俺を領事館に連れてって!
授業が終わって……と言うかほぼ強制的に??終わらされて。
俺はとぼとぼと当てもなく宮殿内を歩き回っていた。オータムナルさまの帰りは遅いだろうし、またフリーの時間をもてあますことになる。
こうして歩いているうちに逃げ出したエリーに遭遇するかもしれないし??なんて甘い考えかも。
けれどエリーより早く、エリーよりもっとたちの悪い人にまたも遭遇してしまった。
「暗い顔ですね、ミスター来栖。何かあったのですか?」
「秋矢さん……」
「オータムナルさまは米国の大統領とお食事に行かれましたよ?俺、てっきり秋矢さんも一緒かと」
「今日の会合は政治的なお話をされません。いわば皇子のプライベートなお食事会と言うわけです。
ですので私は辞退させていただきました」
辞退ってことは一応お誘いがあったのね。
何だ……やっぱりオータムナルさまの大事な人って秋矢さんが一番なんじゃん。
そう考えると、チクリ……胸の奥が痛んだ。
何なんだ、この痛みは。二日酔いの名残??
慣れない痛みに顔をしかめていると
「ちょうど良かった。あなたの国際免許証の発行手続きをしてまいりました。
それからあなたのIDと保健証」
小さなクレジットカードサイズのカードを手渡されて秋矢さんは説明をくれる。
P.115
「あ…ありがとうございます」
本来なら自分で手続きをしなければいけないのに、全部秋矢さんがやってくれて助かった。
多少わけわからんところはあるけど、やっぱりこの人デキる人なんだよな~
俺、頼りっぱなしだ。
「これでこの国での運転もできますし、アルコールやタバコを買う際にはIDを提示していただければ購入することも可能です」
俺は説明されたカード類を一つ一つ確認して財布に仕舞い入れながら目を上げて聞いた。
「あの…秋矢さん」
「何でしょう。スリーサイズなら秘密です。どうしてもお知りになりたいのならベッドの中で」
「ち・がーーーーう!!」
またこの人は!!秋矢さんのマイブームって俺を苛めて楽しむことだ。
「スリーサイズ以外何があると言うのですか、そんな深刻な顔をして」
「もっと他にあるだろうが!」
俺は相手が大先輩の秋矢さんだと言うことも忘れて素で怒鳴っちまった。慌てて口を噤み
「カイルさまのことです」
顎を引いて秋矢さんを上目づかいで見上げると、秋矢さんはさっきまで穏やかだった瞳を急に険しくさせた。
P.116
「カイル様がどうかされましたか?」
淡々と聞かれ、でもさっきまでの冗談飛ばしてた雰囲気とは明らかに違う空気を纏った言葉に俺はそれ以上何も聞けず…
「いえ、何でもありません」
結局、引き下がるしかできなかった。
――――
――
そうして二日が経った。二日間、またもオータムナルさまは公務とかで、今度は宮殿内で臣下の人たちが集まって、何やら執務室に籠って会議をされていた。
はじめて見る見知らぬ顔の面々。そのほとんどがアラブ系の人だと言うことは分かったが、秋矢さんも含め彼らは一様にピリピリしてたから、当然執務室に近づくこともできず。
俺はじれじれとただ時間が過ぎるのを待つ他なかった。
もうすぐカイルさまが国に帰っちゃうよ。
その前に何とか仲直りしていただきたいのだが。
P.117
―――
「で?お兄様とトオルに断られたからわたくしに?コウはわたくしを利用しようとしているの?」
マリアさまが流し目で俺を見てきて、その冷やかとも呼べる視線にちょっとドキ。
「い、いえ!そのようなことは!!
ただ、一介の家庭教師が英国領事館に行って通されるのかどうか…と思ったので…
俺、自己満足かもしれませんが、オータムナルさまやマリアさまにはカイルさまと仲直りしてほしいって言うか……」
「わたくしがついていれば通されると?それを利用と言うんですのよ?コウ」
何だろう、今日のマリアさまはご機嫌ナナメ??
