Autumnal

蝶々夫人と険悪な晩餐会


 

 

その日の晩餐会―――

 

 

寄りによってこんなときに、カイルさまを除くマリアさま、沙夜さん、秋矢さんと言うメンツが久しぶりに揃った。

 

 

オータムナルさまは俺のこの姿がお気に召したのか、いつもなら秋矢さんが居るであろう場所に俺を置いて

 

 

「紅。酌をしてくれ」

 

 

と、俺に極上の笑顔を浮かべてグラスを掲げる。

 

 

「あ、はい!すぐに!」

 

 

俺は言われるままぎこちない手つきでワインのボトルを傾け、紅色の液体を注ぐ。

 

 

オータムナルさまのお世話と、締め付けられる帯で苦しくて食事なんて当然できないし。

 

 

代わりに秋矢さんはマリアさまのお隣で、彼女のお相手をしているが、俺と目が合うと可笑しそうにくすくす笑いを堪えていた。

 

 

くっそーー!!秋矢さんめ!!完全に楽しんでやがる。

 

 

ギリギリ歯軋りをしていると、いつもよりハイペースだったのか少し酔ったオータムナルさまが

 

 

「紅、日本の芸者はそれは美しい舞を踊るらしいな。父上から聞いた。

 

 

お前、踊ってみろ」

 

 

と、言い出し

 

 

はぁ!!?

 

 

「クック……!」

 

 

とうとう堪え切れなかったのか秋矢さんが声に出して笑った。

 

 

「わたくしも是非見たいわ!」とマリアさまが賛同し

 

 

しかし沙夜さんは「そんなご無理を…」と珍しくオータムナルさまに意見。

 

 

「私も是非見たいですね。ミスター来栖の舞を」

 

 

………

 

 

何だこれ。

 

 

公開イジメか……

 

 

 

ただでさえ屈辱的な恰好させられているのに、これ以上俺に恥をかけ、と??

 

 

 

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朱く塗った唇をぎゅっと噛んでいると、

 

 

「冗談ですよ。皇子、ミスター来栖にご無理を言って困らせてはいけません」

 

 

パンパン

 

 

秋矢さんがこの場の収拾を付けるため手を叩いて立ち上がった。

 

 

秋矢さん……俺秋矢さんのこと苦手だけど、たまにちょっと(ほんのちょっとだけ)頼れるときがあるんだよな~

 

 

けれど

 

 

ちょうど子羊のローストをナイフで切り分けていたオータムナルさまは、そのナイフの先を秋矢さんに向けた。

 

 

「Shut up,Toru.(黙れ、トオル)How dare you talk back to me.(いつから私に意見する身になった)」

 

 

「Brother what's the matter with you?(いかがされました?お兄様)You are in a bad mood.(ご機嫌が悪いのですか?)」

 

 

とマリアさまがつまらさなそうにオータムナルさまをちょっと睨む。

 

 

確かにオータムナルさまはいつもと違って、酷く不機嫌そうだった。

 

 

秋矢さんにそんな冷たい物言い、はじめてだ。

 

 

「コウに女装させたのはわたくしよ?それなのにお兄様はわたくし以上に楽しんでおいでのように見えましたのに。

 

 

興ざめしましたわ」

 

 

マリアさまは持っていたナイフを置くと、立ち上がろうとした。

 

 

「Wait!Maria.(待て、マリア)」

 

 

けれどマリアさまは兄上さまの命令なんて、聞く気もないと言った感じで腰を上げる。

 

 

「Weit.I have warned you already.(待て、と言ったはずだ)I won't tolerate your disregard for my authority.(私の権威を無視するなんて許さぬ)」

 

 

秋矢さんは目を細めて腕を組むと小さく吐息し、沙夜さんはこの場をどう取り収めようかおろおろしている。マリアさまはオータムナルさまの言葉を無視して立ち上がり、今にもこの場を去ろうとしていた。

 

 

な、何とかしなくちゃ………

 

 

咄嗟に俺は

 

 

 

 

 

 

「~♪Un bel dì, vedremo」

 

 

 

 

 

 

その場に場違いなほど明るい声で口ずさんで、着物の裾を翻した。

 

 

 

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「~♪levarsi un fil di fumo sull' estremo confin del mare.

