Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)
Cat №40 黒猫ライアー
その①
『黒猫ライアー その①』
大きいか小さいか。
そんなの問題じゃない。
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「ちょっと黒猫!どこへ行くのよ」
私の問いかけに答えることなく、黒猫は私から手を離すと不機嫌そうにポケットに手を入れたまま先を行く。
「黒猫……倭人……!」
名前を呼ぶと黒猫は立ち止まり、ゆっくりとこっちを振り返る。
前にもあった。……こんなこと。
名前呼んでほしそ~に、じっと散歩中のワンちゃん見つめちゃって。
やることいちいち可愛いのよ、あんたは。
だけど今は違う。
嬉しいけど、寂しそうな……複雑な表情で何とか笑ってる。
いつの間に―――そんな大人の男がするような表情を覚えたのよ、
あんたは―――
ちょっと目を離すと勝手に大人になっちゃう。
手を離したのは、並んで歩くのを拒否したのは私なのに―――でも……
知らない男を見ているようで、私は急に居心地が悪くなった。
それでも
「並んで歩く」
黒猫が私の元まで歩いてきて、今度こそ拒否することはできなかった。
したくなかった。
私は小さく頷いて歩きだした。
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一定の距離…私たちの間には50センチの距離がある。
前はその距離を縮めたかったけど、今はこの微妙な距離を保つのに必死。
少しでも内側に入ったらきっと、元に戻りそうだから。
特に何かを話すと言うわけでもなく、気づまりな沈黙の中
「風邪……もう大丈夫?」
と黒猫が空を見上げながらぽつりと呟いた。
「風邪……?うん…もう大丈夫…って―――私が風邪ひいてたこと何で知ってるの?」
「……亮太から聞いた…」
あれ??私トラネコくんに風邪ひいたこと喋ったっけ…
ま、いっか。
今度は黒猫が押し黙り、またも沈黙が再来。
ああ……!何か話して!!と願っていると
「朝都さぁ、俺が変なとこ連れて行くて考えはないの?」
と、突如黒猫が言い出した。
変なとこ……て、どーゆうとこ??
色々ツッコミたかったけど、そんな空気じゃないし。
私は「そんなこと考えもしてない」と言う意味で首を横に振った。
黒猫は私の反応を見て目を細めるとちょっと呆れたようにため息。
「俺、こんな状態だしさ、朝都に何かするかもよ?
それなのに、ホイホイついてきちゃって、警戒心薄すぎ」
警戒心……とか言っちゃう??
ちょっと前まで可愛い子猫ちゃんだったのに。
でも
何か……
してほしいと願う。
そしたら私の中に滞ってる下らない理由さえなくなりそうだから。
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でも、そんないい加減なの、やっぱ嫌だしそんなあやふやなの黒猫にも悪いよ。
でも私の知ってる黒猫は…
「しないよ。あんたは私が嫌がることしない」
はっきりと言い切ると、
「何それ」
黒猫は小さく鼻で笑った。
「朝都、俺を買い被り過ぎ。
俺は聖人じゃねっつの」
照れてるのか、黒猫は顔を僅かに赤くしてぷいと顔を逸らす。
知ってる。猫だもんね。
「バカ朝都、ばーか」
「ム バカて言う方がバカ!」
ムキになって言い返すと、黒猫は前と同じような白い歯をみせて無邪気に笑ってくれた。
「ガキみたいなこと言ってんなよ」
あ
私たち前と同じように違和感なく喋れてる―――
でも
開けた距離は一定間隔―――……
50㎝の距離を私は、詰めることが
できなかった。
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元飼い猫の黒猫に連れられて辿り着いたのは、
黒猫が通う高校だった。
以前、文化祭で来た―――ううん…それだけじゃない、それ以降も一回だけ覗きに来て、もう一回はお弁当を届けに来たことのある覚えのある高校―――
夜の学校は当然ながら校門は閉まっていて、少し前の時間帯は部活動も行われていたろうグラウンドもがらんとしていた。
それは昼間見る学校の雰囲気とまるで違って、どこか別世界に連れてこられた錯覚に陥る。
「ね…ねぇこんなところに来てどうするつもり…?」
さっきまでのテンションはいずこに??私は不安になって聞いてみると
「ちょっと待ってて」
黒猫は自分の鞄を校門の向こう側に
ボスッ
放り込むと、
「よっ」
軽く掛け声を掛け、勢いをつけて飛び上がった。
さっすが猫!