「すみません…出過ぎた真似を…」
俺がしゅんとなって謝ると、
「いいわよ?行ってさしあげてよ」
マリアさまは意外にもあっさりと承諾してくださった。
「え?え?」
「カイルお兄様とお会いしたいのでしょう?いいわよって言ったの。
でも一つだけ条件があるわ」
「条件…?」
「そ。わたくしのお願いを聞いてくださるのなら行ってさしあげてもよろしくてよ?」
「そのお願いと言うのは…」
恐る恐る聞くと、マリアさまはさっきの不機嫌な顔から一転、砂糖のような甘い笑顔でにっこり。
なんかな~マリアさまってやっぱりオータムナルさまとご兄妹だけあって、笑顔が似てるって言うのか……俺、この笑顔に逆らえないって言うか…
「それは秘密ですわ♪でも条件を飲んでくださるのならいいわよ?」
マリアさまはにっこり微笑んで俺の唇に指を当てる。
「行く?行かない?どちら??」
せっかちに聞かれ、
えーい!男は度胸だ!!と半ばやけくそとばかり
「お願いします!」
俺は頭を下げた。
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――――
――
「コウ、あれが市場よ!ライチが売っているわ。お兄様のお土産にどうかしら」
とか「まぁきれいなサリー!あの柄は斬新ね。わたくしに似合いそうかしら、コウ」
と、助手席でさっきから町の風景で、見る物見る物にはしゃいだ声を挙げて楽しんでいるマリアさま。
皇女さまを勝手に連れだしてドライブとか、秋矢さんに知れたらまた怒られるかなーとか思ったが、マリアさまが楽しそうにしてくれて良かった。
車は宮殿の車をお借りした。
「何でもお好きな車に乗ってよろしくてよ」とマリアさまが指さしてくれたのは、ベンツやジャガー、ポルシェと言った高級外車。
でも、俺が選んだのは黒いセダンタイプの日本車だ。
日本車が一番安心だし安全だ。
……と言うわけで、俺は今隣に皇女さまのマリアさまを乗せて領事館までドライブ中。
問題の領事館は町の中心に位置してた。
「この辺は物価も高いんですわ。まさに一等地」と説明をくれて
ほーなるほど……
と納得。さっきの騒然とした市場街と違ってこちらは見るからお金持ちが住みそうな立派な邸宅が並んでいる。
その中でずば抜けて大きく、恭しく立ち構えるお屋敷が一軒。
背の高いアイアンの格子で囲まれた敷地内に、これまた立派な赤茶の煉瓦を幾重にも積んで頑丈そうな壁で囲まれた建物が建っている。
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アイアンの門扉の前にチェック柄の民族衣装キルトを着用した衛兵が二人、長い火縄銃みたいなものを構えて突っ立ていた。
怖っ!
それを見ただけで俺はすでに引き腰。
俺たちの車がその領事館の前に止まると、
「What can I do for you?(ここに何の御用ですか?)」素早く衛兵の一人が近づいてきた。
「I am Autumnal’S private teacher.Mr. Kile is his cousin and I came to meet him.(あの……俺はオータムナルさまの家庭教師で、彼の従兄弟のカイルさまとは面識がありまして。彼に会いにきました)」
俺のIDを提示して、ポケット辞書を片手にたどたどしく単語を繋ぎ合わせて説明をすると
「One moment, please.(少々お待ちを)」と門前で止められた。
その後待たされること五分。
身元確認が取れたのだろう、衛兵たちはすぐに戻ってきて
「I'm sorry,You cannot meet with Mr. Kile. (申し訳ございません。カイルさまとの面会はできません)」
ピシャリ、と跳ね除けられた。
