Chat Noir -黒猫と私- Deux(2nd)

 

Cat №38 黒猫の(元)バカ飼い主

 

『黒猫の(元)バカ飼い主』

 


 

 

 

元飼い猫に守られた

 

 

私はバカだ。

 

P.216


 

 

お好み焼きぐらいなら―――

 

 

そう考えてた私がアホだった。

 

 

いえ、バカの方だな。

 

 

アホとバカならどっちがレベル的に高いのか―――

 

 

そんなのどっちでもいいよ!

 

 

相手はチェシャ猫さんなのよ!

 

 

どうして〝こうなる”ことを想像しなかったのよバカ朝都!あ、やっぱ…ぱっと『バカ』が出てきたってことはバカがレベル高か。

 

 

って……

 

 

私『バカとアホの違い』なんてレポートを浮かべてる場合じゃないって。

 

 

てかチェシャ猫さんの行動なんて誰も想像できなくて―――

 

 

「僕、お好み焼きだけは得意なんですよ」

 

 

「はぁ……でも、あの…ここ…」

 

 

お好み焼きって言ってたからてっきり私はお店に連れて行ってもらえるのかと思いきや…

 

 

大きな大きな洋風の一軒家の

 

 

これまた広~い洋風のリビングに通され、今はそのテーブルにホットプレートの鉄板でお好み焼きを焼いているチェシャ猫さんを見上げた。

 

 

チェシャ猫さんはヘラでネタを整えていたけれどその手を休めて

 

 

 

 

 

 

「僕の実家です」

 

 

 

 

 

 

 

これまたキラキラ爽やか過ぎるほどの笑顔でにっこり。

 

 

そのキラキラビームにやられるところだったよ。

 

 

でも

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり

 

 

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さん……あなたが分かりません。

 

 

 

 

 

P.217

 

チェシャ猫さんはビールも用意してくれて、至れり尽くせりの休日の昼食。

 

 

「あ、ありがとうございますぅ♪」

 

 

ビールだけは素直に受け取った。

 

 

…て和んでる場合じゃないって。

 

 

だけど

 

 

「んーーー!!!おいしいっっ!!☆」

 

 

そう

 

 

チェシャ猫さんの作ってくれた「樗木スペシャルお好み」は外パリ中フワの、口の中でとろけるようなおいしさ。

 

 

向かい側の席でヘラでお好み焼きを切り分けていたチェシャ猫さんはどこかほっとした面持ち。

 

 

「良かった。僕作れるのこれぐらいしかないんですよ。

 

 

真田さんは料理上手だし、そんな人の前に出せる料理か不安だったんですが」

 

 

「おいしいですよ?

 

 

でも、あれ…?私って樗木さんに手料理出しましたっけ」

 

 

?をいっぱい浮かべていると

 

 

「いただきましたよ。こないだのお弁当。あ、そうだった!お弁当箱返すの忘れてた」

 

 

チェシャ猫さんは手をぽんとうち、いそいそとタッパーを出してきた。

 

 

中にはいかにも高っそうなクッキーがぎっしり詰まっていて

 

 

「すみません、僕真田さんみたいに手料理作れるわけじゃないので、買ってきたものですが」

 

 

と申し訳なさそうに差し出されたけど…

 

 

こないだのお弁当……

 

 

「え、嘘!あれ食べたの樗木さんだったんですか!

 

 

お、おなか大丈夫でしたか!」

 

 

私の顔からサーと血の気が失せて

 

 

だってとてもじゃないけど男子に振舞える可愛いお弁当じゃなかったし。この中に入っているクッキーの十分のイチも価値がないような代物なのに。

 

 

どうしてチェシャ猫さんの手に渡ったのか、いきさつが色々気になったけど

 

 

無事ならそれでいいのかな……??

 

 

いや!

 

 

でもあのお弁当はやっぱり!!

