Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)

 

Cat №37 黒猫不在連絡ひょー

 

『黒猫不在連絡ひょー』

 


 

 

〝黒猫倭人の宅急便 不在連絡ひょー

 

 

お荷物内容 LOVE

 

P.197


 

 

午後の最後の講義を終えて、私たちは二人揃って研究室に向かった。

 

 

何故って?

 

 

「今日は溝口さんが来る曜日でしょ~♪」

 

 

ああ、目的はそれか。

 

 

涼子がくっついてきて、涼子の予想通りその三十分後には溝口さんが来た。

 

 

私は溝口さんにもかくかくしかじか。

 

 

CIAの間で隠し事なんて出来ないだろうし、知らないところで情報が行き交うのは何だか気持ち悪いから。

 

 

だから自ら自白した。

 

 

「は!!婚姻届!!それってプロポーズじゃないスか!!」

 

 

溝口さん、涼子と同じ反応。さすがカップル。

 

 

その後に答えるべき返事ももう慣れたもので

 

 

「まだ婚姻届もらっただけですよ。何もしてません。

 

 

あ、そうそう。デートには誘われました。二人きりだとキマヅイので、涼子と溝口さんとダブルデートにしましょうって…」

 

 

私はレポートを読み上げるように淡々と伝えると

 

 

 

「「は??」」

 

 

涼子にも伝えてなかった事柄に、涼子と溝口さんは揃って勢い込んできて

 

 

「どうかっ!このとーり!!お願いします!!!!」

 

 

ガバッ

 

 

私は頭を下げた。

 

 

 

「絶対!!イヤです!!」

 

 

溝口さん、即答。

 

 

チェシャ猫さんと同じ反応だった。

 

 

「朝都さん中学生スか!イマドキの中学生だってもっとうまくやりますよ!」

 

 

「まぁまぁそんなこと言わずに付き合ってあげましょうよ。朝都は私たちをくっつけてくれたキューピッドなんだし」

 

 

涼子!

 

 

「何で俺が!休日まで樗木と!!“あの”樗木とっ!!」

 

 

溝口さんはよっぽどチェシャ猫さんのことが苦手なのか、手を震わせて目を血走らせている。

 

 

どうやら合コン後、二人に何かあったらしい。

 

 

喧嘩でもした??

 

 

「そうは言っても、もう返事しちゃったんでしょう?だったら行くしかないじゃないですか。

 

 

朝都のためですよ!」

 

 

天使涼子は私の味方になってくれて

 

 

「じゃぁ私デートの前日朝都の部屋に泊まりにいく~デート前の女子会議しよ♪」っとどこか楽しそう。

 

 

私は全然楽しくないんだけど。

 

 

「そんなぁ」

 

 

溝口さんは最後の最後まで渋ってたけど、

 

 

 

だって……

 

 

 

あの“チェシャ猫さん”といきなり長時間二人きりなんて、私の方がおかしくなりそうなんだもん。

 

 

 

 

 

 

P.198

 

デート前日の夜。

 

 

私と涼子はコンビニでお菓子やお酒を買い込んで、今日は私のアパートでレディースナイト。

 

 

溝口さんもさっきまで『俺も行きたい!朝都さんちでお泊りしたい』なんてほざいていたけど

 

 

「うちは男子禁制ですので」と、丁重にお断りした。

 

 

 

 

 

――――

 

 

アパートまでの帰り道、

 

 

「あんたんちいつ男子禁制になったの?こないだまで浩一だって来てたし、いいじゃん」

 

 

涼子が流し目で聞いてくる。

 

 

「良くないよ!だって溝口さんだよ?何の義理がある。

 

 

それに……誰であろうと男をうちに入れるのはやめようと思ったの。

 

 

もう“あんな思い”するのこりごり」

 

 

私のテリトリーに……おうちに自ら黒猫を招き入れて、短い間だったけれど黒猫と楽しくて甘い時間を過ごして、やがてその思い出だけを、ぬくもりだけを残して

 

 

 

私は恋を捨てた。

 

 

私がいけないのに、でもどうにもその言葉で言い表せない気持ちを消化できない。

 

 

ううん

 

 

 

