消えた博士と幽霊
オータムナルさまに引き連れられるまま、俺は自然に彼の寝室に足を踏み入れた。
幽霊騒ぎでまだ俺の精神が正常じゃなかった、と言っていい。
マリアさまには「俺が守ります」みたいなこと言っておいて、いざホンモノを見ると腰が抜けた。
かっこわる……
でも
ホンモノ……はじめて見ちゃったよ~~!!
あ、ちなみに。俺には霊感なんて全くないです。
オータムナルさまの寝所は俺の部屋と違って、それはそれは豪華絢爛なしつらえだった。
俺の与えられたお部屋だっていい加減豪華な造りなのに……
映画のセットの中に迷い込んだようなそのきらびやかな部屋の中、
俺だけが落ち着かず不自然にキョロキョロ。
「皇子の部屋だからと言って何も構える必要などない。
ゆるりといたせ」
オータムナルさまはマイペースに言って紅茶のような液体をグラスに注ぎ入れ、俺に勧めてくる。
ゆるりといたせ……って言われてもね…
こんな豪華なお部屋でくつろげないよ。
俺はそのグラスを受け取りながら目だけを上げた。
「飲みなさい。少しは寝付きが良くなる」
そのグラスに入れられたものが何なのか気になって鼻を近づけてみると、
それは紅茶ではなくほんのり樽の香りがした。
ウィスキーのようだ。
いきなりアルコールを出されて戸惑った。まぁ時間帯が時間帯だし、今からカフェインって気分にもなれないか。
オータムナルさまは俺に何かをしてくる、と言う気配はなく白いビロードが敷かれたこれまた立派なカウチに腰を降ろし、俺はそれとセットになっている一人掛け用のソファにおずおずと座った。
オータムナルさまは俺が腰掛けると満足そうに微笑み、ウィスキーのグラスに口を付ける。
幽霊騒ぎで怖がっている俺を助けてくれた皇子。
たった一人だけ‟信じる”と言ってくれたお方。
「あの……ワトソン博士って言うのは……」
俺は思い切って聞いてみた。
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俺の問いかけに今度はオータムナルさまが目を上げた。
サファイヤのような瞳に、一光……黒く渦巻く闇のようなものを見た―――気がした……
それは俺がここに来た時一番最初に睨まれた視線だった。
ヤバ……聞いちゃマズかったかな……
オータムナルさまはグラスを手にカウチを立ち上がると、特に目的もないのか広い部屋の中を大きな歩幅で行ったり来たり。俺の前をうろうろ。
「ワトソン博士の名は
Samantha Watson」
サマンサ ワトソン―――……
それがワトソン博士―――……?
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「若くして博士号を取り、英国の大学で地学科学の教鞭を取る教授でもあったようだ。
ワトソン博士は研究の為、我が国にやってきた」
博士号、教授―――……
聞き慣れない言葉に俺は目をぱちぱち。
渡来したのは一緒でも、たかだか一介の塾講師とは地位も置かれた立場も違う。まるで別世界の人だ。自分と比べてトホホと項垂れる。
しかも相手は女性だし。
益々自分の立場を情けなく思う。
オータムナルさまは俺の前で歩みを止め、どこか遠くを眺めるように目を細めて物憂げに睫を伏せた。
「大変美しく、聡明な女であった。
是非にも私の側室に、と願ったが―――
その翌日部屋に私物を置いたまま忽然と姿を消した」
なるほど…秋矢さんにオータムナルさまはバイであられるって聞いたけど、あれは本当のことだったんだ。
男しかダメってわけじゃなさそうだな。
「それって断られたってことですか……?オータムナルさまでもフられることってあるんですね」
俺の言葉にさすがにムっときたのかオータムナルさまは眉間に皺を寄せ俺を睨み下ろしてくる。
今度こそ失言をしたのだと思い俺は俯いたが
「紅は私を何だと思っておる。私とてフられることぐらいある」
と、口を尖らせてぞんざいに言うとカウチにどさりと身を沈める。
まるで小学生のような拗ね様に、怒っている…と言う感じは微塵も感じられなかった。ちょっと可愛いし。
「彼女はどうして……オータムナルさまの求愛をお断りして消えちゃったんでしょう…」
そんなことオータムナルさまだって分かる筈ないのに、何故だか気になった。
この何でも揃っている美貌の皇子の前に、断る理由なんてあるのだろうか、と。
「彼女は言っていたよ。
愛する男が居る―――と。