(遠い海に煙がたち)」

 

 

 

俺の歌にオータムナルさまは目を開き、代わりに秋矢さんはどこか目を険しくさせて細め

 

 

マリアさまは楽しそうに手を組み、沙夜さんは困惑の表情を浮かべていた。

 

 

それぞれの表情を横目で見ながら俺は腰を反らして袖を翻す。

 

 

日本舞踊なんてテレビの中でしか見たことないけど、きっとこんな感じだろうな……

 

 

適当だけど、まぁ盛り上がってくれるんならいいや。

 

 

てかこの険悪なムードを何とかしなきゃ!と言うただ必死な思いだけだった。

 

 

「Mi metto là sul ciglio del colle e aspetto,e aspetto gran tempo e non mi pesa.

(近くの岬へ出て、そこであの人を待つのよ)」

 

 

歌いながら俺はオータムナルさまの手を取り微笑みかける。

 

 

「なんと………美しい……」

 

 

オータムナルさまがご機嫌を戻してくれて良かった。

 

 

俺はさらに袖を翻し、裾を捌くと今度は秋矢さんの方に近づいた。

 

 

あんたのせいで散々な目に遭ったよ!と八つ当たり気味で秋矢さんを睨むと、秋矢さんは腕を組み口元に淡い笑み。

 

 

「la lunga attesa.

(いつまでも)」

 

 

歌い終わって再び裾を捌き、秋矢さんにさっと背を向け膝をつくと、俺は背と腰を逸らすと秋矢さんの前で海老反り。

 

 

肩に掛けた打掛が僅かに滑り、ふわりと床に広がる。

 

 

反った態勢で……秋矢さんを見据えると、彼の顔が逆さに写った。

 

 

挑発する意味で口元に笑みを浮かべ、にやりと笑うと、

 

 

トン!

 

 

秋矢さんが片膝を着き、彼のナイフが着物の裾を突きさした。

 

 

その勢いで打掛が俺の肩から滑り落ち、重心が傾いたが、すぐに秋矢さんが俺の腰を支え

 

 

俺を間近で覗き込んでいた。

 

 

「トオル?」

 

 

オータムナルさまが立ち上がる。その姿を横目で見ながら秋矢さんは涼しい笑み。

 

 

俺の顎にそっと手を這わせると、誰にも聞こえない声でそっと囁いてきた。

 

 

 

 

「オペラ"蝶々夫人"ですか。ミスター来栖はイタリア語もおできになるとは。

 

 

今宵の舞は、素晴らしかったですよ。

 

 

 

 

 

ですがあなたは今―――囚われの蝶」

 

 

 

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俺は秋矢さんに顎を掴まれていたが、彼を睨む以外のことはしなかった。

 

 

きゅっと唇を引き結んでいると

 

 

突如腕を離され、

 

 

 

ドサっ!

 

 

 

俺は床に倒れた。

 

 

 

「紅!」

 

 

オータムナルさまが俺の元に駆けよってくる。

 

 

俺の足元には目にも鮮やかな打掛が淫らに舞い散っていた。

 

 

その裾は、秋矢さんが刺したナイフが刺さっている。

 

 

「楽しい余興でしたよ、ミスター来栖」

 

 

くすくす

 

 

秋矢さんは喉の奥で低く笑い、どこまでもこの状況を愉しんでる彼に本気で怒りを覚えた。

 

 

秋矢さんがナイフを裾から抜こうとしたが、それより一足早く俺がナイフを引き抜いた。

 

 

その切っ先を秋矢さんの喉元に突き付けると

 

 

「キャァ!!」マリアさまが悲鳴を挙げられ、

 

 

「紅!」オータムナルさまも手を伸ばしてきた。

 

 

けれど切っ先を突きつけられたご本人は顔の表情筋一つ動かさず相変わらずのポーカーフェイス。

 

 

俺はオータムナルさまとマリアさまお二人の反応を無視して秋矢さんを見据えると

 

 

 

 

 

「Playtime is over.(お戯れもほどほどに)」

 

 

 

 

 

一言、言って俺はナイフを投げ捨てた。

 

 

ドッ!