消化―――したくない。

 

 

 

 

一瞬一瞬がどれも大切で大切で―――私はもしかしてその思い出の一つ一つを違う男の記憶で塗り替えたくないのかもしれない。

 

 

それがたとえ溝口さんでも。

 

 

男としてこれっぽっちも意識してない人でも。

(だって一応染色体はXYだしぃ)

 

 

 

 

 

 

 

P.199

 

 

―――

 

 

 

 

「て言うかね…私、婚姻届ももらったって言うのに実は連絡先も知らなくてね。

 

 

赤外線で番号交換しようと思ったんだけどその仕方、分からなくてね。イマドキ赤外線も出来ない女子大生って化石よね」

 

 

私は帰る道々涼子に説明。

 

 

『あれ!受信できない!!って言うか赤外線ってどうやるんですか?』

 

 

オロオロしている私に、チェシャ猫さんはどこまでも丁寧で親切。

 

 

結局チシャネコさんに全部やってもらった私。ものの数秒で番号とアドレス交換完了。

 

 

現役女子大生なのに……↓↓チェシャ猫さん…意外にデジタルだった。

 

 

涼子は楽しそうに聞いてくれたけど、その笑顔がどことなくぎこちないのは気のせい??

 

 

もしかして私の恋(?)バナばっかでつまんないかな。

 

 

でもすぐに

 

 

「へー♪いいじゃんいいじゃん♪ぎこちないケド一歩前進☆」といつも通り笑ってくれた。

 

 

「そうだけどさ~…チェシャ猫さん私の本当の姿見てないから、幻想抱いてるんじゃないかって思うよ。

 

 

今はちょっと変わってる程度で楽しいかもしれないけど、これから知っていったら…」

 

 

 

「実は“おっさん”です、なんて自分から暴露しなくてもいいんじゃない?

 

 

 

オトコは誰しも女に幻想を抱いているものよ?

 

 

バカよねぇ、オトコの理想そのものの女が居ると思う?

 

 

 

 

答えはNoよ。

 

 

 

 

樗木さんだってもういい大人なんだし、その辺分かるわよ」

 

 

 

 

涼子、おっとな~!!

 

 

恋愛の神様と呼ばせていただくわ。

 

 

でも、私からしたらまだ子供の黒猫は、私に変な幻想を抱くことなくそのままを好きになってくれた。

 

 

 

子供だから純粋なのか。

 

 

それとも

 

 

 

子供こどもだと思っていたけど、もしかしたら、黒猫は誰よりも

 

 

 

―――大人だったのかもしれない。

 

 

 

 

「んー…そんなもんかなぁ…」

 

 

生返事を返していると、アパートの前の電信柱の影で建物の様子を伺っている、見るからに不審者(女の人)が。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.200

 

 

私たちは思わず足を止め、顔を見合わせた。

 

 

女の人が私たちの気配に気付いたのか怯えたように振り返り、それでも私の顔を確認すると顔色をぱっと変える。

 

 

あ、確かお隣さんの…

 

 

 

見知った顔を見て私もほっ。

 

 

女の変質者なんて聞いたことないけど、まったく知らない人だったらさすがに気持ち悪い。

 

 

でもこのお隣さん、名前なんだっけ??引越しのときに挨拶もしたし、たまにゴミ捨てだって一緒になる間柄だってのに。

 

 

て言うか何やってるんですか?

 

 

「あ、真田さん!真田さん!!」

 

 

お隣さん…年齢不詳、いつも地味目のスーツ姿。

 

 

何をやってる人なのかも謎…に名前を呼ばれて手招きされた。

 

 

「……誰?」

 

 

涼子が不審そうに私に聞いてきて

 

 

「お隣さん」私はちっちゃな声で説明をしてお隣さんの元まで歩いていった。

 

 

「どうしたんですか?部屋に入らないんですか?」

 

 

「それがね……、さっきから不審者が部屋の前をいったりきたりしてて……

 

 

怖くて入れないのよ」

 

 

お隣さんは顔を青くして電信柱につかまっている。

 

 

私も涼子も二人でその不審者とやらを覗き込むように電柱からちょっと顔を出して確認。

 

 

 

 

 

不審者?