 

 

「今度、リベンジさせてください!私にもう一度チャンスをっ!!」

 

 

思わず勢い込むと

 

 

 

 

 

「僕に作ってくれるんですか?」

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんはお好み焼きを口に入れようとしていた手をとめて目をぱちぱち。

 

 

そしてすぐにこれまたすごくうれしそうに頬を綻ばせて笑う。

 

 

そのキラキラビームに…

 

 

ぅわぁ……私、墓穴↓↓

 

 

自らやらかしたわ。

 

 

 

 

 

 

P.218

 

 

お好み焼きも食べ終わって、まったり…のつもりだった。

 

 

ゆうに四人は腰掛けられる大きなソファの端っこに腰掛けた私の横に、さもあたりまえのように腰掛けてくるチェシャ猫さん。

 

 

な、何故ここに??

 

 

一々ツッコミを入れてはいけない人だったけれど、でも…でもね……こんな間近に来られるとやっぱり緊張って言うかね…

 

 

チェシャ猫さんはそれはそれは自然な仕草で私の右手をそっと握ると、指をからませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また

 

 

 

 

 

――――手を繋ぐ

 

 

 

それは特別なことじゃないのに、彼には特別な意味があって―――チェシャ猫さんの手のひらから何だか悲しい感情が伝わってくる。

 

 

振りほどけなくて、私はされるがまま…

 

 

何て反応していいのか分からず俯くと、足元に置いたバッグに目がいった。

 

 

そこにはチェシャ猫さんにもらった婚姻届と、黒猫の不在れんらくひょーが挟まれた手帳が入っていて……

 

 

どうすればいいのだろう…

 

 

ずっと堂々巡りの質問に、いい加減答えを出すときが来たのかもしれない。

 

 

そう思えた。

 

 

 

ふとチェシャ猫さんが壁掛け時計を気にするようにちらりと目を上げ、

 

 

「ご飯も食べたし…」

 

 

言いかけたとき

 

 

ごくり

 

 

私は喉を鳴らしてチェシャ猫さんを真正面から見据えた。

 

 

 

答えを―――出すにはまだ私の有機が…失礼またも化学用語に置き換えちゃった。

 

 

つまりかなり動揺してるわけで、正しくは勇気が足りなくて…

 

 

わ、私たちお付き合いもしてないし…時期的にも時間的にもまだ早いわ。

 

 

だけど

 

 

 

 

 

 

 

「僕の部屋へ行きませんか。それで……」

 

 

 

 

 

 

やっぱ来たーーー!!

 

 

「あ、あの!!」

 

 

私はチェシャ猫さんの言葉を最後まで聞かずにかぶせるように声を挙げ立ち上がった。

 

 

「…?」

 

 

チェシャ猫さんが突然立ち上がった私を不思議そうに見る。

 

 

 

 

 

 

「お、お手洗いお借りしてもいいですか…!」

 

 

 

 

 

 

「どうぞ」

 

 

結局

 

 

はっきりと断れなかった私↓↓

 

 

どうするのよ、朝都!!

 

 

 

 

 

P.219

 

 

どうする?

 

 

どうする朝都??

 

 

私はチェシャ猫家のお手洗いの便座に腰をおろし、さっきからこの質問を自分に何度も繰り返ししている。

 

 

下着……OK!何故か今日は割りと可愛い上下セットだし(意識したわけじゃないけど。偶然よ、偶然!)

 

 

ムダ毛OK……(乙女(?)のたしなみよね)

 

 

気持ち……

 

 

 

OK………?

 

 

 

ああ、バイオハザードウィルスめ!今日に限って大人しいんだから。

 

 

大体黒猫と三か月もお付き合いして〝まだ”なのに、チェシャ猫さんとはたった三回会っただけだよ??

 

 

黒猫のときはそりゃもう人に言えないような妄想を繰り返し繰り返し私の頭の中に流してくれたってのに…

 

 

今日はそのヴィジョンが少しも浮かんでこない。

 

 

仕方なく自分シミュレーション。

 

 

 

 

 

 

『大切な人とは手を繋ぎたい』

 

 

 

 

 

例の決まり文句で、またもチェシャ猫さんが私の手を取り

 

 

そしてその手をからませて…私の肩を―――……抱く??

 

 

うーん…何か違うな。

 

 

そっか、いきなり押し倒す!

