Autumnal

プランB


 

 

マリアさまをここに残す―――

 

 

と、決まったわけだが沙夜さんが言う『プランB』なんて考え、そもそも俺たちの中には無くて―――

 

 

任務が失敗した際、残された道は常に『迅速な撤退』が徹底して教え込まれている。

 

 

「でもあなた方がわたくしを護ってくださるのでしょう?

 

 

わたくしのガーディアンエンジェル」

 

 

マリアさまは異国での出産案が取りやめになって、ご本人もほっとしていらっしゃるご様子で、にっこり笑って俺の元へ歩いてくると、俺のすぐ隣に腰を落とした。

 

 

でも命を狙われるリスクが確実に増した―――

 

 

でも

 

 

「ええ。お任せください」

 

 

俺はそっとマリアさまの髪を撫でた。ステイシーの髪質に良く似たそれは、俺の指の間をスルスルと心地よく抜ける。

 

 

安請け合いしちゃったケド―――実際、どう動けば良いのか、なんて分からない。

 

 

でも

 

 

 

守らなきゃいけない。

 

 

絶対に―――

 

 

 

 

 

「“ヤツ”の動きを待っているだけではダメね。先回りして阻止しなければ」

 

 

その“ヤツ”って言うのが分かんないんだよ。

 

 

分かっていることはたった一つだけ。

 

 

「国王さまは、その“君蝶”さんのお写真とか何かお持ちでないのですか?」

 

 

俺の質問にオータムナルさまはゆるゆると首を振った。

 

 

「探せばあるやも知れぬし、特徴など聞かれれば良いのだが、あの通りほとんど枕に伏せっておられる状態だ」

 

 

これには一同が同じタイミングで首を縦に振った。

 

 

俺も一度だけ国王さまとお会いしたが、俺を見たらまた“君蝶”さんだと思われて混乱されるに違いない。

 

 

でも……

 

 

待てよ?

 

 

つまり、カーティア人のお父上と、日本人の母上との間なら子は間違いなくハーフだ。

 

 

それらしい人探せばいいじゃんね!?

 

 

な~んて……そう簡単にはいかない。そもそもこの国は多種民族が共存しているし、

 

 

大体遺伝子の不思議?みたいな突然変異が生まれてくる可能性だってありだ。(←人に対して失礼ですネ)

 

 

「せめて国王さまのお体の一部が、どこかに遺伝していれば良いんですが」

 

 

俺の言葉にカーティア兄妹は口をつぐんで考えていたが、たった一人、沙夜さんがはっとしたように目を開き

 

 

 

 

「Blond hair

 

 

and

 

 

 

 

 

Blue eye」

 

 

 

 

 

と、まるで独り言のように呟いた。

 

P.531


 

 

思わず俺はカーティア兄妹を見た。

 

 

確かにステイシー、オータムナルさま、マリアさまに共通している身体的特徴はその豊かな金髪と、まるで海の色を思わせる澄みきる蒼の瞳。

 

 

そんなこと今更確認することもないぐらい分かり切っている。

 

 

重要なのはそこじゃない。

 

 

 

 

 

 

「――――Blue eye.

 

 

 

 

あのコンタクトケースは………いや、コンタクトは……近視用ではなく、ましてやオシャレの為でもなかった―――……?

 

 

だからメガネがなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋矢さん――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が言い切ると、

 

 

「トオルが!?私の兄上だと申すのか、お前は!」と、オータムナルさまが一瞬驚いたものの、すぐに「何を可笑しなことを!私たちきょうだいは似て居るが、あいつとは似ても似つかない。

 

 

そもそも髪も瞳も黒ではないか。黒曜石のように」と笑い飛ばした。

 

 

「だからそれはコンタクトで……」と言い掛けると同時に沙夜さんが厳しい口調で俺に被せた。

 

 

「可能性はあるって言うことよ。まだ断定はできない」

 

 

だが意外にも、肯定したのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリアさまだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘よ………嘘よ……」

 

 

声を震わせて……いや、いっそ全身が小刻みに震えていて顔色は真っ青。今にも倒れそうなその変わりように俺は慌ててすぐ近くに座っていたマリアさまの細い肩を支えた。マリアさまは震えていらっしゃると言うのに、温かい素材のワンピースの上からでも、その熱が伝わってくるほど、体温が高かった。

 

 

「Saying it's a lie!(嘘よ!)」

 

 

もう一度、今度は叫ぶように言って顔を覆うと、マリアさまはとうとう声を出して泣き声を挙げた。

 

 

いきなり首(コウベ)を垂れて号泣しだしたマリアさまを見て、オータムナルさまが

 

 

「Maria!What's wrong?(マリア!どうしたと言うのだ!)」と、俺の前に回り込みその細い背中にそっと手を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

マリアさまは涙に濡れた顔で、まるで憎い何かを睨みつけるかのように視線を厳しくさせて、

 

 

 

 

 

 

 

「Butterfly.(蝶よ)」

 

 

 

 

 

たったその一言はまるで永遠に続く呪詛のように、低く俺の耳の中で

 

 

繰り返される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.532


 

 

 

マリアさまは髪を首の後ろに垂れた長い髪をかき分けた。

 

 

見事な―――まるで上質の金糸のような滑らかな髪。カーティア3兄妹はその髪質を国王さまから色濃く受け継いだと思われる。俺はオータムナルさまのその滑らかなブロンドも、ステイシーの豊かな金髪も大好きだったが、

 

 

今ほど、この髪が疎ましく思ったことがない。

 

 

以前沙夜さんから聞いた―――『その場所にタトゥーがあることを』何故、その時点で

 

 

 

 

 

気付かなかった。

 

 

 

 

 

マリアさまのちょっと力を入れれば折れてしまいそうなか細く、しかし俺が大好きな紅茶色の……これまたきめ細やかな肌に浮彫になっていたのは

 

 

「Butterfly.」

 

 

俺が一言、確認する意味で呟くと、オータムナルさまが、マリアさまの背中に回されていた手が、まるで糸の切れたマリオネットのように力を無くして、だらりと落ちた。

 

 

恐らくオータムナルさまはマリアさまの首の後ろにこのタトゥーがあることを知らなかったのだろう。その場所を凝視して目を瞠っていた。

 

 

だが

 

 

 

 

 

 

 

 

秋矢さんの体の一部には――――……?