研究の為とは言え、愛するその男を故郷に残してきてしまったことを悔いていた。
研究を終えて帰ったら
必ず電話をする、と
約束したそうだ。
だから私はその愛する男の元へ戻ったのだ、と思っている」
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オータムナルさまはどこか寂し気に言い切って、俺にゆっくりと視線を戻す。
「断られたのはさすがにショックだったが、愛する者がいるのであれば、無理やり側室にするのは気が引ける。
気持ちだけは――――
権力や金でどうにでもなるものではない。
お前もそのような女が居るのであれば、断ることも可能だ」
俺は目をまばたいた。
「但し、私の納得の行く答えだったら……の話だがな」
オータムナルさまは恥ずかしそうに言ってぷいと顔を背ける。或いは拗ねているのかもしれない。
「私とてせっかく見つけたこんなにいい男を手放すと言うのは惜しい」
オータムナルさまがまるで駄々をこねる子供のように思えて俺は思わず微笑を浮かべた。
さっきは誰よりも頼もしく見えた皇子様も二人きりになると、急に子供っぽくなるんだから。
俺が笑っていると、オータムナルさまは
「何を笑っている」と口を尖らせて俺の元へ歩いてきた。
「いえ……オータムナルさま…一つ聞いてよろしいですか?」
オータムナルさまは俺が掛けているソファの手すりに腰を降ろし、グラスを傾けると一口口を付け
「何だ?」
と短く聞いてきた。
「何故、あのとき……さっきの幽霊話……信じてくれたんですか」
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俺の質問にオータムナルさまは目をぱちぱち。
「当たり前じゃないか。お前は私の家庭教師だ」
兼、側室だがな、とオータムナルさまは小声で付け加えたがそれは敢えて無視。
「家庭教師だから……って理由になってませんよ」
「十分理由になるだろうが。家庭教師と言うものは、教える人物と信頼関係を築いてこそ成り立つものだ。
お前は私に嘘をつかない。
私も側室と決めた人間は信頼に値する者だと思って居る。
人と人との繋がりに一番大事なものは信頼関係だ。
だから私はお前を信じた」
そんな簡単な理由で―――
今度は俺の方が呆れて目を丸めていると、かがんで腰を折ったオータムナルさまの顔がすぐ至近距離にあった。
その整い過ぎた美しい顔が、口が、
「どうした……?お前の望む答えではなかったか?」と問う。
「あ……えっと……」
なんて答えようと言い淀んでいると、オータムナルさまの顔がより一層近づいてきて、抵抗する間もなく
唇と唇が触れ合った。
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ふいうちの
キス
と呼ぶにはあまりにも甘くて優しい。
触れ合うだけのキス。
オータムナルさまの唇はすぐに離れていった。
数秒遅れで何をされたのか理解できて、俺は慌てて口元を押さえた。
き、キス!!?
男同士でキス―――しちゃったよ!
でも
全然イヤじゃなかった。
オータムナルさまの唇はさらりと感触が良く、吐息は紅茶のような芳しい香りだった。
それにオータムナルさまが俺が思うよりずっと紳士的で優しかったからかな。
それ以上を求める、と言うわけでもなく彼の顔はすぐに離れて行った。
オータムナルさまは俺に微笑を投げかけると、そっと頭を撫で
「遅いからお前ももう休め。私がすぐ傍にいてやるから安心しろ。
もう幽霊なんて見ない筈だ」
そう言われてベッドを促された。
促されるままそこを見ると、はじめて目にする……日本の家具屋にも売ってないような大きさの豪華なベッドがあって俺は目をまばたいた。
男二人並んでも…いや四人横に並んでも優に寝れる広さだ。
ベッド!!
「いえ…!あの……!!」
俺は慌ててベッドから視線をそらし、
だって……確かにオータムナルさまに惹かれてる部分はあるけれど、キスはいやじゃなかったけど、いきなりそんな!
「俺……お気持ちはありがたいのですが……」
何て言って断ろうか必死に考えていると、
「今の状態のお前に何かすることはない。アッラーの神に誓って言う」
「アッラーって…オータムナルさまカトリック教じゃないですか!誓うのはキリストですぅ」
「良く覚えていたな」
そりゃ覚えてますとも。てか絶対!こんな人の隣で寝れない!!