 

 

……益々違う気がする。

 

 

独り言をブツブツ言いながら額に手を置く。

 

 

でも考えても何故だかどんなシチュエーションもチェシャ猫さんにあてはめられなくて

 

 

何だかぽっかりと空想の世界に穴が開いたような…

 

 

それは

 

 

私がその気じゃないからなのか

 

 

それとも

 

 

 

 

チェシャ猫さんにその気がないのか―――

 

 

 

 

 

 

 

 

P.220

 

 

とりあえず

 

 

困ったときは涼子に電話よ!

 

 

バッグを探したけど…しまった。さっきのリビングに置いてきちゃったし…

 

 

「ああ、もう」

 

 

結局、一人じゃ何にも答えなんて出てこなくて、仕方なく私はトイレを出た。

 

 

リビングに戻るとチェシャ猫さんが一人でお片付け中。もうお部屋に行く準備してるし…

 

 

それでも私が戻ると嬉しそうににこっと微笑み、

 

 

ああ、この笑顔で心も体も許せそう!なんて危ない考えが……(←バイオハザードウィルスComeback)

 

 

「そう言えば、真田さんのケータイさっきから何回か鳴ってましたよ?」

 

 

「え?ホントですか…」

 

 

涼子かも。

 

 

そう思って慌ててケータイを手に取ると、

 

 

 

不在着信:ペルシャ砂糖さん

 

 

 

になっていて私は目をまばたいた。

 

 

時間はほんの数分前になっている。でも遡ると、一時間ほど前から十件ほどペルシャ砂糖さんの名前が連なっていた。

 

 

んゲ。

 

 

どーしよう、「うちの義息子をたぶらかせて遊んで捨てたなんて!ヒドイ女!!」て怒ってたら。

 

 

いや待てよ。

 

 

ペルシャ砂糖さんに限ってそんなことないか…

 

 

でもでも

 

 

十件以上も電話がかかってきてるってよっぽどな理由だよね。

 

 

私はチェシャ猫さんに断りを入れて、ペルシャ砂糖さんに電話をすることに決めた。

 

 

一人じゃ何だか怖くて…と言うよりも席を外す方が怪しい気がするし、

 

 

やましいことなんてない(と思う)からこの場で掛けるのが一番。

 

 

私はその場でケータイの通話ボタンを押すと、相手はすぐに出た。

 

 

「あ……もしもし……砂糖(佐藤)さん??」

 

 

私が問いかけると、

 

 

 

 

 

 

『ック……ヒック……』

 

 

 

 

ペルシャ砂糖さんの鳴き声(失礼、泣き声)が電話口から漏れ聞こえてきて、私は目を見張った。

 

 

「ど、どうしたんですか!お父様と喧嘩でもしたんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『ち……違うの……わ、私―――……こ、怖くて……

 

 

 

 

 

こんなこと

 

 

 

 

 

 

誰にも相談できなくて……つい…朝都さんに電話を―――

 

 

 

 

 

ごめなさ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.221

 

 

何だかよく分からないけど、ペルシャ砂糖さんが困ってる!

 

 

「い、今どこですか!」

 

 

場所を聞くと、ここから電車で三十分ほどの喫茶店に居る―――と言うことだった

 

 

黒猫のおうちからも近くない場所。何故そんな場所に居るのか分からなかったけれど

 

 

「すみません!私行かなきゃっ」

 

 

大した説明もできず、ただ慌ただしく帰る支度をしていると

 

 

「どうしたんですか?」とチェシャ猫さんもさすがにこの状況に眉をひそめた。

 

 

「すみません……本当に

 

 

……知人の一大事なんです…

 

 

本当に…ごめんなさい!」

 

 

せっかく誘ってくれたのに。

 

 

黒猫のことを忘れるチャンスをくれたって言うのに―――

 

 

頭を下げて謝ると、チェチャ猫さんはそっと私の肩を支え

 

 

「何だかわかりませんが、真田さんが謝るようなことは何一つないです。

 

 

顔を上げて」

 

 

そう言われてゆっくりと顔を上げるとチェシャ猫さんが少し寂しそうに苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

「僕があなたを好きなところ―――

 

 

そうゆうところですよ。

 

 

困ってる人を見捨てない。そうゆう優しいところなんです」

 

 

 

 

 

 

そんな――――

 

 

私はそんなできた人間じゃない。

 

