Autumnal

皇子さまの勉強会


 

 

窓から差し込む朝日がオータムナルさまの豊かなブロンドに反射して、キラキラ…輝いている。

 

 

まるで光の中に浮かび上がる天使のように思えて、またもそのお姿に

 

 

見惚れた。

 

 

 

 

光は―――好きだ。

 

 

 

 

いつだって俺の唯一の希望。

 

 

「オータムナル………さま」

 

 

寝起きの…みっともなくかすれる声で何とか彼の名前を呼ぶと

 

 

「何だ?」

 

 

オータムナルさまが優しい笑顔を浮かべて俺の髪をそっと撫で梳いた。

 

 

 

「会いたかった」

 

 

「いつになく素直だな。私もだよ、クルス」

 

 

 

オータムナルさまはにっこりと優しい笑顔を浮かべて俺の頬をそっと撫でた。

 

 

 

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――――

 

 

――

 

 

三日ぶりの再会だと言うのに、再会をゆっくりと味わうことなくオータムナルさまは分刻みのスケジュールで

 

 

俺はその日の夕刻、はじめてオータムナルさまの授業、と言うスケジュールが組まれていた。

 

 

授業はオータムナルさまが普段使っている執務室で行われる。

 

 

初めて入る執務室。

 

 

執務机が中央に位置していて、その背後の壁にはでかでかと絵画が飾られていた。

 

 

芸術に疎い俺でもその有名な名前は知っている。

 

 

 

 

 

『最後の晩餐』だ。

 

 

 

 

大きなアンティーク調の執務机に向かっていたオータムナルさまはいつものアラブの民族衣装ではなく今日はいかにも仕立ての良さそうな細身のスーツ姿だった。

 

 

その見慣れない姿に目をぱちぱち。少し長めの髪も後ろに撫でつけてあって、いかにもデキそうな外交員のようなお姿に

 

 

またも目を奪われた。

 

 

何をやっても似合っちゃう彼がかっこよくて、同時に羨ましくもある。

 

 

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しばらくぼーっと見惚れていると

 

 

「私の顔に何かついているのか?」

 

 

と講義をはじめようとしない俺を、不機嫌そうに眉を寄せながらオータムナルさまが睨む。

 

 

「いえ……今日は、スーツなのですね…」

 

 

「ああ。普段の私はこのスタイルだ。最近は臣下が集う会合があったからな。臣下たちの大半がイスラム教徒だからだ」

 

 

へぇー……

 

 

「てことはオータムナルさまは…?」

 

 

「私はカトリック教だ。父上はイスラムだが、亡くなった母上は敬虔なカトリックだった。」

 

 

そ、そうだったんだ。

 

 

てかそのナリで!?とまたもツッコんじまったぜ。

 

 

「ああ、だから‟最後の晩餐”なんですね」

 

 

俺が壁の絵画を指さすと、

 

 

「ああ、この絵が好きなんだ。12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景だ。

 

 

この中に裏切り者のユダが存在する」

 

 

中央に描かれたイエスの隣で身を引いている一人の男を指さした。

 

 

‟裏切り者”と言う言葉に何故だか意味もなくドキリとした。

 

 

吸い込まれるようにその絵画を眺めていると

 

 

「これはお気に入りだが、欲しかったらお前にやろう。縮小版の模写だが、売れば何百万ドルと言う価値がある」

 

 

何百万ドル!!?

 

 

「い、いえ!!そんな大層なものいただけません!」

 

 

俺は慌てて手をふりふり。

 

 

「お前が望むものを何でも与えてやりたいのだよ、私は」

 

 

オータムナルさまはそれはそれはとろけるような極上の笑みを浮かべてにっこり笑う。

 

 

ああ、俺……氷じゃないけどオータムナルさまの熱で溶けてしまいそう。

 

 

まぁ皇子さまが何を信仰しているのか、なんて今は関係なくて。俺は絵画から目を反らし

 

 

「こほん」

 

 

大仰に空咳をして、オータムナルさまに向かい合った。

 

 

いくら小さいとは言え一国の皇子に勉強を教えるなんてはじめてで、俺も緊張してたってのもある。

 

 

俺は秋矢さんに借りてきた地球儀を執務机に取り出し

 

 

 

「今日は――――俺が行った様々な国のお話をお聞かせします」

 

 

 

と言って地球儀をぐるぐる回した。

 

 

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「実は俺、塾講師の前は派遣会社の社員だったんですよ。

 

 