 

 

 

 

 

「あ、出てきた!あら、まだ若いじゃない。制服着てるし高校生かしら」

 

 

 

 

お隣さんは顔を青くしてボロアパートの入り口を指差し。

 

 

制服―――…?

 

 

雨で錆び錆びになった外階段の下に設置してあるポストの前まで歩いてきたのは

 

 

 

見知った制服にあったかそうなマフラー。けだるそうな表情に制服のポケットに手を突っ込んで相変わらずやる気の“や”の字も感じられない。

 

 

「え―――…あれって…」

 

 

涼子が目を開いて息を呑み私の服の袖を引っ張ってくる。

 

 

 

 

 

――――……

 

 

 

 

 

黒猫――――!?

 

 

 

 

 

 

 

何で?

 

 

 

 

 

 

 

P.201

 

 

ど、どうして黒猫が…?

 

 

ドキンドキン…心臓が煩いほど鳴る。

 

 

黒猫に気付かれていないと思っていても今すぐこの場を逃げ出したい私。

 

 

心臓の音が、すぐ近くで身を潜めているお隣さんに聞こえちゃわないか、それが心配だったけれどお隣さんもそれどころじゃないみたいだ。

 

 

「やだ!私のストーカー!?

 

 

こっそり尾けてくることしなくても、声掛けてくれればいいのに。

 

 

きっと純真なのねー

 

 

まだ高校生じゃない。年齢の差を考えてるのかしら…」

 

 

と、お隣さんの誤解…妄想ははどんどん進んでいく。

 

 

涼子はちらりと私を見てきて肩をすくめた。

 

 

まぁ黒猫は、顔だけなら可愛いからな。

 

 

いえ、あれ……

 

 

 

 

 

 

私の元カレです。

 

 

 

 

 

 

とは言い出せず、

 

 

黒猫倭人はしばらくじっとポストを眺めていたけれど、やがて何かを決意したのか私の部屋のポストの中に何かを突っ込んで、私たちとは反対方向へ向かっていった。

 

 

「……何だ、私のストーカーじゃなかったみたい」

 

 

お隣さんは倭人がストーカーじゃないこと、自分が狙われていないことを知ると、さっきまでの怯えようはどこへ行った、と言うぐらいあっさり立ち直った。

 

 

少し残念そうな…どことなく悔しそうな感じでもあるけど??

 

 

「よ、良かったですねぇ」

 

 

と、私もお隣さんに調子を合わせる。

 

 

「真田さんのポストに何か入れてったように見えたけど?

 

 

もしかしてあなたのストーカーじゃない?私、一緒に中身確認してあげようか」

 

 

お隣さんは好奇心か、はたまた他の何かの感情か、私の背中を押す。

 

 

「いえ、大丈夫です。危険なものじゃないんで」

 

 

と説明しても

 

 

「そうは言っても怪しいわよ!」と言いながら、黒猫が押し入れた物がよっぽど気になるのかお隣さんは引き下がらない。

 

 

あぁ、もう。面倒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫です。あの子、私の彼氏ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

P.202

 

 

お隣さんを引き剥がす口実だった。

 

 

でも

 

 

“彼氏”って言っちゃった。

 

 

とっくに終わってるのに―――

 

 

涼子は隣で何か物言いたげに口元を押さえ、けれど結局その場で何かを語ることはなかった。

 

 

まぁお隣さんがいる手前下手なことは言えない、てのが正直なところか。

 

 

でもこの言葉は、お隣さんに効果覿面だったのか

 

 

「あら、そうなの。じゃぁ大丈夫ね」

 

 

お隣さんはちょっと悔しそうに唇を尖らせて私から離れると大人しく部屋へ入っていく。

 

 

一体、彼女は何がしたかったんだろう。と謎だけが残ったけれど。

 

 

それをきっちり見届けてから、私たちはそろりと古びたポストを開けた。

 

 

中から出てきたのは一枚のメモ用紙。

 

 

黒猫が勉強のときに使ってるルーズリーフの切れ端。

 

 

それを開いて私と涼子は二人で覗き込んだ。

 

 