黒猫は難なく校門を飛び越え、内側から鍵を開けてくれた。
―――は、いいけど大丈夫なのか。こんなに簡単に開いちゃって…
そして簡単に部外者の私が入って。
「うち、公立校だから警備員とか居ないんだよね。ラッキ」
黒猫は真顔で、指で〇サイン。
ラッキーじゃないわよ……
これは完全なる不法侵入ってヤツでしょ。
それでも
「来て」
と言う意味でか、ちょいちょいと手招きされるとつい…てかあんたは招き猫か…
なんて考えるも、何故だか逆らえない。
だって可愛いんだもん……!
ああ、バイオハザードウィルスまたも再来。
私は黒猫に招かれるまま、学校の敷地に一歩足を踏み入れた。
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黒猫は私の前を歩いていく。
広いグラウンドの真ん中を横切り、私は慌ててついていくだけ。
月明かりが白いグラウンドの地面に反射して、黒猫の影を私の足元まで伸ばしている。
月明かりに浮かぶ黒い猫の後ろ姿を
私は必死に追った。
待って……黒猫。
歩くの早いよ――――
コンパスの違いか??長い脚が憎らしいわ。
猫のくせに。
でも
これが男の子の歩く普通の早さなんだろうな、きっと―――
そうやってどんどん……
どんどん私の知らない間に成長していつの間にか私の知らない男に変わっていくんだろうな。
その過程を見守ることも、一緒に成長していくことも、並んで歩くことも
今の私にはできないんだ。
そう改めて実感すると
何だか無性に泣きたくなってきた。
きっと
バイオハザードウィルスのせいだ。
こんなにも悲しくなるなんて―――
一人、黒猫の背後で涙を堪えていると
またも黒猫が振り返り
またも
「並んで歩く」
と言う。
私の涙はどこかへ引っ込んでいった。
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黒猫は私の歩く速さに合わせてくれて、私のすぐ隣を歩いてくれる。
そのゆっくりした足取りに何故か少しだけわけの分からない不安てのが解消された。
「一緒に未来を歩こう」
と言われている気がしたからかな。
後ろを振り返ると黒い影が同じだけ伸びていて、
でも
私たちの間に同じだけの距離が保たれていた。
黒猫はグラウンドの隅にある倉庫で歩みを止め、その手前に出しっぱなしになっていたサッカーボールの籠の中からボールを一つだけ取り出して、ここから3mほどあるゴールを指さし。
年期の入ったサッカーゴールは秋の夜空の下ゆらゆらと風でネットが揺られていた。
「昔さ…怪我したばかりのとき、何故かあのゴールの天井に向かって手を伸ばした。
キーパーが飛び上がってあの位置のボールを阻止するんだぜ?