あちこちの国に派遣されて、色々な国を旅しました」

 

 

俺が立ったまま執務机の上で地球儀をぐるぐる回していると、オータムナルさまが頬杖をつき興味深そうに目を細めた。

 

 

「ほぉ、それは初耳だ。派遣会社の社員だった年月は長かったのか?」

 

 

「七年くらいでしたかね」

 

 

地球儀を回して「どこの国のお話をお聞かせしようか」と悩んでいたので、俺の返事はぞんざいだったかもしれない。

 

 

くるくる地球儀を回していた俺の手に、オータムナルさまがそれを止めるように重ねた。

 

 

温かい手のひらの感触にドキリと胸が鳴る。

 

 

この胸の高鳴りが何なのか分からず、戸惑いながらも

 

 

慌てて離そうとしたが、オータムナルさまは俺の手を握ったまま

 

 

「私が聞きたい国の話はここだ」

 

 

オータムナルさまのきれいな指先が示した場所は、ここから遠く離れた―――日本だった。

 

 

「秋矢さんから聞かされているでしょう?今さらお聞かせするほどでも……きっと退屈ですよ」

 

 

俺は苦笑い。依然、片方の手は俺の手に重なったまま。引き抜くことは許されそうにもない。

 

 

「退屈など思わぬ。私はお前が育った故郷の話を知りたいのだ。

 

 

お前がどのように育ったかも。

 

 

お前自身を―――知りたいのだ」

 

 

「それこそ退屈ですよ」

 

 

俺は無理やり笑った。

 

 

それでも……オータムナルさまのサファイヤブルーの瞳は真剣で、俺を捉えて離さない。

 

 

知りたい―――と言われて嬉しいのと、知られたくないと言う気持ちが俺の中に相反して生まれる。

 

 

俺は諦めて吐息をつくと、失礼かと思ったがオータムナルさまの執務机に腰を降ろして彼を見下ろした。

 

 

空いた片方の手でオータムナルさまの頬をそっと包み、いつか彼がしてくれたように彼の額に俺の方からこつん…と合わせる。

 

 

オータムナルさまは目だけを上げて、俺を見つめてきた。

 

 

俺は目を伏せると

 

 

 

 

 

 

「俺はあなたが思ってるほど‟きれい”な人間じゃない。

 

 

あなたの目にはいつまでも‟きれい”な来栖 紅で映っていたいんですよ」

 

 

 

 

 

そっと囁いた。

 

 

 

 

 

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オータムナルさまの『日本』を指していた手が俺の頬にあてがわれ、彼の切れ長の目がまばたいた。

 

 

その美しい目を縁どる長い睫が俺の頬に当たるぐらい―――至近距離で

 

 

彼は囁いた。

 

 

「クルス……何故そのようなことを言う。

 

 

何故、そんなにも苦しそうなのだ」

 

 

苦しい―――………

 

 

そうかもしれない。

 

 

この胸を締め付けるような高揚も、『高鳴り』だと思っていたが、実は『苦しみ』だったのかもしれない。

 

 

「俺のことを知ったらきっとオータムナルさまはドン引きですよ」

 

 

「ドンビキとは?」

 

 

オータムナルさまが不思議そうに聞いてきて

 

 

「ああ、えっと……軽蔑って意味ですかね。英語だとDisesteem.」

 

 

「なるほど」オータムナルさまはその言葉についてちょっと考えるように首を捻り

 

 

 

 

 

 

「コウ」

 

 

 

 

 

ふいに下の名前を呼ばれて俺がうっすらと目を上げると、

 

 

「と、呼んでも良いか?マリアのように」

 

 

俺が肯定の意味で頷くと

 

 

「コウとは漢字で何と書くのだ。どういう意味を持っているのだ」

 

 

「紅のコウ。紅茶のコウ……の方が分かりやすいかな…」

 

 

俺が執務机に指文字でその漢字を綴ると

 

 

 

 

 

「紅

 

 

 

良い名だな。実に美しい―――

 

 

 

 

お前は‟きれい”じゃない、と言ったが私はそうは思わない。

 

 

 

たとえ‟きれいじゃない”部分があったとしても、それは紅のすべてだ。今のお前を作りあげたすべてだ。

 

 

 

私は受け止める。軽蔑などしない」

 

 

 

 

ふいに

 

 

涙が出そうになった。

 

 

俺がたった一人、愛した人も俺の汚い部分も全部受け止めて愛してくれた。

 

 

どうしてオータムナルさまの手はこんなにも温かいのだろう。

 