 

 

鈍い音が聞こえてナイフの切っ先は床に刺さり、俺は打掛を羽織りなおすと

 

 

裾を翻し、

 

 

 

 

 

広間を後にした。

 

 

 

 

 

 

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―――――

 

 

――

 

 

それから一時間後。

 

 

「ふぅ!さっぱりしたぁ!!」

 

 

着物を脱いでシャワーを浴び白塗りを落として、さっぱり。

 

 

「あんな重い着物着て化粧をして……歌舞伎役者さんは大変だな…俺には絶対無理だぁ」

 

 

「良くお似合いでしたよ。でも今日は一日お疲れ様でございます」

 

 

と沙夜さんが微苦笑を浮かべて着物の袖で口元を隠す。

 

 

怒って出て行ってしまった俺に、沙夜さんは気を利かせて夜食を俺の部屋まで届けてくれたのだ。

 

 

その後オータムナルさまは秋矢さんにご立腹で、彼を引き連れて広間を出て行ってしまったとか。

 

 

マリアさまも気づいたら自室に戻られていたみたい。

 

 

残った沙夜さんだけが俺の心配をしてくれていた。

 

 

差し入れは何と!沙夜さん手作り!!のおにぎりと、お漬物が少々。

 

 

全然食べれなかったし、沙夜さんの差し入れはありがたかった。

 

 

思えばあの場で沙夜さんだけが俺の味方でいてくれたし、ホントに優しいよな~

 

 

「うまい!沙夜さんいいお嫁さんになりますよ!!」

 

 

「まぁ大げさですわ」沙夜さんは小鳥のように無邪気に笑う。

 

 

はぁ……色々あった一日の終わりに沙夜さんの笑顔とヒバリのような声は癒される。

 

 

「それにしても秋矢さん!あの人何で俺ばっか構ってくるんですかね!」

 

 

理由は分かり切っていたが。

 

 

秋矢さんは俺のこと大嫌いなんだ。

 

 

「それは、秋矢様がコウさんのことをとてもお好きだからですわ」

 

 

はぁ!?

 

 

「嫌いの間違いじゃなくて?沙夜さん優しいから俺が傷つくとか考えていらっしゃるみたいですけど

 

 

俺、そこまでヤワじゃないですから大丈夫ですよ」

 

 

俺が明るく笑い飛ばすと

 

 

「本当のことですわ」

 

 

沙夜さんは真面目に呟き、どこか悲しげに目を伏せる。

 

 

 

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沙夜さんの物憂げな表情が気になったが、それ以上は深くツッコまず。

 

 

「今日、俺オータムナルさまのお父上の王様に会ってきました」

 

 

俺のベッドで着物を広げて畳んでいた沙夜さんが振り向いた。

 

 

「沙夜さんはお会いしたことが?」

 

 

「ええ、一度だけ。こちらに嫁いだばかりのときに。ご病気がちで弱っておいででした」

 

 

「そのとき君蝶さんのこと聞きました?」

 

 

俺が探るように聞くと沙夜さんは目をぱちぱち。

 

 

「君蝶……さま?さぁわたくしは存じ上げませんが」

 

 

この様子じゃ沙夜さんは知らないようだ。

 

 

「王様が俺を見て君蝶と言う女の人と間違えたんですよ。もしかしたら沙夜さんも間違えられたかな~とか思ったり…」

 

 

ごにょごにょ言うと

 

 

「いえ。わたくしはそのようなことは……

 

 

お名前からすると花柳界の方のようですけれど。王様とはどういった御関係で?」

 

 

「それが俺にも分からないですよ……

 

 

ただ、王様は酷く真剣だった」

 

 

「きっと日本に来日された際お召しになった芸者ですわ。コウさんもそのような恰好なされててたのでお間違えされたのではございませんこと?」

 

 

沙夜さんはそう結論づけた。

 

 

俺だってそうだと思いたい。

 

 

けれどあの王様の目は―――単なる芸者に向けた目じゃなかった。

 

 

「君蝶さんはきっと王様にとって特別な女性だったに違いない」

 

 

勝手に推理してそう結論付けると

 

 

「まぁ、それじゃ王様のお妃さまは三人だったってことに―――?」

 

 

珍しく沙夜さんが興味深そうに食いついてきて、

 

 

「ま、まぁ俺の単なる推理ですけどぉ」俺はあはは~…と笑って濁す。

 

 

「わたくし推理小説が大好きなのですわ。是非、コウさんのお考えをお聞かせください」

 

 

お聞かせください、と言われましてもねー……

 

 

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「たとえお妃さまが三人だったとしても何も問題ないんじゃないですか?