 

 

 

 

 

 

 

 

「Oh my god……」

 

 

今度はオータムナルさまが呟き、その返答で

 

 

何を意味するのか、分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人がタトゥーを入れるのはファッションやオシャレの軽い感じのものもあるが、それ以上に何か強い、強い―――想いや信念があると言うこと、俺は……いや、沙夜さんも……知っている―――

 

 

マリアさまは心の底から秋矢さんを愛していたに違いない。

 

 

だから、大切な人と同じものを共有したかったのだ。

 

 

 

 

 

俺がステイシーを『太陽』に例えたように。

 

 

 

 

 

 

体の一部に刻み込むことによって、それが不屈の愛であると言う

 

 

 

証だ。

 

 

 

 

見たことがないが、オータムナルさまも知っていらっしゃるご様子だと、きっと秋矢さんの体の一部に

 

 

それは刻まれている。

 

 

 

 

 

 

 

亡き母へ向けた

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠の

 

 

 

 

 

 

 

愛の象徴――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.533


 

 

「沙夜さん……ちょっと…」

 

 

俺は、呆然と項垂れるオータムナルさまと、ただただ泣き崩れるマリアさまから少し離れ、沙夜さんを手招き。

 

 

「What?」

 

 

沙夜さんが面倒くさそうに、だが俺に腕を引かれても抵抗はしなかった。

 

 

「沙夜さん、秋矢さんと寝たんでしょ?何故、秋矢さんの体の一部に蝶のタトゥーがあること、知らなかったんですか」

 

 

随分とストレートな物言いだが、この際言葉を選んで居られない。

 

 

それほど切羽詰まった状態なのだ。

 

 

沙夜さんは俺の直球の投げかけに、思いっきり顔をしかめ

 

 

「あまり見てないもの。第一“する”ときはお互いの顔すら見えないぐらい暗かったしね」

 

 

「そーなの…?てか、それじゃ見にくくね?何かさぁ…こうちょっとトーンダウンしたぐらいがさぁ。表情見れていいじゃん?」

 

 

俺の猥談にも沙夜さんは動じず、

 

 

「見なくて結構。私が秋矢と寝たのは情報収集意外何の目的もなかったから。それに私も肩にタトゥーが彫られてるのを見られるわけにはいかなかったからね。深層のご令嬢が刺青なんておかしな話でしょうが。こちらの正体がバレるような危ない橋は渡れないわ」

 

 

と、俺の論点のズレた発言に、あっさりばっさりと言い返す沙夜さん。

 

 

ま、まぁ??確かに......

 

 

でも!

 

 

「だって前、顔と体“だけ”は良いって……言ってたジャン?」思わず口を尖らせると

 

 

沙夜さんは俺の鼻の頭に指をさし

 

 

 

 

 

「あれは、嘘よ。確かに彼とは肉体関係があったけれど、

 

 

この際だからハッキリ言わせてもらう。

 

 

 

私はオトコに興味がないの。

 

 

 

彼と寝ることは拷問に等しかったわ」

 

 

 

 

 

 

 

え……

 

 

そ、それって―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぇええええええ!!!」

 

 

 

 

 

P.534


 

 

「どうしたと言うのだ、紅。何か分かったのか」

 

 

秋矢さんの正体に勘付いて微動だにできずにいたのに、さすがに俺の叫び声には反応された。ひどく心配そうに眉間に皺を寄せている。

 

 

「い、いえ!何でもッ!It's OK!」

 

 

つっかえつっかえ何とか言って慌てて手を振ると

 

 

オータムナルさまは頭に「?」マークをいっぱい浮かべてこちら(俺と沙夜さんの会話)の様子が気になる模様。

 

 

「つまり……あれですか……

 

 

ステイシーのこと……

 

 

す、好きだったり………しました……?」

 

 

俺、何か日本語変。

 

 

「Yes」

 

 

沙夜さんは即答。

 

 

「ステイシーはそのことを……?」

 

 

恐る恐る聞くと、「知るわけないでしょ?私の気持ちも知らずにあなたとのノロケ話ばかり聞かされた身としてはたまったもんじゃないわ」と沙夜さんが目を吊り上げる。

 

 

な、何かスミマセン……

 

 

 

 

 

だから……

 

 

だからステイシーの遺体が見つかったとき、クリスマスツリーの前で泣いていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「彼女は私の“月”だった。

 

 

暗い夜闇を照らし出してくれる、たった一つの―――ね。

 

 

 

 

 

 

私から光を奪ったのは、

 

 

 

 

――――秋矢よ、紅」

 

 

 

 

 

 

 

一つずつ、謎が解けていく。まるでゆっくりと解かれるロープの結び目のように。

 

 

そう、そのロープはいつだってしなやかに形を変え、ずっと俺たちの動向を見張っていたのだ。

 

 

闇の中で、ただ一点だけを―――

 

 

 

 

そうそれは、まるで

 

 

 

 

 

 

 

蛇のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.535


 

 

以前、オータムナルさまの寝所にアコニチンを塗ったレイラを放ったのは

 

 

秋矢さんだ。

 

 

毒は一噛みで人を一瞬にして死に至らしめるには充分な量だった。

 

 

俺がその毒でまさに死に損なったのだ。

 

 

でも……秋矢さん―――

 

 

 

 

 

『私は雪の日に、唯一の肉親である母を亡くしました。

 

 

産みの母は……いわゆる未婚の母って言うやつで

 