 

 

だって……本当に困ってるだろうペルシャ砂糖さんにも申し訳ないけど

 

 

 

 

 

 

 

 

この状況に少しほっとしたんだ。

 

 

 

 

 

 

ヒドイ女だよ。

 

 

 

 

 

P.222

 

 

「とにかく行きましょう。

 

 

僕、送って行きます。電車より早いはず」

 

 

チェシャ猫さんは車のキーを握ると、私の手も握って駆け出した。

 

 

ごはん食べた直後だからちょっとでも走ると脇腹が痛い。

 

 

おまけに運動不足なのか息があがる。

 

 

息苦しくて私は車に乗り込むまで何度も咳こんだ。それでも

 

 

 

こんなときも―――

 

 

チェシャ猫さんの手はあったかくて、前を走るチェシャ猫さんの背中は広くて頼り甲斐があるのに、何故一瞬でも拒むようなことをしたんだろう。

 

 

繋がれた手を見た。

 

 

そこで分かった。

 

 

 

 

 

 

ああ

 

 

 

分かった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒猫と手を繋いでいたいんだ。

 

 

 

黒猫の背中を追いたいんだ。

 

 

 

 

 

 

黒猫

 

 

 

 

 

 

倭人

 

 

 

 

 

ねぇ

 

 

 

 

キミは今―――何を想って何を感じて

 

 

 

 

 

私の居ない世界をどうやって生きてるの?

 

 

 

 

 

 

私はキミがいなくて

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸の仕方も忘れちゃったみたいに息苦しい。

 

 

 

 

 

 

 

お腹じゃなくてホントは

 

 

 

 

 

 

 

 

胸が苦しい―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.223

 

 

ペルシャ砂糖さんの指定した喫茶店には車で20分掛けて到着した。

 

 

「今日はありがとうございます」

 

 

車を降りる際にチェシャ猫さんにもう一度お礼を言うと、チェシャ猫さんはまたもそっと私の手を握ってきた。

 

 

「いいえ。何があったのか分かりませんが、お友達の傍についててあげてください。

 

 

お友達が辛いときは…

 

 

 

 

 

何があってもその人の手を離さないように―――」

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんは言い聞かせるように言って軽く私の手をぽんぽんと叩いた。

 

 

最後にちょっと強めに両手を握られて

 

 

「何か困ったことがあったら相談してください」

 

 

とまで言ってくれた。

 

 

チェシャ猫さん……ホントにいい人……

 

 

「ありがとうございます」

 

 

もう一度頭を下げて私の手がチェシャ猫さんの手をすり抜けようとした。

 

 

するり

 

 

と音がしそうだったけど、実際はしなくて

 

 

ただひどく手を抜くのが申し訳なく思った。

 

 

指の先が完全に抜けるとき

 

 

 

 

 

「約束ですよ。

 

 

 

 

困ったときは強がらないで―――

 

 

 

 

 

僕を頼ってください」

 

 

 

 

 

彼は真剣な顔でつぶやき、私の指先をきゅっと強めに握ると、今度は彼の方から手を離した。

 

 

 

ありがとうございます

 

 

 

 

私は何度目かのお礼を心の中でつぶやき、だけれどそれを口にすることなく頭を下げて車から離れた。

 

 

喫茶店に入るまで、チェシャ猫さんはずっと心配そうに私の姿を見送ってくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.224

 

 

ペルシャ砂糖さんの指定した喫茶店は昔ながらの「パーラー」て感じで、みるからにフレッシュなフルーツも店頭で販売していた。

 

 

見るからに老舗っぽいその店構えは立派なもので、お客さんもたくさん入っている。

 

 

その中でペルシャ砂糖さんは窓際の席で青ざめた顔を俯かせていた。

 

 

テーブルにはりんごジュースみたいなのが乗ってたけれど、それに少しも手をつけていないようだ。

 

 

「お、お待たせしました」

 

 

声を掛けるとペルシャ砂糖さんは一瞬だけびくりと肩を震わせたものの、私だと分かるとほっと息を吐く。

 

 

「ごめんなさ……朝都さん…」

 

 

ペルシャ砂糖さんは今にも泣きだしそうにハンカチで目元を押さえ、その仕草で気づいた。

 