そのルーズリーフは手で破ってあって、その切れ端には黒猫の字でこう書いてあった。

 

 

  

 

へ……

 

 

ルーズリーフの内容を一通り読んで私は目をぱちぱち。

 

 

 

な…

 

 

 

 

なんっ!!!!!!!(何で!と言いたい)

 

 

 

 

 

 

 

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「Wo~w!♪

 

 

黒猫くん、かっわいー!!」

 

 

涼子が「キャーキャー!」言って手を叩いて飛び上がり、一人楽しそうにしている。

 

 

「不在連絡ひょーだってぇ♪しかもお届け物は“LOVE”

 

 

フったてのにあんた愛されてるね~」

 

 

涼子はルーズリーフの文字を目で追いながらにまにま。

 

 

「か、返して!」

 

 

私はそのルーズリーフを取り上げた。

 

 

その勢いで

 

 

バサバサっ、ゴトっン

 

 

 

コンビニで買ったお菓子と缶ビールのビニール袋が床に落ちて、

 

 

ビニール袋から飛び出た缶ビールがころころとくすんだ灰色の地面を転がっていった。

 

 

 

涼子はオフザケが過ぎたと思ったのか

 

 

「ごめん」

 

 

素直に謝ってきてしゅんとうな垂れる。私も慌ててかぶりを振った。

 

 

「私こそ……ごめん。大人気なかったね」

 

 

転がったビールの缶を拾おうとして、かがんだそのときに

 

 

くすんだ灰色の床に黒い染みがぽつりと落ちた。

 

 

あれ……雨……

 

 

ぼんやりとそう思っていると

 

 

「朝都……」

 

 

涼子が慌てて私の肩を抱き起こし、

 

 

「ごめん!ほんっとぉにごめん!!私、朝都を悲しませるつもりじゃなかったの」

 

 

涼子は必死に言って私を抱きしめてくる。

 

 

悲しむ―――……?

 

 

ああそっか。

 

 

また私―――涙を流してるんだ。

 

 

感情より前に、私の体は何て正直……

 

 

 

 

黒猫―――私はあんたの元に……

 

 

寂しがりやのネコちゃんをひとりにしないために

 

 

あんたの飼い主に戻りたいよ。

 

 

 

 

 

 

 

涼子のあったかい体に抱きしめられて、私は―――涼子の肩に縋ってまたも思い切り泣いた。

 

 

 

 

レディースナイトは……何だか微妙な空気ではじまった。

 

 

 

 

 

 

P.204

 

 

 

―――

 

―…

 

 

「お風呂お先…」

 

 

涼子がシャワーから上がってきて、まだ濡れた髪をタオルで拭いながら部屋に来た。

 

 

「ん…」

 

 

私は黒猫の“不在連絡ひょー”をじっと眺めていて、眺めていてもどうすることもできないから、それを丁寧に折っていたところだった。

 

 

「それ、どうするの?」

 

 

涼子が私の隣に腰掛けてきて、

 

 

「さすがに捨てられないよね」

 

 

私は何とか苦笑い。

 

 

あれこれ考えた結果、手帳にしまいこむことにした。

 

 

手帳を開いて、不在連絡ひょーをしまい入れようとして、その場所に先約があったことを思い出した。

 

 

チェシャ猫さんから受け取った婚姻届。

 

 

デートの前日、まるでタイミングを見計らったかのように黒猫からの手紙が届いて―――

 

 

 

運命―――と言うより、何だか色々と試されている気がした。

 

 

 

 

 

『黒猫倭人を諦められる?』

 

 

『そんなんで新しい恋、できるの?』

 

 

 

 

 

私は超がつくほど現実主義者だし、神様なんて信じてないけど

 

 

でも今頭の中で響いた声は

 

 

 

 

 

神様の声だったのかも。

 

 

 

 

 

 

 

P.205

 

 

その後は涼子と二人ビールを飲みながら、メモと婚姻届けのことには触れず

 

 

あたりさわりのない日常会話を楽しんだ。

 

 

いつになく良く喋るのは余計なことを考えたくないのと、少しでも沈黙しちゃったら涼子に

 

 

『どうするつもり?』て聞かれそうで

 

 