 

私は私生児でした』

 

 

 

『あなたに出逢ったから―――本当の意味での愛を知った。

 

 

 想い出よりも大切なものができた』

 

 

 

 

 

秋矢さんが立ち去る前に聞いた台詞が耳の奥でくるくるくるくる、まるでメリーゴーランドのように回っている。

 

 

「――――……ウ…紅!」

 

 

名前を呼ばれてはっとなった。目の前に、目尻を吊り上げた沙夜さんが真剣な表情で俺を睨んでいた。両肩を掴まれて揺さぶられる。肩の筋肉に指が食い込んで痛いぐらいだ。

 

 

「しっかりしてよ。秋矢に同情なんてしないで。

 

 

私たちの愛した人たちが殺され、今度はこの国を乗っ取るため、カーティア兄妹を狙ってるの!ステイシーの二の舞にする気!?」

 

 

 

 

 

 

 

Sympathy――――

(同情――――)

 

 

 

 

 

 

「No way.(まさか)」

 

 

俺は低く呟いた。沙夜さんが掴んでいた指の力が緩み、俺は丁寧にその手を押し戻した。

 

 

「今まで彼の計画は完璧だった。こっちは二人組だって言うのに、全て先手を打ってきた。

 

 

だがたった一つだけ、彼はミスを犯した」

 

 

「ミス―――……?」沙夜さんが怪訝そうに聞いてきて、俺は彼女にそっと微笑んで見せた。

 

 

 

 

 

「ああ。

 

 

 

俺を殺し損ねたって言う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミスをね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.536


 

 

正直、未だに信じられないぐらい彼は俺の内側に入ってきて、俺すらも知らない内にどんどん浸食していった。

 

 

まるで真っ白な紙に墨を垂らすように―――

 

 

ゆっくりと、だが確実に。

 

 

 

 

職務

 

 

やがては、嗜好

 

 

そして過去

 

 

 

 

とどめに

 

 

 

 

 

 

―――愛

 

 

 

 

 

 

 

一度黒く塗られた白い紙は、もう元には戻らない。だが白紙にする方法はある。

 

 

墨によって浸食された紙を破り捨てて、新しい紙を用意するだけだ。

 

 

「オータムナルさま、このお部屋にPCはございますか?」未だ泣き続けているマリアさまの背中を抱いていたオータムナルさまは、ゆるりと顔を上げた。そのサファイヤブルーの瞳がゆらゆら揺れている。

 

 

「何をするつもりだ、紅」

 

 

「あるのですか?無いのですか?」ベッドに腰掛けたままのオータムナルさまの、同じ視線になるようにちょっとだけ腰を落とし、せっかちに二択で聞きなおすと、

 

 

「この部屋には置いてはおらぬ……」オータムナルさまは申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

 

皇子さまのお部屋にPC類が無いのが意外だったが、普段の職務では使いこなされていらっしゃる模様だし、激務から解放されていっとき癒しが欲しかったのだろう。

 

 

「かしこまりました。では作戦会議は俺の部屋で」とちょっとウィンクすると、オータムナルさまは切れ長の目を不思議そうにパチパチまばたいた。

 

 

 

 

P.537


 

 

酷なことだったが、マリアさまにはいっときだけ涙を止めてもらって、沙夜さんが彼女の両肩を抱いて付き添った。オータムナルさまは俺の一歩後を慌てて追ってくる。

 

 

「紅………紅!お前は何をしようと言うのだ!」

 

 

俺はパッと振り向くと、「しー」と唇に人差し指をやった。秋矢さんがこの宮殿内の人間をどれぐらい俺と同じように、まさに“浸食”していったのかは、分からない。

 

 

あの人は、人を使うのが上手い。

 

 

カイルは秋矢さんを毛嫌いしていたフシはあったが、秋矢さんはカイルの国、イギリスの人間を巧みに俺たちにし向けてきた。

 

 

恐らく秋矢さんがこの国の政権を自らのものにしたら、カーティアとイギリス間で『和平』以外のもっともっと暗くて恐ろしい『取り引き』が存在しているのだろう。

 

 

人ひとり簡単に殺せる冷酷で、かつ十年も時を掛けて綿密に、だけど確実に築き上げてきた周到である人間の辞書に『和平』などの文字は存在しない筈だ。

 

 

だからイギリス領事館の人間は秋矢さんに従って、俺たちを襲ってきた―――

 

 

それはオータムナルさまさえご存じないカーティアの『裏』そして『闇』の部分を明らかにすることになる。

 

 

問題は、“それ”が何なのか。俺には分からない。秋矢さんがこの国に執着する理由が

 

 

きっと他に

 

 

ある筈だ。

 

 

自分の部屋に向かう最中、いつもお勉強会と称したお喋りや戯れの……甘い甘い………時間の何と短かったこと。

 

 

オータムナルさまがお気に入りだと仰ったあの『最後の晩餐』

 

 

 

 

 

裏切り者(ユダ)は

 

 

 

 

あんただったんだ―――秋矢さん。

 

 

 

俺から……いや、この国の人々から光(神)を奪おうとしているのなら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はもう容赦しないよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

秋矢さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Get prepared.