オータムナルさまは呆れたように肩を竦め、
「まぁそれでもお前が不安なのであれば私はこのカウチで寝るが。お前はそのベッドを使うがいい」
そう言われてオータムナルさまはカウチにごろりと寝そべる。
「いや!それはさすがに!!皇子さまをカウチに寝かせるわけにはいきません。
それなら俺……俺は部屋に戻ります!だからベッド使ってください!」
慌てて言うと
「ならぬ」
とピシャリ、と言われてしまった。
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俺、皇子さまに「ならぬ」って一体何回言われただろう。
「この国では夫となる者はたとえ側室とは言え妻の身の安全を案ずるのが通例だ。
外が安全と確認できてない今、この部屋を退出することは私が許さぬ」
至極真剣な顔で言われて俺はどうしていいものか頭を掻いた。
紳士だな……てかまぁそれは日本でも一緒か……
「じゃ……じゃぁ一緒に…」
寝ます?と聞く前にオータムナルさまはさっと歩いてきて、俺の横に腰掛けた。
俺の両肩に手を置くと、引っ張るように力を加え俺の体をベッドに優しく横たえる。
そのすぐ隣にオータムナルさまが横になり、布団を掛けると俺の首の下に腕を突っ込んできた。
「あの……」
どうしていいのか戸惑っていると、
「何だ」短く聞かれ
何だ、じゃないよ。
「あの……腕枕……?」
「不服か?私は誰かと眠るとき必ずこうしている」
なるほど。腕枕は皇子さまの習慣か……って納得できね~~~!!
「あの…!腕枕はいいです……あの……その……慣れないので…」
もそもそ言って何とか皇子の腕から逃れようとするも、ぎゅっと抱き寄せられてさらに引き寄せられる。
「慣れぬ、と言うのなら慣れろ。皇子の命令だ」
そんな~~~!
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思えば……誰かと―――
―――誰かと共に眠るのは随分久しぶりのことだった。
何年か前、ステイシーと仕事で訪れた極寒の地ロシアでは、二人して安いウォッカを一気飲みして笑い合いながら抱き合って眠ったんだっけ……
あのときのステイシーの体は温かった。
ステイシーの声や肌は柔らかく、俺の体や脳を甘く痺れさせた。
オータムナルさまはあのときと同じぬくもり……
「いやいや、違うって!」
俺は一人ガバっと起きだした。
ステイシーは俺と同じぐらいの身長だったし、大体どこもかしこも柔らかい女性だった。
オータムナルさまは、俺より二十センチぐらい身長が高い。
あったかいけどあの時のステイシーより体温が高くて、しかも触れたどの場所も男らしいしっかりした骨格や筋肉をしている。
「どうしたと言うのだ。何が違うと言うのだ」
オータムナルさまが寝ころんだまま不服そうに俺を見上げてくる。
「いえ……!あの、やっぱ俺……もう少し飲んでから寝ます。い、いただいても…?」
と、さっきのウィスキーが入ったグラスを目配せすると、オータムナルさまは無言で目を細めた。
怖っ!