まだ答えを割り出せない私は、そう聞かれたら今度こそ本当に沈黙しそうで怖かったから―――

 

 

だからひたすらに喋った。

 

 

そして夜も12時を過ぎると、私はシャワーを浴びることに決めた。

 

 

「あんまり遅くに入ると近所から苦情がくるの」

 

 

服を脱ぎながら苦笑すると

 

 

「うちでもそう。お母さんがうるさいんだ」

 

 

涼子は肩をすくめる。

 

 

「女は色々時間が掛かるってのにね~

 

 

いいよ、私のことは気にしなくていいからゆっくり入ってきなよ」

 

 

涼子のお言葉に甘えて、私は通常よりたっぷりと時間を掛けてシャワーを浴びた。

 

 

いつもならシャワーから上がっても一人で、そのがらんと空虚な部屋に居るのが嫌で無駄にテレビをつけっぱなしにして入るけど、今日はその必要もない。

 

 

 

今日は涼子が居てくれるから―――

 

 

 

だけど

 

 

シャワーを浴び終えて、部屋に向かうといつも通りテレビはつけっぱなし。

 

 

テーブルの上には私が飲んだビールの空き缶と、それから普段では見ない可愛い色をしたカクテルの空き缶が転がっていて、

 

 

いつもとあんまり変わらない光景だった。

 

 

 

唯一違うのは―――

 

 

ベランダに続く窓がほんの少し開いていたことだけ。

 

 

外の空気が隙間から入ってきて、ベランダに目を移すと涼子の後ろ姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

涼子―――……?

 

 

 

 

 

 

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「―――とにかく…何とか引き止めてはいるけど

 

 

もう限界だよ。

 

 

大体人の気持ちなんて他人がとやかくできるもんじゃないし―――……」

 

 

涼子は私に気づかず独り言…じゃなくて

 

 

誰かと電話中だった。

 

 

深刻そうな声。

 

 

「そうね…君の言う通りクールダウンは必要だと思うよ?

 

 

でもね……タイミングと言うかね…」

 

 

涼子は通話口を押さえながらぼそぼそ。

 

 

何かトラブルかと思ったけれどそんな感じには見えない。

 

 

ネイビー色のロングカーディガンのベルト部分の紐や裾が風で揺られていた。

 

 

見覚えのあるカーディガンだと思ったら、それは私のカーディガンで

 

 

黒猫お気に入りの一着だった。

 

 

部屋着にしてたものだけど、大きめのカーディガンは私が着るとちょっと大きくて手の指先まで隠れる。

 

 

それが―――『萌え』らしい……

 

 

黒猫………謎過ぎる。

 

 

でもスラリと背が高く手足が長い涼子が着るとぴったりで、深めの色合いも大人っぽい涼子に良く合っていた。

 

 

電話中だと気づいて、私はベランダの窓を閉めなおそうとしたけれど、その音で涼子が振り返った。

 

 

びっくりしたように目を開き

 

 

「じゃ、じゃぁまたね!」

 

 

と慌てて電話を切る。

 

 

「…ごめん、邪魔しちゃった?」

 

 

上目で謝ると、

 

 

「いいの。大した用じゃないから。溝口さんから」

 

 

涼子は聞いてもないのに相手の名前を明かし、寒そうにカーディガンの前を合わせて首をすぼめる。

 

 

僅かに目を伏せて、口元には悲しそうな寂しそうな複雑な笑みをうっすら浮かべている。

 

 

ホントに大した用じゃないのだろうか。

 

 

直感―――

 

 

相手はきっと

 

 

 

 

 

溝口さんじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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涼子が浮気――――!?

 

 

ううん、そんなことするような子じゃない!!

 

 

(でもでも、合コン荒らしとか言ってたし…ううん、そんなこと絶対にない)

 

 

絶対に!