(覚悟しな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.538


 

 

俺とオータムナルさま、そして沙夜さん、そしてマリアさまの四人と言う組み合わせで今は俺の部屋に居る。

 

 

何だか変な組み合わせだが、オータムナルさまマリアさまご兄妹の護衛と安全は、ここの衛兵に任せるより、俺と沙夜さんの方が良い。何せ衛兵の誰がユダ(敵)で誰が使徒(仲間)なのか分からない危険な状況だ。

 

 

俺はテーブルの上に置いたノート型のPCを開いて、両手の関節をコキコキ鳴らした。

 

 

「何をしようと言うのだ、紅」と、俺のすぐ傍でテーブルに手をついたオータムナルさまがPCと俺との間で視線を行ったり来たり。

 

 

沙夜さんは俺の部屋の入口で扉に耳をそばだて、外の様子を窺って居る状態で

 

 

マリアさまは俺のベッドに腰掛け、不安そうに俺たちと沙夜さんとの間でうろうろと視線を彷徨わせている。

 

 

 

 

涙は枯れる―――

 

 

いいや……きっと枯れることなんて、ないだろう。

 

 

マリアさまは、俺と沙夜さ…SYのように、大切な何かを物理的に奪われたのではなく、

 

 

もっともっと大切な何かを奪われたのだ。

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリアさま……この問題が片付いたらお腹の中の赤ちゃんの名前一緒に考えましょう」

 

 

何とか元気付けたくて、でも俺は完全に力不足で―――……

 

 

ホント……こうゆうとき、自分の不甲斐なさを恥じる。いくら武器やPCの扱いが上手くても、今……この瞬間、マリアさまの御心を癒すことができない自分がどうしようもなく嫌になる。

 

 

マリアさまを傷つけたのは俺なのに―――そのアフターケアもできないくせに。

 

 

けれど

 

 

 

 

 

マリアさまはすぐ近くで寄り添って居た沙夜さんの手をきゅっと握りながら、俺の方へ視線を向けて大きな目を開いていた。

 

 

「………紅……赤ちゃんを、産んでも宜しくて?」

 

 

 

 

P.539 


 

 

 

 

マリアさまの質問に俺はぎょっとなった。

 

 

「も!もちろんですよ!!ね、沙夜さん!女性は出産が一番大変ですから、これから何かと沙夜さんにご相談されると良いかと」

 

 

沙夜さんの方を見て同意を求めると、沙夜さんは自分に縋ってくる小さな手をきゅっと握り返し、マリア様を覗き込むように真正面から見据え

 

 

「初産は何かと大変だと窺います。残念ながらわたくしにその経験がございませんが、この国の医療なら安全に出産することが可能かと。わたくしもお傍に着いております故、どうかお心を穏やかにお過ごしください」

 

 

と、それは“沙夜姫”の声音で、優しく諭すように言う。

 

 

「だって……逆賊の……しかも実の兄上の子と分かって居ながら―――お兄様………」

 

 

マリアさまは不安そうにオータムナルさまの方を仰ぎ、オータムナルさまは腕を組むと、やや不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

 

 

 

「私は厳格なるカトリック教徒だ。

 

 

授かった命が、例え禁忌の子であろうと―――中絶は一切許さぬ」

 

 

 

あの~厳格なカトリック教だったら、同性愛も禁じられてますよネ??と言う俺の心のツッコミはともかく、

 

 

オータムナルさまは、マリアさまの元へゆっくりと歩いて行かれると、俺のベッドに腰を下ろしていたマリアさまの視線に合うように膝を付き、

 

 

 

 

 

「マリア―――……

 

 

私はお前が羨ましいのだよ。どんな形であれ、愛した証を残せるお前が」

 

 

 

 

 

オータムナルさま………

 

 

 

 

 

 

「生まれてくる赤子の名前は決めてある」

 

 

……え?

 

 

てか勝手に??マリアさまの意思は無視??やっぱ俺様なんだな……

 

 

でも―――

 

 

 

 

 

 

 

「Stacy.」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.540


 

 

 

オータムナルさまがハッキリと言い切って、俺は目をまばたいた。やがて目を開いて彼を見つめていると、

 

 

「ステイシーなら男女どちらが生まれようと、付けられる名ではないか?」と、今度はオータムナルさまがキョトン。

 

 

目を開いていた俺は、乾ききった水晶体に酸素を与えるようにまばたきをすると

 

 

その目から、涙が一つ零れ落ちた。

 

 

ステイシー……俺は今度こそ、君を護れるだろうか。

 

 

いや、護ってみせる。

 

 

「あ~あ~、皇子はいっつも紅を泣かせるんだから、しょうもないわね」と沙夜さんが意地悪そうにオータムナルさまに笑いかける。

 

 

俺には仲間が居る。

 

 

「わたくしにはガーディアンエンジェルが着いているから、きっと元気な子が生まれてよ?」

 

 

守るべき人が居る。

 

 

 

 

「お前の“愛”の形は―――そうやって受け継がれていくのだ。決して無くしたワケではない。

 

 

これからもずっとずっと、永遠に―――」

 

 

 

 

愛する人が居る。

 

 

 

 

 

 

俺は―――愛する人…ステイシーを失ったが、それは形を変え、姿を変え

 

 

俺の心の中で永遠に―――

 

 

 

 

 

 

生き続けているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.541


 

 

俺はテーブルの上に置いたノート型のPCを開いて、両手の関節をコキコキ鳴らした。

 

 

俺のPCにはロックが掛かって居ない。敢えてそうしていた。

 

 

万が一、少しでも“俺”と言う人物に疑いを持つ者が現れても、限りなくシロに近いただの男だと思わせるため。だがそれは“俺”が張っていた予防線の一つにしか過ぎない。

 

 

「“裏”のネットワークがあります。俺と沙夜さんが……正確にはTとSYがやりとりしていたのもここだし、ありとあらゆるシステムにハッキングもできる。まずは秋矢さんが本当にこの国を出国したか知りたい。

 

 

今までの彼のやり口からすると、すぐ近く……傍で俺たちを“監視”していたに違いない」

 

 

「何と!」とオータムナルさまが声を挙げる。

 

 

“表”のPCでは暇つぶしに見た、動物の面白動画とかだけの履歴しか残っていない。徹底して足跡を残していない筈だから、まずこのPCが疑われて没収されることもないだろう。

 

 

万が一PCを盗難されたり、何等かの事情で警察等に没収されても、俺のスマホ一つでシステムの全てをリカバリーできるように設定してある。

 

 