「I am Princess Royal of the Karrtia country.(わたくしはカーティア国の第一皇女) Maria Karrtia.(マリア・カーティア) Though Kyle older brother is the relations of the cousin, still is it impossible to meet him?(カイルお兄様とは従兄弟の関係ですけれどそれも無理ですの?)」
マリアさまが早口で説明してくれたけれど、門番と思われる衛兵たちはひそひそ
「I'm sorry,I have to ask you to leave.(申し訳ございません、お引き取りください)」
結局、その答えに行きついて俺とマリアさまは顔を見合わせた。
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文字通り、門前払い。
その後何を言っても何を説明しても「I'm sorry」の一言でピシャリと跳ね除けられる。
マリアさまのお力でも無理だったか。
これ以上は無理だと諦めて、俺は車をユーターン。
「残念でしたわね」
帰る道すがらマリアさまが俺に同情気味に聞いてきた。
俺が目に見えて落胆していると
「何か理由がありそうですわね」とマリアさまは少し考えるように顎に手を置いた。
理由―――……
ってのが分からなくて、結局その答えを出せずに車は宮殿に到着した。
宮殿に戻ったら、会議を終えたのだろう…秋矢さんが俺の帰りを待ちわびていたようで、帰るなり拉致られるように秋矢さんの自室に引きづり込まれた。
相変わらず物が少ないそっけない部屋……と実感する間もなく、視界がぐるりと反転する。
秋矢さんが俺の両肩を力強く掴んで壁に押しやったのだ。
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壁に追いつめられて、背の高い秋矢さんが目の前に迫ってきたと実感したときは
トン
秋矢さんは壁に手をついて俺を見下ろしていた。
いつもの……俺をからかうときのようなあの柔和な表情は微塵も感じられず、秋矢さんは暗い部屋の中で黒い瞳の中に一筋不穏な光を忍ばせて俺を睨んでいた。
「カイル様に会いにいくおつもりだったのですね」
低い尋問口調のその言葉に俺は嘘をつくことはできず、素直にコクコク頷いた
「何故?」
そう問われて俺は目をまばたき。
一体どれだけこの質疑応答を繰り返せばいいのだろう。
「オータムナルさまと……カイルさまが仲直りしてほしくて…」
秋矢さんの尋常じゃない雰囲気にたどたどしく俺が答えを述べると
「本当にそれだけですか?」
と、今回はじめての質問がされて俺は息を飲んだ。
「ほ…本当に……」
俺が答えると、秋矢さんは納得したのかしてないのか小さく吐息をついて俺をようやく離してくれた。
俺は蛇から睨まれた兎のように、文字通り脱兎のごとく彼の腕から逃げ出した。
早々にこの場所から逃げ出したくて、一礼だけして秋矢さんのお部屋から出ようとすると
「お待ちを」
と肩を掴み呼び止められた。
まだ何か?と言う意味で顔だけをちょっと振り返らせると、すぐ傍に整った秋矢さんの顔があってびっくりした。
秋矢さんは俺の耳元まで口を寄せると低い声で囁いた。
ぞくり、とするほど痺れる甘い声で囁かれた言葉は―――
「皇子がお呼びです。あなたは皇子の命(メイ)を無視してカイル様に会いに行こうとされた。
命令違反はきつい仕置きが待ってますよ」
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仕置き――――……
聞き慣れない言葉に俺はごくりと息を飲んだ。
「ぐ、具体的にはどんな……」俺が目だけを上げて聞くと、秋矢さんは喉の奥で涼しく笑った。
そして俺の背中をそっと撫でながら、
「鞭打ち千回か、壊れるまで皇子の愛玩具として犯される」
え―――………
「ま、また…冗談ですか?それにしちゃキツい」
俺が無理やり苦笑いを浮かべると