 

もうしっかり泣いていたようで目や目の淵が真っ赤だった。

 

 

私はペルシャ砂糖さんと同じりんごジュースを頼み、

 

 

「ここ……うちの経営するお店の一つなんです。しばらく…実家に帰ろうかとも…」

 

 

ペルシャ砂糖さんはハンカチで目元を押さえたまま俯き

 

 

へぇ、実家の…

 

 

そういやぁミケネコお父様…ペルシャ砂糖さんは、取引相手の青果業者の娘さんだって言ってたな。

 

 

でもこんなに立派な青果店だとは知らなかった。

 

 

やっぱりお嬢様だ。

 

 

ミケネコお父様め…ちゃっかり逆たまぁ??

 

 

ペルシャ砂糖さんはハンカチで目元を押さえながら、またもその大きな目からぽろりと涙がこぼれた。

 

 

「実家に帰ろうとか考えたんですけど、でも―――やっぱりできなくて……

 

 

お店でこうやってジュース飲むしかできなくて。

 

 

父が〝こんなもの”を見たら何て言うか―――」

 

 

スッ

 

 

 

ペルシャ砂糖さんが白い封筒みたいなものをテーブルに置き、

 

 

私は無言でそれを受け取った。

 

 

 

 

 

 

P.225

 

 

封筒はシンプルなもので、宛先は書かれていない。

 

 

封は丁寧に切ってあって…ペルシャ砂糖さんが切ったんだろうな。

 

 

中には手紙が一枚入っていた。

 

 

「見てもいいですか?」

 

 

一応断りを入れると、ペルシャ砂糖さんはこくんと小さく頷いた。

 

 

手紙は四つ折りで、これまたコピー用紙のようなシンプルなものだ。

 

 

それを開いて目に入れると私も目を開いた。

 

 

 

ペルシャ砂糖さんが泣いちゃう気持ちが分かったり。

 

 

手紙にはタイプライターでこう記されていた。

 

 

 

 

はぁ??

 

 

ミケネコお父様が浮気!!?

 

 

しかも…

 

 

元従業員って――――……

 

 

閉店まで居て家に送り届けるって……

 

 

 

 

 

 

いやいやこれ――――って

 

 

ペルシャ砂糖さんの前で思い出すのもなんだけど、一回だけ抱きしめられたこともあるし。

 

 

 

 

 

 

これ

 

 

 

 

 

 

私のことだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.226

 

 

 

違う違うっ!!

 

 

って意味でバサっと手紙をテーブルに落とすと

 

 

ペルシャ砂糖さんは鼻をすすりながら

 

 

「ね…こんな手紙見せられないでしょう?」

 

 

と、彼女と同じようにこのワケわからん手紙に怯えていると捉えられたのか涙目で見つめられた。

 

 

ごほん

 

 

私は咳払いをして手紙を再び引き寄せると

 

 

 

 

 

 

「これ

 

 

 

 

 

私のことです」

 

 

 

 

 

 

 

素直に白状した。

 

 

 

 

 

 

「――――………え――――」

 

 

 

 

たっぷり間があってペルシャ砂糖さんが涙の溜まった大きな目をさらに大きく開く。

 

 

その大きな目から

 

 

すっと一筋きれいな涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.227

 

 

わ!わわっ!

 

 

私何泣かしてるのよ!!

 

 

「いや!違うんです!!

 

 

浮気とかじゃないです!!

 

 

ただこの人物が勘違いしてるだけで

 

 

私、お店に行って、飲みますけどそれは元従業員で店長の作るお酒が好きなだけで、それだけです。

 

 

その後送ってくれてももちろん何も」

 

 

早口で説明する中、ペルシャ砂糖さんは僅かに口を開けて何か言いたそうに目をしきりにパチパチ。

 

 

ああ…何て言えばいいのか。

 

 

妊婦さんへの衝撃はお腹の中の赤ちゃんにも影響するだろうし。

 

 

あれこれ考えていると

 

 

「お父様とは無いって…。

 

 

もしあったとしたら本当の親子丼だよ…」

 

 

心の中の声が聞こえたのか

 

 