俺の説明を聞いていたのだろう、マリアさまが興味を持ったのかベッドから立ち上がり俺の元へ歩いてくる。

 

 

「トオルが出国したかどうかをどうやって調べるんですの?」

 

 

「ターミナルのPCに侵入します。ハッキングすると言えば分かりやすいですか」

 

 

「まぁ!」

 

 

マリアさまが口元に手を当て、驚きを浮かべる。「何だかスパイみたいですわね♪」なんて場違いに明るい声で俺の両肩に手を置いた。スパイ“みたい”じゃなく、“スパイ”なんですけどネ。ま、この際どうだっていいや。

 

 

マリアさまは明るくおっしゃられたが、空元気に違いない。俺の肩に置かれた指先は僅かに震えていたし、熱をもったように熱い。その右肩の方からマリアさまの手を、そして左肩からは沙夜さんが、それぞれ彼女の手に手を重ねた。

 

 

 

 

 

俺たち四人は―――今、一つのチームになったんだ。

 

 

 

 

 

P.542


 

 

 

早いスピードでウィンドウが入れ替わり立ち代わり、立ち上がったり消えたりするのを必死で目を追い

 

 

ほとんど暗号化されている情報に、カーティア兄妹は数秒で『お手上げ』と言う状態で肩をすくめる。

 

 

「何が書かれているのかさっぱり分からぬわ。CIAとは、速読も必須科目なのか?」と聞かれ

 

 

「まさか」俺は軽く笑った。「長年してると誰でもこうなりますよ、ね。沙夜さん」と今度は俺が沙夜さんに同意を求め

 

 

「あなたと私を一緒にしないで欲しいわ」と沙夜さんから冷たい一言。

 

 

「あはは……そうですよね~スミマセン」と俺は焦々。確かに沙夜さんは俺よりずっとずっと頼り甲斐あるしな…

 

 

なんて考えていると、

 

 

 

「You are a genius.

Don’t do it with me of mediocrity.」

 

 

 

 

と、沙夜さんの一層低めた囁き声で一言だけ呟かれた。

 

 

 

 

 

俺は思わずPCのキーボードに滑らせていた手を休めて目を開いた。

 

 

カーティア兄妹も思わず、と言った具合で顔を見合わせ、やがてオータムナルさまがちょっと苦いものでも口にしたような口調で

 

 

「意味が分からなかったか?私が訳してやろう」と、ちょっと沙夜さんの方へ顔を向ける。

 

 

「いえ、その必要はございません」

 

 

俺は慌てて顔を横に振った。

 

 

沙夜さんが言った言葉

 

 

 

 

 

『あなたは天才よ。凡人の私と一緒にしないで』

 

 

 

 

 

 

「Is it the emergence of an unexpected rival?」

 

 

今度はオータムナルさまが呟かれて、俺は思わず顔を覆った。顔の表面が熱くなるのが分かる。

 

 

「今度はわたくしが訳してさしあげてよ?♪」とマリアさまはどこか楽しそう。

 

 

「No Thanks」

 

 

それも丁寧にお断りした。

 

 

オータムナルさまが囁かれた言葉

 

 

 

 

―――思わぬライバルの出現か?

安心してください。それは天と地がひっくり返ってもありませんから!

 

 

 

 

P.543


 

 

「たった今、ターミナルのPCにハッキングしましたが、やはり彼が出国したデータは残っていない」

 

 

「と言うことはトオルはこの国に留まったと言うことか」

 

 

「ええ、運が悪いことにどこで何をしているのか全く分からない状況です」

 

 

今度は俺がお手上げのポーズで軽く肩をすくめて見せる。

 

 

「トオルの車は駐車場に残されていましたわ。空港までハイヤーかタクシーを使ったのかもしれなくて?」

 

 

マリアさまの発言は、大きなヒントになった。

 

 

「お抱えのハイヤーならともかく、タクシーならクレジットカードを使ったかもしれない」

 

 

「キャッシュだったらoutだけどね」と意地悪く沙夜さんが口の端をひん曲げる。

 

 

そんなぁ~!!ガクリ……落ち込んでる暇はない。

 

 

「と・に・か・く!!彼のクレジットカード情報を知りたい。沙夜さん」俺は自分のスマホを沙夜さんに放り投げると、沙夜さんはそれをキャッチ。

 

 

「どうしようと言うのだ」オータムナルさまが不思議そうに沙夜さんの方を仰ぎ見る。沙夜さんはマイペースに俺のスマホに指を滑らせ

 

 

「原始的な方法よ?私にはこっちの方がやりやすい」

 

 

「Hi.My husband lost my credit card. Can you check card number?His name is Toru…

(ハーイ、夫がクレジットカードを無くしてしまったの。カードナンバーを照合してくださる?彼の名前は徹……)」

 

 

沙夜さんが“沙夜姫”だったときのような優しい声音で電話をしている。相手が何を言ったのか分からない。

 

 

「Huh? Can not be taught if you can not confirm with yourself?

(はぁ?本人確認ができないと教えられない?)」

 

 

沙夜さんのやりとりにカーティア兄妹が目を細めたのが分かる。『そんなの当たり前だ。無理だって』と言いたげだ。だけど沙夜さんだってこんなこと想定内だってこと分かっている筈だ。

 

 

「OK.」沙夜さんの声が一段と低くなった。沙夜姫から沙夜さんに……いや、SYに変わった瞬間だ。

 

 

P.544


 

 

「Actually, my stupid husband ran away with the mistress!

(OK)実はね、バカな夫が愛人と駆け落ちしたのよ!)

 

If you are a woman you know my miserable feelings and anger?

(あなたも私と同じ女ならこんな惨めな気持ちと爆発しそうな怒りを理解できるわよね!?)」

 

 

沙夜さん……すっげぇ名演技だな!!