手を伸ばしたら届きそうに思ったのに、
どんなに手を伸ばしても…
届かなかった」
私はそのときの情景をちょっと思い描いて見た。
手術後の黒猫。
松葉杖を片手に、背伸びをする。
黒い影が地面に伸びても、彼の手はゴールの骨に届くことはない。
「そのとき改めて脚を見たらさ、『ああ、俺、ホントにサッカーできなくなったんだ』て実感した。
今、あのときと同じ気持ち」
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同じ―――気持ち―――……
俯いたままの私がここではじめて顔を上げると、黒猫のどこか寂しそうな悲しそうな表情に行き当たった。
黒猫はサッカーボールを蹴り上げると、器用につま先の上に乗せた。
それを膝の上でバウンドさせて小さくリフティング。
さっすが元サッカー部なだけあってその姿はなかなか様になっている。
ポーン…
ボールが跳ねる。
「さっきさ、あの男……名前なんだっけ…」
「チェシャ猫さん?(正確には樗木です)」
「何それ」
黒猫は膝や足首を使って器用にリフティングをしながらくしゃりと笑う。
私が大好きな少年の―――無邪気な笑顔。
知ってる笑顔を見られて、何故だかほっとした。
「また勝手にあだ名つけたの?」
「まぁ…ね」
曖昧に頷くと黒猫はまたもちょっと寂しそうに笑みを浮かべ
「あの人と――――……」
言いかけて黒猫は言葉を飲み込み
「あの人のこと――――好きなの……?」
言葉を置き換えた。
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好きか嫌いか、って聞かれれば嫌いじゃない。
だけど
黒猫の聞いているのはそうゆう意味じゃなくて、
そこにはちゃんと深い意味があって―――
私は少しの間、何て言おうか悩んだ。
ただ俯いて言葉を飲むしかできなかった。
その間を―――黒猫は何て理解したのか
ポーン…
ボールが変な方向に飛んでいき私の足元までころころ転がってくる。
無言でそれを見下ろしていると
ふわり
黒猫に抱きしめられた。
予告もなく―――突然に
その突然の抱擁にびっくりして黒猫の心地よい腕の中、固まっていると
「まだ―――……
まだ脈があるって思ってもいーの?」
そう聞かれてより一層強くぎゅっと抱きしめられる。
脈―――なんて
大ありだよ。
だって私は黒猫のことがまだ好きで好きで
大好きで―――
ずっとこうされたいと思ってた。
ずっと我慢していたことが崩壊したかのように、私もぎゅっと黒猫を抱きしめ返した。
気持ちが溢れる。
言葉が口に出そうになる。
黒猫
黒猫――――……
倭人
本当は私―――ずっとずっと……あんたのこと好きだった。
今でも―――これからもきっとずっとずっと
好きだろう。
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「俺、諦めなくてもいいのかな…
ジャンプしたら届く距離に―――朝都はまだいるのかな」
黒猫が私を抱きしめながら聞いてくる。
私の顔は黒猫の首のところだから、黒猫の顔が―――表情が……どんな風に物語っているのかなんて分からなくて…
でもその声が僅かに震えていて―――
いいよ
私も諦めたくない。
思わずそう言ってしまいそうになったとき。
「俺―――葵のときみたいに
―――諦めたくない。
ジャンプしても届かなかったんじゃない。あのときは飛ぶことすら諦めてた。
だけど今の俺は
飛び続ける。
朝都が少しでも俺のこと見てくれるなら―――
ゴールに手が届くまで」
その言葉を聞いて
私はその場で固まった。
嬉しかった。
こんな私のため、黒猫は必死にがんばってくれている。
こんな私のため―――
けれど
私は
弱い
黒猫がいくらジャンプしてくれても、きっとそのゴールは脆くてすぐ崩れちゃうに違いない。
黒猫を抱きしめる力が弱まり、必死になって制服を握っていたその手に力が入らなくなった。
ロシアン葵ちゃん――――……
どうしてこの場でその名前が出るのか―――不思議なことじゃない。
だって黒猫はロシアン葵ちゃんと別れちゃって後悔して―――
だから私のときは後悔したくない、って意味でいつも一生懸命だった。
でも今の私には