 

 

その後のガールズトークも二人ともどこか上の空で妙によそよそしく、さっきより益々身のない会話になっちゃって、そんなんだから話題はそう長く続くわけでもなく

 

 

気づまりな空気に耐えかねてどちらからともなく

 

 

「もう寝る?」

 

 

と言い出した。

 

 

「おやすみ~」と挨拶をしてベッドに入ったものの、私はこのページの冒頭部分のモノローグをひたすらに頭の中で繰り返している。

 

 

すぐ隣で眠る涼子は私がこんなこと考えてるとは露知らず、規則正しく寝息を立てていた。

 

 

狭いシングルベッドは、やっぱり大人二人で眠るのはちょっと狭かったけれど、でも黒猫と二人で眠るときより窮屈じゃない。

 

 

 

 

涼子―――

 

 

 

 

『もう限界』とか言ってた。

 

 

ラブラブに見えたのに、溝口さんと付き合うのに疲れちゃったのかな…

 

 

まぁ??私なら溝口さんは絶対無理だけど。

 

 

てか、今そんなこと考えてる余裕あるの??朝都。

 

 

私は私に言い聞かせた。

 

 

何て言ったって明日はダブルデートの日だし。

 

 

少しでも寝ないと―――お肌とかテンションとか色々響く。

 

 

少しでも寝ないと……

 

 

考えていたらいつの間にかうとうと…

 

 

 

私は知らないうちに眠りに入っていた。

 

 

 

 

 

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眠ってからどれぐらい経っただろう。

 

 

物音がして、ふと目が覚めた。

 

 

「急にごめんね、呼び出して」

 

 

涼子の囁くような小声が夜の闇の中、空気を伝って聞こえてきた。

 

 

ふわり

 

 

またも冷たい風を頬に感じて、その声はベランダから発せられてることに気づいた。

 

 

涼子―――…?またベランダ…?

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

男の人の声も―――

 

 

涼子……!?

 

 

ま、まさか私が居るのに浮気相手と逢引!?←古い

 

 

ドキドキ煩い心臓の音が聞こえちゃわないか心配だったけれど、ベランダに居る涼子にはさすがに聞こえないだろう。

 

 

「朝都さん一度寝たら起きないタイプじゃない?大丈夫、大丈夫

 

 

とにかく行こう」

 

 

ん??

 

 

この声と失礼な発言。

 

 

溝口さん―――?

 

 

涼子は恋人と浮気……??

 

 

て、それは浮気じゃないっつうの。

 

 

てかそんなこそこそ会わなくても明日会えるのに、涼子もせっかちだなぁ♪

 

 

てか行くってどこへ??まさかまさかの駆け落ち!?

 

 

あぁ、バイオハザードウィルスめ。寝てる間まで浸透してきて。

 

 

ブロロ……

 

 

車のエンジン音が遠ざかる音が聞こえてきて、

 

 

涼子…?行っちゃった………?

 

 

 

 

 

 

だよね。

 

 

涼子が溝口さんと駆け落ちって…←駆け落ち決定。

 

 

それにしても

 

 

変な夢。

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

――…

 

 

 

そして朝

 

 

『~♪夢~じゃない、あれもこれもぉ!♪』

 

 

大好きなB'zの稲葉さんのセクスィボイスが私を起こしてくれた。

 

 

ケド

 

 

寝起きに稲葉さんの声は心臓に悪いわ。

 

 

てか誰よ!目覚ましにこの曲をセットしたのは!!

 

 

あ、私か……

 

 

 

 

 

 

 

 

P.209

 

 

 

 

 

私はぼんやりする頭を押さえながら、ケータイのアラームを切った。

 

 

「涼子ぉ、朝だよ~」

 

 

私は当然隣に居るものだと思っていた涼子に話しかけたけれど、ベッドはもぬけの殻。

 

 

へ??

 

 

トイレにでもいってるのかな…

 

 

考えたけれど、部屋は物音ひとつしない。

 

 

しん、と静まり返っている。

 

 

涼子??

 

 

『夢じゃない、あれもこれも~』

 

 

スヌーズにセットしたアラームがまたも音を鳴らし、私は慌てて目覚ましを解除した。

 

 

ベッドから起き上がると、すぐ近くのテーブルの上にメモ用紙が。

 

 

涼子の字で

 

 

 

 

 

『ごめんね、どうしても外せない急用が出来たの。

 

 

と言うことで帰るね。

 

 

なので今日のダブルデートは無理そう。本当にごめん』

 

 

 

 

 

 

と書かれていて、

 

 

 

「はぁ!!?」

 

 

 

 

 

私はメモを握ったまま、ほーしん。

 

 

方針…

 

 

じゃなくて砲身…

 

 

じゃなくて!!