また「ならぬ」って言われるだろうか……とちょっと身構えて
「に、逃げようとかそんなこと考えてませんから。これを飲んだらホントにベッドに入りますから」
俺があせあせと言うとオータムナルさまは少しだけ不服そうに鼻を鳴らし、それでもそれ以上俺に何かを言ってくるわけでもなく
「分かった。お前の好きにするが良い」
と言って目を閉じる。
ほ、
とりあえずは……腕枕から逃れられた。
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俺がカウチに座りウィスキーのグラスを傾けていると、その様子をオータムナルさまはベッドに横たわりながらじっと見つめてくる。
俺が逃げるとか考えているのだろうか、その視線は揺るがない。サファイヤのように澄み切った青色の二つの目が俺を捉えて離さない。
逆に俺の方がその視線に委縮してしまって
し、視線のやり場が……
俺の視線は無駄にきょろきょろと泳いだ。
ウィスキーを一口二口飲んだところで、オータムナルさまがふとその視線を和らげた。
「お前はBabyfaceのくせに酒は強いようだな。トオルとも飲みに行ったようだし。
何故私を誘ってくれなかった」
ベビーフェイスだけ余分だ。
俺はムっとなってウィスキーをぐいと煽った。
「オータムナルさまは検診のお時間だったじゃないですか。秋矢さんは暇してた俺を誘ってくれたんですよ」
「分かった、分かったから無理をするな。すぐに体を壊すぞ」
そう言われて、ほぅっと息をつくとグラスを手の中で包んだ。熱い息が口から漏れ出る。
「あの幽霊……ホントにもう出ないんですかね」
「さぁ、私には分からぬ」
「……そうですよね。すみません、変なことを言って」
「本当におかしなことを聞くな、お前は。まるでその幽霊とやらにもう一度会いたいと言う顔をしておるぞ」
そう言われて、俺ははっと顔を上げた。
「いえ……あの…」
あの幽霊が何故ステイシーに見えたのか謎だけど、
もし幽霊がステイシーだったとしたら彼女はもうこの世のどこにもいないことになるけれど
でも
会いたいよ、ステイシー
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その後俺たちは世間話を交わして……と言っても俺とオータムナルさまの環境は全然違うからなんか食い違っちゃたりもしたけれど
会話を楽しんで、三十分もするとオータムナルさまは欠伸をかみ殺し瞳を揺らし始めた。
「悪いが私は先に休むぞ」
そう断りを入れて枕に顔を埋めるオータムナルさま。
「おやすみなさい」
俺は短く挨拶をして彼の肩に布団を掛けた。
ウィスキーを片手に、カウチから眺めるオータムナルさまの安らかな寝顔は
とてもきれいだった。
まるでギリシャ彫刻のように完成された美を目にして、ほんのちょっと俺も頬を綻ばせる。
おやすみなさい
俺はもう一度心の中で呟き、彼の整った寝顔を眺めながら
カラン
グラスを揺らした。
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次の日の目覚めは何故だかすごく心地よく爽やかだった。
爽やかで芳しい紅茶のような香りとふわふわの布団に包まれて、うっすらと目を開けると
大きな窓に背を向けた人物が両手でカーテンを開いているところだった。
キラキラ…
朝日が鮮やかな金髪に反射してきれいだった。
俺の好きな光―――
そして俺は居るはずもない愛しい人の名前を今日も呼ぶ。
「Stacey……?」
その人物がゆっくりと振り向く。ミルク色のガウンを羽織った背の高い……
「お……オータムナルさま…!」
ガバッ!!
俺は慌てて身を起こした。
オータムナルさまはその整った顔にうっすらと笑みを浮かべていた。
オータムナルさまのキラキラ笑顔は目覚めに刺激が強すぎる。
「おはよう。昨夜は良く眠れたか?」
「あ……はい!」
「お前はベッドで眠ると言ったくせにカウチで寝ていたぞ」
オータムナルさまはきらきら笑顔から一転面白くなさそうに腕を組み、口を尖らせる。
お、怒った顔も美しい~ケド怖いよぉ。
「あ、あはは~…え…でもここベッドですね…」
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俺は自分が寝かされていた場所が昨夜オータムナルさまが眠っていらしたベッドであることに気づき慌てた。
な、何で!?
俺寝ぼけてベッドに入っちゃったの??
「私が起きたとき、お前を抱きかかえて運んだ」
だ、抱きかかえて!?
ぅうわ、俺何されてるんだよ!
「お前は羽のように軽いな。ちゃんと食べているのか」
ギシっ
ベッドのスプリングを軋ませて、オータムナルさまが俺を覗き込んでくる。
顔を近づけられて、その淡い色が浮かんだ薄い唇につい視線がいってしまう。
昨日俺はオータムナルさまと……!
き、キスをしてしまったわけで!!
ぅわぁ!!思い出しただけでも顔から火が出そうだ。
落ち着け、紅!!
相手は男………
………
ってそこが一番問題じゃないか!!
一人百面相をしていると、その表情をじっと見つめていたオータムナルさまは突如笑いだした。
「お前は面白いな」
笑いながら俺の頭をぽんぽん。
オータムナルさまの大きな温かい手が俺の頭を優しく叩くたびに、心臓がドキリと鳴り
俺はまた顔が熱くなるのが分かった。
どうしたって言うんだよ
俺。
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