「さぁ?冗談かどうかはあなたの身を持って確かめるがよろしい。
今日の皇子はどちらの気分でしょう。
何せ気分屋ですのでね。
あなたが無事に晩餐会に現れることを願っていますよ」
クスっ
秋矢さんはまたも喉の奥で低く笑って俺から手を離した。
俺は
と言うと、めいっぱい開いた目が乾ききって充血してきそうだ。
まるで体中の血管と言う血管が沸騰して、逆流してきそうな―――
怒りと恐怖、悲しみと困惑。
とにかく色んな感情が一気に押し寄せてきて、ぐちゃぐちゃに俺の中を満たす。
『Spill it!(吐け!)』
忘れかけていた、過去が俺の脳裏によみがえる。
この日の気候は温かく、過ごしやすい一日だったと言うのに、今……俺の指の先は冷たく冷えてきて、僅かに震える。
そんな俺を秋矢さんは面白そうに眺めて、
「どうぞ、お行きになってください」
と部屋の外へと促す。
パタン……
静かな廊下で扉が閉まる音だけがこだまして、俺は冷たい廊下からそれ以上に冷たい恐怖が這い登ってくるのを直に感じ取った。
P.123
会議を終えたオータムナルさまはそのまま執務室に残っていらっしゃるらしく、俺はその場所に向かう途中
何度もその足をユーターンさせようか、と思った。
が、結局ここで逃げても絶対掴るだろうし、逃げたら逃げたでお仕置きとやらがもっと酷くなるに違いない。
俺の残された道はたった一つ―――
執務室の部屋をノックすると
「入れ」
と、オータムナルさまの低いお声が聞こえ、それだけで体がこわばった。
ドアノブを握る手にびっしょりと汗をかいている。
部屋に入ると、オータムナルさまはいつもと同じスーツ姿だった。ネクタイはなく、ワイシャツと上着だけ。
「あの……オータムナルさま……」
おずおずと声を掛けるとオータムナルさまは執務机の前に腰をもたれさせ、不機嫌そうに腕を組んで切れ長の瞳を俺に向けてきた。
鞭打ち千回。壊されるまで犯される。
さっきの秋矢さんの言葉がよみがえり、俺は足が床に張り付いたように身動きできない。
「どうした紅。こちらへ参れ」
手招きされて、顔を青ざめたまま何とか震える足を持ち上げてゆっくり……ゆっくりと彼の元へ向かう。
「私の命令に逆らってお前はカイルに会いに行ったようだな。
領事館から連絡があった」
領事館から―――……
なるほど、だから秋矢さんも知っていたんだ……
「しかも我が妹マリアを引き連れていたとは。可愛い顔してお前も結構したたかだな」
はじめて聞く皇子の冷たい声にドキンと心臓が強く打つ。
嫌われた―――
そう思うと、鞭打ち千回、強姦されるかもしれない恐怖よりも何よりも、
嫌われたくない。と言う気持ちだけが何よりもまさった。
何故か心臓の奥がじりじりと焦げ付くように熱くなる。
「申し訳……ございません」
言い訳は一切通用しないだろう。俺は素直に謝って腰を折ると
「紅、服を脱げ」
突然の命令が下り、俺はその場で硬直した。
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どうしていいのか分からず躊躇っていると、
「どうした?皇子の命令が聞けんと言うのか」
とオータムナルさまが不機嫌に聞いてきて、俺は口答えが許される身じゃないと今さらながら思い知らされ、
言われるまま震える指でシャツのボタンを外しにかかった。
その様子をじっとオータムナルさまが見据えてくる。
緊張と不安で手のひらに汗が浮き出し、俺はひどくおぼつかない手つきで何とかボタンを外す。
三個ほど開けたところで、オータムナルさまがその長い脚で一歩……また一歩と俺に近づいてきた。
ドキン、ドキン……
と心臓が鳴り、俺の緊張が極限まで達したのか指先が大きくぶるぶる震えた。
オータムナルさまは俺のその両手を握り、
「冗談だ。震えているではないか」
俺のまだ震える両手を優しく包み込むと、その手の甲に優しい口づけ。
え―――………?