 

 

王族は一夫多妻制でしょう?」

 

 

首に掛かったタオルでシャワー上がりの髪をがしがし拭っていると

 

 

「そうかもしれませんが、前のお妃さまにお子様がいらっしゃったのならまた事情は変わってきますわ」

 

 

沙夜さんはいつになく真剣な表情でどこか遠くを見るように考え事。

 

 

「……それってオータムナルさまのお兄様かお姉さまがいらっしゃる可能性があるってことですか?」

 

 

思わず身を乗り出すと、沙夜さんは戸惑ったように体を後退させ

 

 

「いいえ……これも単なるわたくしの推測にすぎませんが……

 

 

コウさん、わたくしが言い出したとは言え……

 

 

わたくしが相手でしたらよろしいですが、このような発言は宮殿内ではお慎みくださいね。

 

 

変な噂が流れると、今は一丸となって皇子の後見人をしている老臣たちに派閥が生まれやがて次期国王に誰がなるのか諍いが起こる可能性もございますので」

 

 

派閥―――諍い―――……

 

 

嫌な言葉だ。

 

 

「皇子のお立場をお考えなら軽率な発言はどうかお慎みください。

 

 

今日こちらでお話したことは全てわたくしの胸の内にとどめておきますので」

 

 

沙夜さんはそう言って着物の上から胸元をそっと押さえる。

 

 

その様子を見て

 

 

「沙夜さんて……」

 

 

 

 

オータムナルさまのこと……お好きなんですね

 

 

 

 

その言葉は何故か飲み込まれた。

 

 

沙夜さんの本心を知ってしまったら、きっと俺凄く傷つくと思った。沙夜さんも―――傷つくと思う。

 

 

やっぱり………オータムナルさまと…こんな関係よくないよ。

 

 

実際俺たちの間には肉体関係が無いとはいえ、俺は少しずつ彼の優しいところ、思いやりに溢れているところ

 

 

時に怖くて、でも冷静で、頭が良く―――それでいて守ってあげたくなるような不思議な感じ。

 

 

それらの気持ちが俺の中にあるごちゃごちゃになって渦巻いている今、

 

 

これが何の感情か俺自身でも説明できないってのに―――これ以上踏み込んだら引き返せない泥沼にはまりそうで、

 

 

 

そうなったら今度こそ本当の意味で沙夜さんを傷つけてしまう。

 

 

 

俺はこの優しい女性(ヒト)を

 

 

 

傷つけたくない。

 

 

 

 

 

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沙夜さんは着物を畳み終えると、

 

 

「ではコウさん、ごゆっくりお休みになってください。

 

 

今日はお疲れでしょうし」

 

 

早々に部屋を出て行ってしまった。

 

 

まぁ考えたらあれだよな。若い男女が夜に二人きりで部屋に居るのは良くない。沙夜さんの判断は正しかったよ。

 

 

俺は沙夜さんが差し入れてくれたおにぎりと漬物を食べ終えると

 

 

髪も乾かすのも億劫で、そのままベッドにダイブ。

 

 

色々な疲れからいつの間にかうとうと……

 

 

――――『Kou』

 

 

またも夢の中で名前を呼ばれて、今度こそ俺は一度目の呼びかけでガバッと体を起こした。

 

 

「Stacey?」

 

 

彼女の名前を呼んで俺はこの前と同じように……この前は広間のロッキングチェアだったが、今度はベッドから降りると、声のする方へ今度は走って向かった。

 

 

まだ痛む足を引きづりながら、酷くぎこちない走りになったが、それでも探さずには居られない。

 

 

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ガラン、と空虚な音が聞こえてきそうな白い廊下は夜の闇が支配していて、ところどころキャンドルの火が燭台で揺れていた。

 

 

「Stacey?」

 

 

静かな廊下に俺の呼びかけははっきりと響いた。

 

 

それに呼応するかのように、ひらり……廊下の奥で白いドレスの裾のようなものが翻った。

 

 

「マリアさま?………沙夜さん……?」

 

 

俺が呼びかけても返事はない。

 

 

「誰―――……?」

 

 

と、問いかけても当然答えなんて返ってこない。

 

 

俺はその裾がひらひらしている場所まで走った。

 

 

俺の足音と松葉杖の音だけが広い廊下に響く。

 

 

廊下の角を曲がったところで、西洋の白いドレスを身にまとった髪の長い女が突っ立っていた。

 

 

胸元が大きく開いたデザインで豊かな胸を象徴するように深い谷間が刻まれていて、俺はそこからちょっと目を離した。

 

 

その人影はぼんやりと白いシルエットを纏って、朧げにゆらゆらと揺れているように―――見える。

 

 

マリアさま……沙夜さんとも違う―――

 

 

「誰……」

 

 

もしかして…

 

 

 

 

 

 

 

 

「Stacey?」

 

 

 

 

 

 

 

その呼びかけに、女がゆっくりと振り向く。

 

 

その顔を見て俺は目を開いた。

 

 

 

次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎ……ゃあぁああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の叫び声は広い宮殿内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

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