 

どうして彼の指先はこんなにも優しいんだろう。

 

 

俺は―――

 

 

 

また誰かを愛してもいいのだろうか。

 

 

 

 

「紅」

 

 

 

オータムナルさまに名前を呼ばれ、俺の顎に手を掛けられる。

 

 

より一層顔が近づいてきて、唇と唇が触れ合う瞬間―――

 

 

 

 

 

 

「皇子、お取込み中失礼いたします。

 

 

ドクターがお見えです」

 

 

 

 

今、まさに俺とオータムナルさまはキスをしようとしていたって言うのに、秋矢さんは顔の表情筋一つ動かさずさらりと言い執務室に顔を出した。

 

 

 

 

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あ、秋矢さん!!?

 

 

俺はびっくりしてオータムナルさまから慌てて離れた。オータムナルさまは名残惜しそうにまだ俺の頬に手を伸ばしていたが

 

 

「トオル、入るときはノックぐらいせぬか」

 

 

不機嫌そうに腕を組んで秋矢さんを睨み上げる。

 

 

「ノックはいたしましたよ。二度ほど」秋矢さんはしれっとして言う。

 

 

「それよりもドクターがお待ちです、診察室になっている寝所にお戻りください」

 

 

またも機械的に淡々と言われ、

 

 

「まだ紅と離れがたいが……診察の時間なら致し方あるまい。

 

 

次の授業を楽しみにしているぞ、紅」

 

 

オータムナルさまは小さくウィンクを寄越してきて、俺は「は、はい!」と慌てて答えるしかできなかった。

 

 

彼が執務室を出て行ってしまうと、

 

 

「それでは私も出かけるので失礼いたします」と秋矢さんまでも部屋を出て行こうとする。

 

 

え??

 

 

「あの……秋矢さんはオータムナルさまの診察に付き添わないのですか?」

 

 

俺の質問に秋矢さんはちょっと眉をしかめて腕を組む。

 

 

「いつでも皇子と私をセットと思わないでください。診察する際に彼の部屋に入れるのは皇子とドクターのみ。

 

 

たとえ私でも入室することはできません」

 

 

そーなんだ……

 

 

「お、オータムナルさま……どこかお体のお加減が悪いのですか」

 

 

心配になって聞くと

 

 

「さぁ?」

 

 

予想外に秋矢さんはそっけなく肩をすくめるだけだった。

 

 

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「さぁ……って心配じゃないんですか!オータムナルさまが何か酷い病気にかかっていらっしゃるかもしれないのに」

 

 

俺が勢い込んで秋矢さんの腕を掴むと、思った以上に俺の力が強かったのか、秋矢さんは腕を見つめて目を細めると表情を歪ませた。

 

 

 

 

「痛い。ミスター来栖。離してください」

 

 

 

 

そう言われて俺は慌てて彼の手首から手を離す。

 

 

「す、すみませんでした」

 

 

秋矢さんは掴まれた部分を撫でさすり、

 

 

「誰にも秘密ぐらいあるでしょう?皇子は‟定期健診”の内容を知られたくないと仰ってましたので、私にはそれ以上詮索することはできません」

 

 

そ……そうかもしれないけど……

 

 

「でも!やっぱり……!」

 

 

 

 

 

心配だ――――

 

 

 

 

この言葉は飲み込まれた。

 

 

秋矢さんはよっぽど痛かったのか、まだ腕を撫でさすりながら小さく吐息。

 

 

「皇子は病気などではありません。ですからご心配なさらないように」

 

 

きっぱり言われて俺は首を傾げた。

 

 

さっき知らないって言ったじゃん。でも、秋矢さんの口ぶりからすると何か知っていそうだ。

 

 

でも、その何かを聞き出せない俺。

 

 

黙り込んだ俺を覗き込み、秋矢さんが小さく笑った。

 

 

「ちょうど良かった。いっときとは言え皇子から解放されました。

 

 

一杯飲みに行こうと思っていたのですが、お付き合いいただいても?」

 

 

「飲みに……?」

 

 

解放って……やっぱ秋矢さんも側室って言う立場に不満を感じてるのかな。

 

 

そう言えばカイルさまがオータムナルさまが秋矢さんを束縛してるとか何とか言ってたような……

 

 

「うまい日本食が食えるところがあるんですが、いかがですか?」

 

 

彫刻のように整った顔でこれまた完璧な笑顔で聞かれると「No」とは言えない俺。

 

 

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