何が何だか分からずオータムナルさまを見上げると、
「こんなに震えて……可哀想に。私に何をされると思ったのだお前は」
逆に聞かれて
「鞭打ち千回とか、皇子さまに俺が壊れるまで犯される、とか……?」
もごもごと言うと、オータムナルさまは「はぁ?」とちょっと怒ったように顔を歪めた。
「私にそんな悪趣味はない」
男を側室にする趣味は変ですよ。
とは、言えない……
でもきっぱりはっきり言われて俺は気が抜けたのか、その場でへなへな。
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「紅!」
オータムナルさまが慌てて俺の腕を取り、力強く支えてくれる。
そのままオータムナルさまの胸の中にかき抱かれて、俺はその厚い胸板の中しきりにまばたきを繰り返した。
オータムナルさまの纏った香り……あの紅茶のような芳しい香りが香ってきて何故だかその香りに安心した。
みっともなく、目尻に涙が浮かぶのが分かる。
「鞭打ちも犯されるのも……なし?」
「当たり前だ。紅は私を何だと思ってる。そもそも私は暴力は嫌いだ」
オータムナルさまはさぞ心外だ、と言わんばかりに声を低めた。
カイルさまはあんなに簡単に殴ったのに―――
とは言えず…
「そもそも私は側室と決めた人間は大事にする。たとえどんなことがあっても手を挙げたりなどしない」
はっきり言われて、ほっとしたのと同時に俺の目から熱い何かがこぼれた。
それが涙だと気づいたのは、俺の頬を伝った水滴が口に流れ込んできてから。僅かな塩味に顔をしかめ、嗚咽を堪えていると
「泣いているのか……?」
オータムナルさまがちょっとだけ俺を離し、俺の顔を覗き込みそっと顎を持ち上げられる。
「泣いてなんか……」
ただ、秋矢さんに言われたことを思い浮かべていたから、拍子抜けでつい涙腺が緩んじゃっただけで。
かっこ悪い…
P.126
こんなかっこ悪い俺、見せたくなくてオータムナルさまの手の中で思わずふいと顔を逸らす。
オータムナルさまはそっと俺の顎から手を離すと
「お前に変なことを吹きこんだのはトオルだな」
俺の頭に顎を乗せてオータムナルさまはちょっと呆れたように吐息。
「確かに私の命に背くことは重罪だが、私はお前をこらしめてやろうなんて微塵も思ってないから安心しろ」
優しく
優しく頭を撫でられ、かっこわるい…とか色々俺のプライドが吹きとんで、俺はただ皇子さまの胸の中が怖くなくて安心できて、しゃくりあげた。
「まったく………紅は私の年上だと言うのに、まるで弟のようだな。
危なかっしくて目が離せない」
オータムナルさまが苦笑い。
弟―――でもいいや。
オータムナルさまの手が思いのほか優しくてあったかくて、俺が安心できたんだから。
変なの。
オータムナルさまは俺の歳下で、しかも男なのに
抱きしめられると安心するって
なんだろう、この感覚は―――
P.127
その後、俺が泣き止んでもオータムナルさまは俺を解放してくれなかった。
「まだ……このままで居たい。
お前を抱きしめていたい」
と小さな我儘に俺はコクリ、頷いた。
「怖がらせて悪かったな」
オータムナルさまは一つも悪くないのに、むしろ命令違反した俺が悪いってのに彼は俺の頭を優しく撫で続け
「すまぬな。泣かせるつもりはなかった」
と、呟く。
どれぐらい時間が経ったろう。
そうやって皇子と抱き合っていると、
「お兄様!そろそろコウを解放してくださらない?コウを独り占めしてずるいわ。
コウはわたくしのお願いを聞いてくださるのよ」と
ノックもなしに、マリアさまが乱入!
びっくりして目をまばたき、何かを言う暇も与えられずマリアさまに腕を引っ張られる。
「あの…オータムナルさま…」
彼の手が名残惜しくて思わず手を伸ばすと
「紅、すまぬ。我が妹ながらマリアには私も何故か逆らえん」
ぇえ!?
てか一体俺どーなるの!!?
P.128<→次へ>
冬の夜
キミへの気持ちを窓に託しました
たった一言が言えない私は臆病者ですか?