必死になる要素なんてどこにもないんだよ。
だって私は彼女たちから
逃げた。
弱虫だから。
そんな風に一生懸命になる価値がない。
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私は黒猫の胸を押し戻した。
黒猫の体が離れて、ゆっくりとその表情を見ることができた。
今にも泣きそうにその大きな瞳を揺らして私を見下ろしている。
「泣いちゃだめ…」
私は強引に笑顔を浮かべた。
「男の子でしょ?泣いちゃだめだよ」
大人の女ぶって余裕なんて滲ませて―――私はわざと大げさに笑って黒猫の頭をぽんぽん。
「泣いてなんかねーし…」
黒猫がちょっとつまらなそうに唇を尖らし、
けれどすぐに不安そうに眉を寄せる。
「朝都……?」
名前を呼ばれて私は無理やり笑顔を浮かべながら俯いた。
ボールが私のつま先にぶつかり、私はそれを黒猫の方へ小さく蹴り上げた。
コロコロ…
ボールは転がり、けれど黒猫はそれを受け止めることなくボールは彼の横を素通り。
「ごめん、黒猫。私
結婚する
もうすぐ真田 朝都じゃなくて樗木 朝都になるんだ」
俯いて
笑って
嘘を―――
酷いことを平気で口にする――――
私は
最低な女。
だから忘れて―――
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「何それ」
たっぷり間を開けて、黒猫が大きな目を開いて私を真正面から見据えていた。
黒猫の口癖。
もう
これを聞くのも本当に最後なんだ。
それを考えるとこれ以上何も言えなかった。
私は俯いて黙り込む。
たぶん
確実に今私たち二人だけの時間は止まっている。
秋の夜を吹き抜ける風も、その風で揺れるゴールのネットも転がるボールも動いているのに
私たちだけ―――
でもその時間を動かさなきゃだめ。
止まったままじゃだめ。
私はゆっくりと顔を上げると、まだ硬直したままの黒猫に笑いかけた。
「じゃね!
少年よ!短い間だったけど私は楽しかったよ」
私はフザケて敬礼の真似ごとをした。
「これから新しいカテキョに勉強見てもらって、勉学に励みなさい。
少年よ大志を抱け―――なんつってね」
軽く手を挙げると
「何それ。
あんたはクラーク博士かよ……」
と黒猫は言い「笑えねー冗談」と小さく唸り、ふいと顔を逸らす。
「マジで…」
秋の夜の中黒猫の声だけが小さく響く。
「マジで笑えねー」
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その後どうやって黒猫と別れたのか、どうやって帰ってきたのか分からない。
けれど人間てどこか帰省本能があるのか、私はちゃんと自分の足で自分のアパートにたどり着いたし、自分の手で鍵を開け自分の目でがらんどうな部屋を見つめることもできた。
けれど
その空虚なお部屋を眺めて
「黒猫
倭人―――――――………っっっっっつつ!!!!!」
一人で泣いたことだけは
ちゃんと覚えていた。
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一生分の涙を流したと思う。
泣いて、泣いて―――ただひたすらに泣いて―――どれぐらい泣いていただろう
タイミングがいいのか悪いのかチェシャ猫さんから電話がかかってきて
『真田さん…!?良かった、ようやくつながった』
ようやくって……もしかしてさっきまで掛け続けてくれたのかな。
『急にいなくなっちゃって…びっくりしました……』
「ごめ………なさ…――――」
声にならない謝罪の言葉を述べると
嗚咽の合間
『真田さん―――…?』
チェシャ猫さんの問いかける声が聞こえてきた。
「……ち…しゃきさ………困ったことがあったら呼んで………って言って―――…
言ってくれ……ましたよね」
私は嗚咽で途切れる変な言葉を必死にチェシャ猫さんに伝えると
『ええ、もちろん。
僕は―――
呼ばれているんですか?』
チェシャ猫さんの言葉に私は無言で頭を振った。電話越しだし、当然私の行動なんてチェシャ猫さんに分かるはずなんてなく―――
『真田さん―――俺を呼んで?
そしたら俺はすぐあなたの元へ行きます』
何で――――……何でチェシャ猫さんはそんなに優しいの?