「親子丼…?」

 

 

ペルシャ砂糖さんはしっかり私の心の声を拾ってくれました。

 

 

「いやっ!!ごほん

 

 

とにかくこの噂は違いますから。お父様は潔白です」

 

 

両手を挙げて言い切ると、

 

 

「………そう――――だったの」

 

 

ペルシャ砂糖さんはハンカチで目元をぬぐいながら、ほぉっと大きなため息。

 

 

どこをどう信じたのか謎だけど、どうやら私の、このあやふやな説明を信じてくれたみたいだ。

 

 

 

 

 

 

「だって朝都さんは倭人くんとお付き合いしてるし。

 

 

二人はすごく仲が良いから」

 

 

 

 

 

 

 

あ、そっか……

 

 

この言葉を聞いて今度は私の方が泣きたくなった。

 

 

 

 

 

ペルシャ砂糖さん

 

 

 

私が黒猫と別れたこと―――知らないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.228

 

 

お父様にあらぬ疑いが掛けられてたけど、それが証明されてほっとしたのか

 

 

ペルシャ砂糖さんはリンゴジュースにようやく手を付けた。

 

 

私もいつの間にか運ばれていたリンゴジュースのストローを口に付け、一口すするとそれは想像以上にみずみずしく爽やかな味がした。

 

 

変な緊張で喉が渇いていた私はそれを一気に飲み干した。

 

 

「お父様はカズミさん一筋ですよ。

 

 

一時期、前の奥さんのことで色々悩んでて……その相談に乗ったのは事実です」

 

 

ペルシャ砂糖さんはストローから口を離し、顔ごと目を上げる。

 

 

またも何か言いたげに口が動いたけど、それより早くに私が言葉を遮った。

 

 

 

 

 

「けれど

 

 

彼は

 

 

 

自分の力で今守るべき大切な存在が何なのか

 

 

気づいたんです。

 

 

 

前の奥さんとの思い出も大切だし忘れられないと思う。けれど彼は前を向くことを決めた。

 

 

古い記憶を引き出しのどこかにしまって、新しいクローゼットをあなたとの想い出でいっぱいにしよう、

 

 

そう考えたんです。

 

 

そう

 

 

 

彼が今一番大切にして守っていきたい―――そう思ったのは想い出ではなく

 

 

 

今のカズミさん

 

 

 

 

あなたなんです」

 

 

 

 

 

 

ミケネコお父様が立ち直ったように

 

 

私も早く前を向かなきゃいけない。

 

 

 

 

 

 

いつまでも黒猫の足跡を追うのはやめよう―――

 

 

 

 

新しい恋

 

 

 

 

 

はじめよう。

 

 

 

 

 

 

 

P.229

 

 

私はまっすぐにペルシャ砂糖さんを見て言い放った。

 

 

ペルシャ砂糖さんのきれいな目からまたも涙が零れ落ち

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。

 

 

朝都さんが居てくれて―――あの人……巧美さんも救われたはずです」

 

 

 

ありがとう

 

 

 

もう一度繰り返して、ペルシャ砂糖さんはきっちりと両手をテーブルにつき、深々と頭を下げた。

 

 

「え…ちょっ!やめてくださいっ!!」

 

 

これには私の方が慌てた。

 

 

でも

 

 

ペルシャ砂糖さんて本当に優しい人だな。寛容って言うのかな…

 

 

それとも赤ちゃんがおなかにいるからなのかな。

 

 

普通、こんなでしゃばったことしたら怒るところだよ。

 

 

でもそうゆう人だから、お父様も好きになったに違いない。

 

 

私は手紙を手に取った。

 

 

 

「とりあえず

 

 

この手紙は無視してください」

 

 

私は手紙を手に取り破り捨てようかと思ったけれど、その手を慌ててペルシャ砂糖さんが止めた。

 

 

 

「待って。何かあったときに必要になるかもしれないし」

 

 

 

ペルシャ砂糖さん……

 

 

 

優しいけど、それ以上にしっかりしてる。

 

 

母は強し、だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.230

 

それでもペルシャ砂糖さんはこの気味悪い手紙の存在はやっぱり怖かったのか、まだ青ざめた顔で手紙を見下ろすと、小さくため息。

 

 

「じゃ、じゃぁ私が持ってます。

 

 

それならどうですか?」

 

 

私は手紙を受け取り、鞄に仕舞おうとした……ところで気づいた。

 

 

手紙からふんわり香ってきたのは、

 

 

 

 

 

オレンジと―――テキーラの……香り…?