でも今はこれが精一杯
雪に想いを
『次はお天気コーナーです。今日から明日にかけて低気圧が日本の南を発達しながら東北東に進み、明日には日本の東に進む見込みです。
関東甲信地方では今夜から雨が次第に雪に変わり、あす午前中にかけて山沿いを中心に、平野部でも積雪となる所がある見込みです。雪による交通障害、架線や電線、樹木等への着雪、路面の凍結に注意してください』
今朝のワイドショーのお天気キャスターの言葉を思い出したのは、勤めている会社の定時を迎え業務を終えたときだった。
「えー!やだっ!雪降ってるじゃん」と誰からともなく声が挙がり
「ホントだー、私傘持ってきてない」
「どうりで冷えると思った」
と同僚たちが次々と口にする。
またも誰かが「せっかく彼氏に買って貰ったバッグが濡れちゃう」と言い出し、それでもちっとも困った様子ではなく、どこか誇らし気だ。
そしてその周りの女子たちが盛んに羨ましがる。
「いいなー、でもあたし今度のクリスマスにダイヤの指輪ねだっちゃうんだー」と一人の女の子。
「いいなー!」黄色い声に、私は苦笑いを浮かべるしかない。ここでの男の年収と、女の品格は反比例する。いかにいい服を着るか、いかにいいバッグを持つか、いかにいい男を彼氏にするか、年中こんな会話でうんざりする。
かと言って輪に加わらないわけにはいかない。仕事とプライベートの内容こそ比例するのだ。
P.1
「仁科《にしな》さんはいつも素敵な服着てますよね」ふいに一人から話題を振られた。
「えっ、そう?」私は曖昧に笑って言葉を濁した。今日の服装は白いタイトワンピ。腰回りに太いベルトが巻き付いていて、ちょっと豪華に見えるゴールドのバックルがワンポイント。
そして同じくゴールド系のスパンコールが襟元に入ったコートを腕にかけて帰りたいアピール。
シンプルな服装だったけど、流石は目が肥えている女子たち。すぐにそれが高価なものだと見破った。女のチェック程厳しいものはない。私がオシャレをするのは対、男ではなく、彼女たちの為。
「仁科さんてぇ、結婚しないんですかぁ」間延びした話し方が赦されるのはこの年代の特権だ。
「結婚ね……相手がいないから」私は適当にごまかして再び言葉を濁した。
こう言っておけば大抵の女は引き下がる。私が長い間、人付き合いをしてきて、これが最良の方法だと知ったのはつい最近のこと。
私がこの会社に勤めはじめて五年になる。この会社での女性正社員では長いほうだ。後から派遣された若い女の子たちから見れば私なんてお局のようだった。
「そう言えばぁ仁科さん、この前見ちゃったんですぅ」一人の女の子が思わせぶりに口元へ手をやった。
短く切った髪にはパーマがあててあり、傍から見ればマシュマロのように可愛らしい女の子だ。
だが、そんな可愛らしさに惑わされてはいけない。女はいつでも顔の下にしたたかな一面を隠しているのだから。
P.2
「何を?」私は平静を装って取り澄ました。
もしかして“アイツ”と居る所を見られた?と思ってドキリとしたが
「この前の金曜日、青山のイタリアンレストランで、経理の前田さんと一緒にいるところぉ」
ああ、そっちか。とちょっとほっと安堵する。
「ええー!!」周りから黄色い声が飛ぶ。私は思わず頭を押さえたくなった。
そう、確かに経理の前田に誘われて先週の金曜に青山まで行った。
でも食事をしただけで、別に艶かしい関係ではない。だが、ここで重要なのが、経理の前田という男、この会社ではなかなかのハンサムでしかも独身、きさくな性格をしているわりには頼れる上司でもあるのだ。そうゆう男を若い女性社員が放っておくわけがない。
「いいなー、ねえお二人って付き合ってるんですか?」
食事をするイコール男女の関係と、どうして若い子たちはそう短絡的なのだろう。私はこの場から逃げ出したくなった。だけど、この場から立ち去ると認めたことになってしまう。
「別に、ただお食事に誘われただけよ」
「うそー、絶対前田さん仁科さんのこと狙ってるわよぅ。だって、あたしたちがいくら誘っても全然だったのよー。それなのに前田さんは仁科さんのこと」
嫉妬心と羨望の眼差しで見られ、私は思わず後ずさり。
何とか前田との話を切り返し、従業員出入り口から女子の群れに混ざって出てきた所だった。
遠くで派手なエンジン音が聞こえてきて、この狭い路地裏へと近づいてきた。この聞き慣れたエンジン音。私は嫌な予感がして思わず一方通行の標識を見つめた。