私なんてチェシャ猫さんが思うほどイイ女じゃないし、強くもない。
でも
「樗木さ……
助けて」
――――省吾
私は後にも先にもたった一度だけ彼の名を呼んだ。
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チェシャ猫さんは言葉通りすぐに私のアパートに来てくれた。
「こんなときに何ですけど、一人暮らしの女性の家にあがるのは良くないので
良かったら僕の車に来ませんか?」
と、こんなときまでも真面目か!てツッコミたくなるような反応に
でも私はでもツッコめなくて
顔を横に振ると
「入ってください。大丈夫です」
鼻をすすりながら部屋を目配せ。
チェシャ猫さんは最初戸惑っていたものの、結局部屋に入ってきて―――
黒猫以外の男の人を―――黒猫と付き合って以来はじめて
入れた。
黒猫の記憶を消してほしかった。
けれどチェシャ猫さんは私が想像するよりはるかにジェントルで、突然消えた私を責めるわけでも理由を問いただすわけでもなく。ただ泣きじゃくる私の頭をずっと撫で続けてくれていた。
そうして夜が明け―――
けれど一晩中私たちは色っぽいことなどなく、ただひたすらに泣き続ける私にチェシャ猫さんが宥めてくれていただけ。
明け方―――東の空が明るくなってきたときようやく落ち着いた私は
「ぅわ……目が真っ赤…」
手鏡を覗き込んでげんなり。
「うさぎさんみたいですよ」
と、優しいチェシャ猫さん。普通の男だったら『何だそのフザケタ台詞は』って心の中でツッコミを入れそうだったけれどチェシャ猫さんにはそれもできない。
だってこれが素だもん。
そしてこんなことを考えられるぐらい回復した私は
急に一晩中泣いていた自分が恥ずかしくなった。
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「な、何かすみません……私―――
突然呼び出した上、ずっと泣き続けて……困り…ましたよね…」
おずおずと言うと
「正直困りました」
とはっきり。
すみませぇえん。
と、ひたすら平謝りの私。
「大丈夫です。だってはじめて真田さんが僕を頼ってくれたから―――
不謹慎ですけどちょっと嬉しくて」
チェシャ猫さんは恥ずかしそうに頭の後ろに手をやり
「でも―――、一つだけ頼み事をしていいですか……?」
チェシャ猫さんは切れ長の目を上げて私におねだり。
頼み事―――とは…?
体を要求!とか今さらになって身構えたけれど
「朝食―――作ってくれませんか?
僕、真田さんの料理好きなんです」
言われたことは意外にも小さなことで
「ちょ、朝食ぐらいならいくらでも!わ、私料理しか取り柄がないし。
簡単なものしかできませんが…」
慌てて言うとチェシャ猫さんはまたもにっこり。
「ほかにも取り柄がいっぱいありますけど
でも料理は本当に尊敬です」
チェシャ猫さんは無邪気に笑い、私はちょっとだけ頬が熱くなるのを感じた。
大丈夫―――
もう迷ったりしない。
この人となら未来を築けるよ―――
そう実感した。
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未来を築ける―――と思った傍から、
私の行動は見事に意思に反してくれた。
チェシャ猫さんに作ったのはトーストと、バターたっぷりチーズ入りオムレツとトマトとベーコンのオーブン焼き、それからコンソメオニオンスープ。
日本人だったらまず味噌汁だけど、味噌汁を作りたくなかったのは、黒猫に振舞ったからで―――
黒猫の反応以上のものを―――期待しちゃいそうで怖かったから。
『俺の味噌汁を毎日作ってください』
とか
ほざいてたっけね。あの子わ。
それを考えるとオニオンコンソメスープも何だか急に味を感じなくなって
私は自然俯いた。
その向かい側で
「どうしました…?」
とチェシャ猫さんがカップを持ったまま目をぱちぱち。
「あ…いえ!お口に合ったかなぁとか…」
また―――
嘘をついた。
私、昨日から嘘ばかりだ。
「おいしいです。僕、朝は洋食派なんで―――ありがたいです」
それは……
これから毎日朝食を作ってほしいニュアンスなのかな―――
分からなくて…
ううん、ホントは分かっていた。
チェシャ猫さんはいつも本気だったって。
だけど
分からないふりをした。
だって
黒猫ときちんと別れたばかりなのに―――すぐチェシャ猫さんとか―――
私はそんなに器用にできてないって
今はじめて気づいたから。
P.262<→次へ>