 

 

 

放心よ、放心!!

 

 

 

とにかく自分の中でうまく漢字変換できないほど、私の中はぐちゃぐちゃ。

 

 

 

涼子の外せない用事ってのはやっぱ駆け落ち!!?

 

 

 

 

 

 

P.210

 

 

 

ど、どうしよぉ!!

 

 

涼子が溝口さんと駆け落ち!!

 

 

おろおろしながらも、すぐさまケータイで浩一に連絡。

 

 

浩一なら何か知ってるかも。

 

 

と思ったけれど

 

 

『お掛けになった電話は現在電波の届かないところにおられるか…』

 

 

使えねー!!

 

 

ボン

 

 

私はケータイをベッドに投げつけた。

 

 

 

どうしようっ!!

 

 

涼子の一大事だってのに!

 

 

あと涼子と溝口さんの共通の知り合いは……

 

 

必死に考えて一人だけ思い当たった。

 

 

 

 

 

 

黒猫

 

 

 

 

 

 

黒猫だったら涼子のことも溝口さんのことも知ってる。

 

 

そう思ってケータイに手が伸びかけた

 

 

けど

 

 

冷静に考えたら、黒猫が二人の行方や事情を知ってるわけないっての。

 

 

私の手はケータイまで残り数ミリってところで

 

 

 

止まった。

 

 

 

 

 

 

P.211

 

落ち着くのよ朝都。

 

 

心臓に手を置いて考えてみる。

 

 

涼子と溝口さんの共通の知り合い―――

 

 

そだ!

 

 

チェシャ猫さん!彼なら二人とも知ってるし、大人だし何か聞いてるかも。

 

 

今度はほとんど何も考えずにケータイに手が伸びた。

 

 

考えたら私、チェシャ猫さんに電話するのはじめてだ。

 

 

はじめての電話がこんな内容なんて誰も想像できないよね。

 

 

だから

 

 

TRR…『…はい。真田さん??』

 

 

電話を掛けられた方のチェチャ猫さんもちょっと驚いていた。

 

 

寝起きなのだろうか、少しかすれた電話越しの声もセクシー。

 

 

ごめんね稲葉さん。少し浮気しちゃいました。

 

 

「…す、すみません朝早くに」

 

 

時間を確認すると、朝の7時前。

 

 

『いえ、何時でも真田さんの電話はうれしいですよ』

 

 

と、朝から甘~い台詞。

 

 

ぶっ倒れそうなシチュエーションに…けどいちいち甘いシチュエーションに酔ってる暇ない。

 

 

「樗木さん、溝口さんと連絡取れます!?」

 

 

突然の私の質問にチェシャ猫さんがびっくりしたように息を飲んだ気配があった。

 

 

 

 

 

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『溝口と相田さんが駆け落ち?』

 

 

かくかくしかじか理由を説明すると、さすがのチェシャ猫さんもびっくりしたようだ。

 

 

『何も聞いてませんけど』

 

 

と動揺したのかちょっと声がトーンダウン。

 

 

「どうしよう…涼子……駆け落ちとか…私が昨日…

 

 

ちょっとキマヅイ雰囲気になっちゃって……だから…」

 

 

だから駆け落ちとどう関係があるのか、問われたら答えられないけど私たち昨日はいつも通り楽しめなかった。

 

 

嫌になっちゃって溝口さんとどっかへ行っちゃったら―――

 

 

『理由は分かりました。とにかく僕、今からそっちに向かいます。

 

 

二人で探しましょう』

 

 

チェシャ猫さんはとことん優しくて、こんな私の脈略もない話を信じてくれる。

 

 

結局、準備や移動の時間を計算してチェシャ猫さんが一時間後に私の家に来てくれることになった。

 

 

電話を切って私は慌てて出かける支度。

 

 

『今日のお天気です。非常に大型の台風XX号の情報です。

 

 

台風XX号はただいま四国・九州地方に上陸し、本日の夜には関東地方に移動する模様です』

 