「よーう、仁科」黒のポルシェの窓から腕を出し、銜えタバコをしながら九条《くじょう》が手を振っている。
「やっぱり」
私は、今度こそ頭痛をこらえるように頭をしっかりと押さえた。
P.3
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
「仁科、今終わりか?これから飯でも食わねー?」
この状況を知らずに能天気に笑ってるその整った横っ面に今すぐ張り手を食らわせたい。
「あ、あんたいつ東京に戻ってきたわけ?」私は女の子の群れから一人離れると、九条の車に近づいた。
「あー、悪い。三日ぐらい前かな?この前言ってた日本料理屋行こうぜ」
「あんたっていつも何で急なのよ」
私が声を潜めて九条を睨んでいるときだった。
「えー、仁科さんの彼氏さんですかぁ?かっこいい!」
女の子たちの視線が九条に移った。予想していなかった最悪の事態。
上半身しか見えなかったが、今日の九条は黒いジャケットの中に白いカットソーを着ていて、真冬だって言うのに襟ぐりに濃いサングラスをかけている。いつものように髪をラフにセットしてあって、左耳には輪っかのようなピアスが三つ光っていた。
そう
どこからどーみてもこいつは
ホスト。
P.4
でも勘違いしてもらっては困る。私はこいつの客じゃない。東京を離れていたのも、大方客の一人と遠征旅行でもしていたのだろう。
「違っ!こいつとは単なる腐れ縁。彼氏とかじゃないから」
と慌てて否定するも秒の単位で噂が回るこの会社で明日の朝には『仁科さんて、ホストに貢いでるらしいよ』とあちこちで言われるに違いない。
くらり、と眩暈が起きた。
腐れ縁、と言うのは間違いない。中学からの同級生だから。
「じゃあ、本命は前田さんですかぁ?」女の子達が興味津々で目を輝かせている。
「前田??ひどいなー、仁科ぁ。俺たち何度もセック……もがっ」
最後の方が言葉にならなかったのは私の手が九条の口を塞いだから。
ふざけんな!何言い出すんだこいつぁ!!
空気読めっつうの!
と言うことを目で訴えると、流石に冗談が過ぎたと思ったのか九条は苦笑い。
「で?行くの?行かないの?」せっかちに聞かれて
「わかったわよ!行くわよ」半ば怒鳴るように九条を睨みつけると、私はそそくさと助手席に回った。
「それじゃ、私はこれで。お先に」女の子たちにはなるべく平静を装って、にこやかに手を振る。
ため息をついて車の助手席を開けると、運転席から九条が笑顔で手を差し伸べてきた。
「ただいま、仁科」
昔とちっとも変わらない笑顔。眉が下がり、目を細める、優しい笑顔。そして時々その低い声で呼ばれる、自分の名前。何だかくすぐったいが、この笑顔を向けられたら、たとえ九条の勝手に振り回されても、赦せてしまう。
「……おかえりなさい」私は俯くと、小さく返事を返した。
P.5
前述した通り私と九条とは中学からの付き合いだ。かれこれ十年以上の付き合いになる。十年、と言う歳月は長く感じられるけれど、その間に音信不通になったり、そしてどこからか連絡先を入手して電話を寄越して来たり、をだらだらと繰り返している。
でも、私たちははっきりと『付き合って』はいない。もちろん九条のブラックジョークの『体の関係』もない。
あるのは中学生から変わらないノリと
私が九条のこと「好き」
と言うことだけ。歳を重ねて、九条がホストになって……あ、今はホストじゃなくホスト店を経営してるオーナー様でもあったかしら。とにかく環境は変わったものの、不変的な何かは確実に存在している。
パワーウィンドウの外をちらほらと雪が降っていた。
「北海道行ってきたんだ~土産に蟹買ってきてやったぞ」と九条は運転しながらどこか楽しそう。
「北海道……ここより雪が多そうね」ぼんやりと呟きながら、九条に気づかれない程度にこっそりと、外気との差で曇った窓ガラスに、人差し指で
『好き』
と書く。
私の書いた文字は私の体で隠れて九条からは見えない。
「蟹すきしようぜ~、お前んちで」
「何であんたを一々上げないといけない?」
言い合いをしながら、やがて私のマンションに着く頃にはみぞれになった大粒の白いものが私の『好き』をかき消す。
「だってお前んち床暖あるじゃん?」
「そんな理由かよ」
中学生から変わってないこの関係とノリ。
今はまだ―――
この関係でいいや。
~FIN~
P.6