 

 

それから数秒後

 

 

「Aha?……OK.Thank you.」

 

 

沙夜さんは通話を切った。「ナンバーが分かったわ。5897-3971649-XXXXXX」

 

 

俺は苦笑い。元々“SY”のやり口を知ってるから今更だが、カーティアご兄妹のお二人はこの豹変ぶりに唖然。

 

 

だが、その反応を面白がってる余裕なんてない。沙夜さんから聞いたナンバーで即座に履歴を調べたが、秋矢さんが発ったとされるクリスマスイブの日から金が動いた形跡はない。

 

 

用意周到だな。俺たちに調べられると思って現金払いにしたに違いない。

 

 

こうなったら秋矢さん個人のPCに侵入するしかないな……

 

 

と、決め込んだが

 

 

数秒後に撃沈。

 

 

「Damn it!(くそっ!)」

 

 

俺はPCが置かれたテーブルを拳で叩いた。

 

 

「どうしたと言うのだ」オータムナルさまが頭を抱え込んだ俺を覗き込んできた。

 

 

「鉄壁のファイヤーウォール。プロトコルも1時間間隔で変化してる。侵入不可能だ」

 

 

「それは厄介ね」

 

 

沙夜さんが眉根を寄せた。

 

 

「そんなに深刻な事態ですの?紅が無理なら沙夜姫なら…?」とマリアさまが沙夜さんに縋るように視線を送ったが

 

 

「残念ながら、わたくしは紅よりもハッキングの能力が劣ります。紅でも突破できないのなら無理です」

 

 

と、はっきりキッパリと言い切った。

 

 

「何か方法はないのか?沙夜、お前の得意分野は何なんだ」とオータムナルさまが焦ったように沙夜さんに質問。

 

 

「沙夜さんは人脈造りを最も得意としてますが、その手も今は危険かと」

 

 

俺が沙夜さんの方をふり仰ぐと、沙夜さんは軽く肩を竦め

 

 

 

 

 

「潜入捜査と言ってくれる?その気になれば娼婦にでも貴族のお姫様にでも何でもなれるわ」

 

 

 

 

 

と、皮肉った。

 

 

 

 

 

P.545


 

 

悩んでいる暇はない。

 

 

「こうなったら最後の手だ。俺と沙夜さんが最も得意とする分野で突破しましょーか」

 

 

俺が無理やり「ニヤリ」と言った具合に笑うと、沙夜さんも諦めたようにと息をついた。

 

 

「今はその方法しか無さそうね」

 

 

「突破口があると言うのか。それは一体…」オータムナルさまがどこか不安そうに聞いてきて……きっと本能的に危険を察知されたに違いない。

 

 

 

 

 

 

「正面から乗り込んでやる」

 

 

 

 

 

 

俺は静かにPCを畳んだ。

 

 

「それしか方法がないようね。でも紅、武器は?私はこの国にアジトをいくつも持っているけれどそこまで取りに行く時間もないし、戻ったところでバレるわ」

 

 

確かに。沙夜さんの言うことはもっともだ。

 

 

セキュリティの厳しい宮殿内に武器を持ち込むことは不可能。衛兵の銃を奪うことはできても、そこで騒ぎを起こされればクーデターと見なされ、牢獄行きだ。しかも扱いにくい旧式の火縄銃と来てる。

 

 

「沙夜さん、アジトに武器はどれぐらい?」

 

 

念のために聞くと「マシンガンが5丁、ブロック18が10丁程ね」

 

 

ブロック18(世界各国の警察や軍が採用している銃。プラスチックを素材として多用したために、飛行機の荷物検査に引っかからないという噂がある。フルオート(引き金を引き続ければ、弾がなくなるまで自動で撃ち続ける)になっているがため大変に危険性が高く、市販はされていない)……ね、また危険なものを、どこから到達したのか……いや、この際聞かないでおこう。それが身の為だ。

 

 

「OK」

 

 

「じゃぁ沙夜さん、まずはその着物から着替えてオータムナルさまとマリアさまを連れてアジトに向かって」

 

 

「Copy that.

(了解)」

 

 

沙夜さんは頷いたが、

 

 

「お前は……!一人でトオルと真っ向勝負と言うわけか!」

 

 

オータムナルさまが目を開いて、

 

 

「待って…、もう次の言葉言わないで…」と俺はオータムナルさまの次の言葉を遮ろうと手を挙げたが、そう言い終わらないうちに

 

 

 

 

 

 

 

「ならぬ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱ、そうだよね~……

 

 

この人、俺の意見に否定ばっか……↓↓

 

 

 

 

 

 

 

P.546


 

 

「我儘言ってる場合じゃないわ。王族の血を根絶やしにするわけには行かないの。秋矢の思う壺よ」

 

 

沙夜さんが目を吊り上げる。

 

 

「そうよ、お兄様。コウと沙夜姫の言葉に従うべきだわ」と、今回まともな発言なマリアさまに俺の方がちょっとびっくり。「今はコウに任せて……」

 

 

 

 

「黙れマリア!!ならぬ!!と言った言葉が聞こえぬのか!

 

 

沙夜もだ!口ごたえは一切許さぬ!」

 

 

 

 

オータムナルさまの…まるで地響きのような怒声が聞こえて、俺を含む一同は目を開いた。

 

 

だって……オータムナルさまがこんな風に“怒ってる”のはじめて見たし……

 

 

そりゃ今までだって何度も怒ったこと、怒られたこと目の当たりにしてきたけど、今は桁が違うって言うか……

 

 

恐ろしい程の気迫を感じる。

 

 

それは一国を背負う主(アルジ)のオーラと言うものだろうか。不謹慎にも、オータムナルさまがこのときキラキラ輝いて見えたんだ。まるで黄金のオーラを纏う、ライオン。

 

 

この底知れぬ気迫に、その場の誰も何も言い返せなかった。俺と沙夜さんはオータムナルさまよりもっと屈強で、冷酷で、残忍な相手と対峙したこともあるっていうのに。

 

 

 

 

 

 

「私はこの国の民(タミ)の平和を背負った一国の皇子だ!