 

 

 

 

 

 

手紙に鼻を寄せてくんくん匂いを嗅いでると、

 

 

「朝都さん?」とペルシャ砂糖さんが怪訝そうな顔。

 

 

「な、何でもありません!」

 

 

私は慌てて手紙をバッグにしまい込み、リンゴジュースをまたも一飲み。

 

 

変なこと首突っ込んで深追いするのはやめよう。

 

 

そう心の中で小さく誓った。

 

 

 

 

 

――――

 

 

――

 

 

その後ペルシャ砂糖さんはミケネコお父様のおうちに帰ると言う。

 

 

危ないから送っていくことを申し出ると、

 

 

「朝都さん、彼氏みたい。頼もしいわ」

 

 

ペルシャ砂糖さんはふわふわ笑った。

 

 

か、彼氏とな!!

 

 

頼もしいて言われて嬉しいけど、何かフクザツ。

 

 

それに半分私のせいでもあるし、申し訳ない気持ちもあった。

 

 

「でも大丈夫、まだ早い時間帯だし。さすがに申し訳ないわ」

 

 

と、結局小さく断ってきたペルシャ砂糖さん。

 

 

それでも私は近くの駅までお見送り。と言うか私も電車で帰るつもりだったから。反対方向だけどね。

 

 

二人で駅の改札をくぐって、思い直した。

 

 

あ、そだ。チェシャ猫さんに連絡しなきゃ。心配掛けちゃったし。

 

 

「ちょっとごめんなさい」

 

 

私はペルシャ砂糖さんに断りを入れてケータイを取り出しチェシャ猫さんに掛けた。

 

 

TRR…

 

 

『はい。樗木です』

 

 

相手はすぐに出た。その素早さに私の方がびっくり。

 

 

早っ!!

 

 

で、でも裏を返せばそれだけ私からの連絡を待っててくれたんだよね―――――

 

 

私はかくかくしかじか、簡単なこと…友達がトラブルに巻き込まれて話を聞いていたけれど今から電車で帰る旨を伝えると

 

 

 

 

 

『迎えに行きます』

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんは私の言葉を最後まで聞かずして、真剣にそう一言だけ答えた。

 

 

 

 

 

 

P.231

 

 

 

「え、迎え!?いや、いいですよ…悪いし」

 

 

『そんなこと思う必要ないです。良かったらそのお友達も送ります。

 

 

だから

 

 

 

 

 

 

電車では帰らないでください』

 

 

 

 

 

 

チェシャ猫さんは至極真剣に言ってきて、私は思わずペルシャ砂糖さんを見た。

 

 

ペルシャ砂糖さんは当然私が何を話しているのか分からず、突然見られて目をきょとん。

 

 

『とにかくそこから離れて』

 

 

切羽詰まったように言われて私は目をぱちぱち。

 

 

この駅に何があるって言うんだろう。

 

 

まさかこの駅に爆弾でも仕掛けられてるとか!?

 

 

それともチェシャ猫さんは予知能力があってこのあと電車が事故に遭うとか分かっちゃったり……?

 

 

 

ないない。

 

 

そんなこと。

 

 

ありえないって。いくら人間離れした美しさを持っていてもさすがにあれは人間の♂だ。

 

 

 

 

でもあんなに真剣に―――

 

 

何でだろう。

 

 

それは

 

 

 

チェシャ猫さんが『電車が嫌い』―――って言ったことと何か関係してるの?

 

 

色んな想像だけがめぐっていたけど、チェシャ猫さんの真剣な声に「大丈夫ですよ」とは言えず「じゃ。お願いします」とだけ言って通話を切った。

 

 

「…なんか友達が送ってくれるみたいです。カズミさんも」

 

 

「え……そんな悪いし…」

 

 

ペルシャ砂糖さんは慌てて手をフリフリ。

 

 

まぁそうなるよね。

 

 

「でも、せっかくなんで…危ないし―――……」

 

 

言いかけて私はその口が中途半端に開いたまま固まった。

 

 

ペルシャ砂糖さんが手を振っているその向こう側で

 

 

人ごみの中、

 

 

 

 

 

 

 

 

黒猫の横顔を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.232

 

 

え――――……どうして…?

