―――……?
P.146<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6