 

 

今トオルから逃げる、と言うことは民を……国を見捨てると言うことだ!それだけはできぬ!!

 

 

 

 

 

 

それに――――

 

 

 

愛する者をたった独り、

 

 

 

 

 

 

 

敵陣に向かわせるわけにはいかぬ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.547


 

 

オータムナルさま……

 

 

こんな危険な状況でも、俺のことそんなに大切に想ってくれてるんですね。

 

 

嬉しいし、誰よりもこの国のことを想っている彼はとても立派だと思うが、今回ばかりは……

 

 

「じゃ、こうしましょう。私はマリアさまとアジトに向かう。皇子と紅はセットで行動。安全が確保でき次第合流しましょう」

 

 

意外にも、沙夜さんがオータムナルさまの意見を呑んだ。

 

 

「へ――――………?」

 

 

口をぽかんと開けて沙夜さんを見上げると、

 

 

「私は切り札を持っている。万が一マリアさまともども秋矢の手に落ちようと、マリアさまだけはお助けする切り札を、ね」

 

 

「切り札……?そんなの嫌よ!わたくしだけ助かるなんて!!沙夜姫も一緒に生きて無事にこの国に留まるのよ!

 

 

ねぇコウ!沙夜姫を説得して!」

 

 

「なるほど、ジョーカーか」

 

 

沙夜さんが言う“切り札”が何なのか今の俺には分からないが、今は聞かないでおこう。情報共有は任務にとって大重要だが、万が一俺が捕まって拷問されても「知らない」ことは喋られない。

 

 

自白剤を打たれても、マリアさまと沙夜さんの安全度は上がる。

 

 

「コウ!!ねぇ!聞いてるの!?」マリアさまが俺の腕に縋ってゆさゆさ揺すったが、沙夜さんがやんわりと……(そう見えたが結構な力で)引きはがした。そして彼女の細い肩に手を置いて至極真剣に問いかける。

 

 

「皇族の血を根絶やしにしない方法をお教えするわ、マリアさま。英国の王族は例え血族であろうと同じ飛行機に乗らないのが決まりよ。何故かご存じ?」

 

 

マリアさまはゆるゆると、頭を横に振り涙が溜まった目で沙夜さんを見つめている。

 

 

「知らないわ。わたくし、この国を出たことすらないのですもの」

 

 

「例え飛行機でテロや、事故が遭っても血を受け継ぐ者を残すためよ。

 

 

 

 

 

 

私たちの任務はあなたたち王族の“血”を守り抜くこと」

 

 

 

 

P.548


 

 

 

「マリア、お前は次期、国の母となる大事な女だ。

 

 

その身に何かあっては困る」

 

 

オータムナルさまが諭すようにマリアさまに優しい声音で囁く。

 

 

「……お兄様……わたくし……お兄様のこと……正直言うと嫌いでしたわ」

 

 

マリアさまが涙の溜まった瞳をゆっくりとまばたきさせると、涙の粒が一つ零れ落ちた。

 

 

「そんなこと知っておるわ」

 

 

「お兄さまもわたくしのこと嫌いなのでしょう?だから……」

 

 

「断じて違う。お前を―――

 

 

 

愛しているから、こそ

 

 

 

 

生きていて欲しい。

 

 

今まで兄らしくお前を愛してやれなかった。最後に―――

 

 

お前にとって誇らしい“兄上”で居たいのだよ、私は。

 

 

 

 

 

我が妹よ―――」

 

 

 

 

 

Maria―――

 

 

 

 

 

オータムナルさまは最後に彼女の名前を呟かれ、俺の方へゆっくりと歩を進めてきた。

 

 

「行こう、紅。

 

 

沙夜、マリアを頼む―――」

 

 

俺も頷き返した。

 

 

沙夜さんが何を握っているのか知らないが、こうなったら彼女の提案に乗るしかない。

 

 

「お兄様っっ!!“最後”なんておっしゃらないで!!!お兄様が居ないとわたくし……!」

 

 

泣きじゃくっているマリアさまを沙夜さんが、やや乱暴と言える仕草で彼女を羽交い絞めしている。

 

 

「連絡手段はスマホで。15分後丁度に互いの連絡が無かったら、互いに何かあったと思って」

 

 

俺は沙夜さんの言葉に頷いた。

 

 

「そうなったら俺たちに残された道はたった一つ。

 

 

 

 

 

 

撤収だ」

 

 

沙夜さんもそれに頷き返し、しかし返事の代わりに寄越してきた言葉は―――

 

 

 

 

 

 

「紅、あなたの切り札は

 

 

 

 

―――あなた自身よ」

 

 

 

 

 

 

 

沙夜さんに指を指されて、俺は目をキョトン。

 

 

「あの……言ってる意味が……」

 

 

「どうゆうことだ」とオータムナルさまも首を傾げる。

 

 

「そのうち分かるわ。

 

 

お互い、切り札を出さないピンチにならないことを望むだけね」

 

 

 

 

 

俺自身が――――切り札

 

 

 

 

 

この後(ノチ)沙夜さんの放った言葉の意味が分かるときが来るのだが、それはまたこれから起こる悲劇の幕開けにしか過ぎなかった―――

 

 

 

 

 

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泣きじゃくっているマリアさまを、文字通り引きずるように連れて行った沙夜さん。

 

 

「お兄様っ!お兄様ーーー!!」

 

 

マリアさまの悲鳴のような叫び声が遠ざかるのを聞き届け、俺は腕時計に視線を落とした。

 

 

「タイムリミットまであと、14分02秒。俺たちも急ぎましょう」

 

 

「急ぐと言っても紅、敵陣に丸腰で向かって行くと言うのか。せめて何か武器になるものを…」

 

 

オータムナルさまが部屋の中をキョロキョロ。だが目ぼしいものが無かったのかすぐに諦めたようにと息をつく。

 

 

「俺が何の考えも備えもなしにこの国にやってきたと?