 

天気予報を流しながら、慌ただしくメイクをして着替えを済ませた。

 

 

涼子―――……

 

 

どこか安全な場所に居ればいいけど。

 

 

どうか無事でいて。

 

 

そんな願いを込めて私は借りっぱなしになっていた涼子のグロスを唇に引いた。

 

 

 

 

P.213

 

約束の時間ぴったりに、チェシャ猫さんが迎えに来てくれた。

 

 

黒のSUV車。

 

 

スラリと背の高いチェシャ猫さんにはぴったりのスタイリッシュなデザインだった。

 

 

派手なオープンカーでこられたらどうしようかと思ったケド。

 

 

まぁそれも似合いそうっちゃ似合いそうだな。

 

 

助手席に促されて乗り込むと

 

 

「溝口からメールが来ましたよ」

 

 

とチェシャ猫さんは苦笑い。

 

 

「ホント!?」

 

 

思わず勢い込むと、チェシャ猫さんはスマホ画面を私に見せてくれた。

 

 

“今日のダブルデートはやっぱりキャンセル。

 

 

急で悪いけど”

 

 

その文字を見て

 

 

あぁ……やっぱり……やっぱり駆け落ちしちゃったんだ…

 

 

私はスマホを握ったまま思わず目を伏せた。

 

 

けれど隣からチェシャ猫さんの手が伸びてきて

 

 

「まだ続きがあります」と言って画面を指でスクロールしてくれる。

 

 

“ダブルデートとか中学生かっつうの。

 

 

朝都さんに悪いケド二人で楽しんできてネ♥

 

 

俺は涼子さんと楽しんでくるから♪

 

 

 

 

 

せっかく気を遣って二人きりにしてやるんだから

 

 

しっかりキメろよ!

 

 

健闘を祈る!”

 

 

 

――――……

 

 

 

デート…だとぉ??

 

 

「溝口ーーー(怒)!!」

 

 

思わずスマホを握りしめて怒鳴ると、

 

 

チェシャ猫さんはびっくりしたような、でも次の瞬間「ははっ!」と声を挙げて笑い出した。

 

 

 

 

 

 

P.214

 

「何か……すみません。

 

 

私が(またも)勝手に勘違いしちゃって」

 

 

ああ…穴があったら入りたい!

 

 

私は赤くなる顔を隠すように両手で顔を覆った。

 

 

そんな恥ずかしい私にも

 

 

「いいえ。

 

 

でも二人が無事でよかったですね」

 

 

チェシャ猫さんはほんわり笑って優しい笑顔。

 

 

チェシャ猫さん……ほんといい人……

 

 

きゅん

 

 

…してる場合じゃないって。

 

 

「二人も無事だと分かったし、僕たちは僕たちで楽しみましょうか」

 

 

いい―――人……??

 

 

“楽しむ”って何を!!

 

 

思わず体を引いて、ドアに身を寄せた。

 

 

「それじゃ、私はここで」←結構酷い

 

 

ドアノブに手を掛けて今にも飛び出しそうな勢いの私を

 

 

「ちょっ!ちょっちょちょちょ―――と!」

 

 

と慌てて引き止めるチェシャ猫さん。慌て過ぎだよチェシャ猫サン。

 

 

そんっなに私とどーにかなりたいのか。

 

 

腕を伸ばして私のドアノブに掛かる手を阻むように重ねるチェシャ猫さん。

 

 

チェシャ猫さんの手から彼のぬくもりを直に感じる―――

 

 

手を振り払うこともできず、私はチェシャ猫さんの手と彼の顔を見比べた。

 

 

その間で視線をいったりきたりさせていると、ふと視界の端で

 

 

エンジンスターターに刺さった鍵のキーホルダーが映った。

 

 

ブロンズ製の…アンティーク風の鍵をかたどったもの鍵の先にデイジーがくっついている。

 

 

あ……こないだの―――

 

 

ピルケースと同じモチーフ……?

 

 

短い間でそんなことを考えていると、

 

 

 

 

 

 

「お好み焼き、好きですか?」

 

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんはにっこり笑顔を浮かべて、唐突に聞いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

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