 

 

一瞬だけ目を反らしちゃったけど、もう一度見ると黒猫の隣にはカリンちゃんとトラネコりょーたくんが…

 

 

そっか…

 

 

遊びに来た帰りなのかも。

 

 

カリンちゃんは相変わらず二人のナイトに守られているようで、彼女が話しかければ両隣の二人が頷く。

 

 

黒猫倭人は相変わらずけだるそうに相槌を打っていたけれど、代わりにトラネコくんは楽しそうにうんうん頷いている。

 

 

そんな光景が見えた。

 

 

 

どうして―――

 

 

 

どうして前を向こうと決めたら、君はいつも私の心の中鮮やかに横切っていって

 

 

私の気持ちをかき乱すの―――?

 

 

 

ねぇどうして

 

 

 

 

 

 

このタイミングなの。

 

 

 

 

ねぇ

 

 

 

 

 

 

どうして

 

 

 

 

 

「か、カズミさん、友達待たせてるんで急ぎましょう!」

 

 

『どうして』なんて問いかけるのなんて馬鹿げてる。

 

 

だって

 

 

 

 

 

偶然と片付けるには簡単過ぎる

 

 

 

もうこれは―――

 

 

 

運命なのかな。

 

 

 

 

 

それでもその運命に逆らうように私はペルシャ砂糖さんの手を取り、引き返そうとした。

 

 

「真田さん!」

 

 

遠くで声が聞こえて振り返ると、黒猫とほぼ同じ位置でチェシャ猫さんが手を振っている。

 

 

せっかちにここまで迎えに来てくれたってわけだけど、その声で黒猫がこちらに気づいた。

 

 

振り向いて目を開いている。

 

 

わ!マズイ!!

 

 

行き場を失った私が一人であたふたしていると

 

 

「失礼」

 

 

と言って男の人がペルシャ砂糖さんの脇を通り抜けて行った。

 

 

今来ている電車に飛び乗りたいのだろう、その人はかなり急いでいて

 

 

慌てて階段を下りて行こうとしたが

 

 

その肩とペルシャ砂糖さんの肩が乱暴にぶつかった。

 

 

「キャッ」

 

 

ペルシャ砂糖さんが小さく悲鳴を挙げ、私の手から彼女の手がすり抜けた。

 

 

ペルシャ砂糖さんのが階段を踏み外し、彼女の体が階下を背にふわりと宙に浮く。

 

 

 

 

 

 

 

「砂糖さん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.233

 

私は夢中で彼女の手を引っ張りなおした。

 

 

ぐいと引いて振り子の要領でペルシャ砂糖さんの手を引き、代わりに私が今度は下。

 

 

 

ふわりと体が浮き、

 

 

「真田さん!!!」

 

 

チェシャ猫さんの怒鳴り声を聞いた―――

 

 

 

「朝都さん!」

 

 

 

ペルシャ砂糖さんの悲鳴も―――

 

 

チェシャ猫さんが必死な形相でこちらに向かって手を差し伸べるもその手は僅かにかすめただけでしっかりと握ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

   落   ち   る

 

 

 

 

 

 

 

そう思った瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 「朝都!!!」

 

 

 

 

 

 

まるで猫のようにチェシャ猫さんの脇をすり抜け、

 

 

 

 

 

 

私の手を取ったのは

 

 

 

 

 

 

 

 

黒猫だった。

 

 

 

 

 

黒猫

 

 

 

 

 

 

 

黒猫――――

 

 

 

 

 

 

「倭人」

 

 

 

 

黒猫は片方の手を手すりにつかまらせて、片方の手で私の体を抱き止めてくれている。

 

 

私は夢中で倭人の腕に縋り、倭人を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

バカな私―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

捨てたはずの飼い猫に―――

 

 

 

 

 

助けられてるんじゃないわよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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