 

CIAを舐めてもらっちゃ困ります」

 

 

俺の発言にオータムナルさまはちょっとムっとなったご様子。

 

 

「しかし見ての通りこの部屋には何もない。執務室にはダガーがあるが知っての通り武器とは程遠い……」

 

 

言いかけた言葉を俺は手で遮り、日本から来る際持ってきた松葉杖を手にした。この松葉杖は、所謂、脇固定型と呼ばれるもので、典型的な松葉杖だ。

 

 

「まさかお前……その松葉杖で戦うと言うのか」

 

 

オータムナルさまが呆れたように目を開き、

 

 

「流石の俺でも“これ”じゃ貴方を護れませんよ」と笑った。

 

 

 

 

 

P.550


 

 

 

「では、それをいかに活用するのか……」との問いかけに、「まぁ見ていてください」と目で頷き、俺は松葉杖の横木を解体していった。支柱の金属の筒の中からバラバラと、松葉杖とは素材の違う金属音が床に響き、その黒い物体の“欠片”を目にするとオータムナルさまが目を開いた。

 

 

「これは―――」

 

 

 

 

「今はフィールドストリップ(解体)されているが、S&W(スミス&ウェッソン)のM39。

 

 

沙夜さんはオーストリア産をお好みのようだが、俺はどうも相性が悪くてね。

 

 

アメリカ産に限る」

 

 

喋りながら一分程で手早く組み立てると、俺はそれをスーツのズボン…右脇腹部分にねじ込んだ。それを隠すためたった一着だけ持ってきたジャケットを羽織る。

 

 

こうすると完全に銃は隠れるわけだ。

 

 

「随分と……手慣れたものだな。と言うか、松葉杖はfakeだったのか。

 

 

日本を出発する前に階段で転んで足の骨にヒビが入ったと言うのは嘘だったのか」

 

 

オータムナルさまが呆れたような、はたまた感心するような複雑な表情で俺を見下ろしてくる。

 

 

「あ……あはは~……すみませぇん」

 

 

てか良く覚えてんな!!

 

 

こうなったら最終兵器!!

 

 

必殺!!子猫ちゃんのうるうるおめめ!!で目をぱちぱちさせてオータムナルさまを見上げると、

 

 

オータムナルさまは秒殺。額に手をやって呆れたようにと息をつき

 

 

「良い。もうお前に驚かされるのは慣れたわ。

 

 

だからそんな目で私を見るな」と言った。

 

 

「しかし紅、お前は銃を好まぬのではなかったのか?それも嘘だと申すのか?」

 

 

またまたご記憶が宜しいようで。確かに以前言いましたね~銀行で強盗に襲われたトキ。

 

 

 

 

 

「銃は―――今でも嫌いだ。

 

 

 

だって相手を殺しちまう可能性が高くなるから―――」

 

 

 

 

 

この国に来て何度もピンチに遭ったがその度に銃を使ったこともあったが、何とか急所は外した。俺が倒したときは生きていた。(その後どうなったかは知らないケド、ま。いいや)

 

 

 

 

 

 

 

「嫌なんですよ―――

 

 

それが例え敵であろうと

 

 

 

 

目の前で人が死ぬのは」

 

 

 

 

 

 

P.551


 

 

拳銃の扱いには慣れてるし、散々任務をこなしてきた。けれどある“時”をキッカケにいっときは触れるのさえ、嫌になった時期もある。

 

 

カナダ任務の―――

 

 

ステイシーが俺を救ったあの“瞬間”

 

 

ステイシーの判断が間違っていた、とは言わない。彼女が俺を助けてくれなければ、今俺はここに居ることはない。

 

 

けれどあの時、俺は酷い拷問にあって精神的にも肉体的にも限界ギリギリだったのだ。

 

 

今でも覚えている。ステイシーの真っ赤なコート。そして俺を拷問していた大男の流れる血。

 

 

 

 

 

まるで海のようだった。

 

 

 

 

“恐怖”なんて微塵も感じなかった。そうやって目の前で死んでいったヤツを俺は何人も知っている。それこそ数えきれないぐらいだ。

 

 

そう“慣れて”いた筈なのに―――

 

 

だがしかしそのとき、俺はその色を見て

 

 

 

 

 

 

 

――――『美しい』

 

 

 

 

 

 

と、はじめて思ったのだ。

 

 

俺はオータムナルさまにまだ話していない事実がある。

 

 

ステイシーは大男を見事に撃ち抜いて俺を救ってくれ、抱きしめもしてくれた。だが、俺はそれをやんわりと引きはがし、ステイシーから銃をそっと抜き取ると

 

 

もう絶対に息をしていないであろう大男の死体に向けて、何発も何発も―――弾切れになるまで体のありとあらゆる場所を撃ち抜いた。

 

 

そして流れ出る血を見て

 

 

 

 

 

 

 

「何て美しい紅(アカ)色―――」

 

 

 

 

 

 

そう叫び声を挙げ、笑ったのだ。

 

 

 

 

 

 

もはや狂っていた―――としか言いようがない。

 

 

俺はあのとき、精神を一度壊された。でも、狂った俺でもステイシーは愛してくれた。

 

 

 

 

あのときの感覚が、また戻ってきそうで―――今度は違った意味で“怖かった”

 

 

だから銃は嫌いなんだ。

 

 

もう一度だけ言う。

 

 

 

 

 

 

 

俺はどこか狂っている。

 

 

 

 

 

 

オータムナルさまに“あんな”姿、見られたくない。

 

 

 

 

オータムナルさまに大した説明もせず、

 

 

 

 

「時間がない。行きましょう」

 

 

とだけ短く言って彼の手を引っ張った。

 

 

 

 

 

Remaining time:

 

―11 minutes 28 seconds

 

 

 

 

 

 

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